第8話 笑顔を忘れた花嫁

「桜の花が咲く頃には、悪阻は落ち着いてくるから……」

 そう言われながら、1週間に1回は点滴を受けていた。

 病院の小さな奥の部屋で、一滴ずつ落ちてくる雫をぼんやりと見つめていた。


 点滴を受けた日だけ食べれる物があった。

 ただのハンバーガー。

 チーズなども入っていない、ケチャップ味のハンバーガーとコーラ。


 それ以外の日は殆ど何も食べれない。

 私はオロナミンCばかり飲んでいた。


「ご飯作れないからお弁当でも買ってきて」

と彼にお願いする事が増えた。

 仕事おわりに自分のお弁当だけを買ってきて

「何で俺が弁当買って帰って来ないといけない?!と怒られた。

「ごめんなさい……」


 毎日毎日怒られた。

 毎日毎日、自分のお弁当だけを買ってきて。

 私は食べれないから、1つだけしか買ってこなくても別に構わない。

 たげど、私の心には小さな小さな傷がついていった。

 そして、私は毎日毎日怒られ続けた。



 ある日の事だった。

 結婚式はお腹が目立つ前に済ませようと早めに予約を入れていた。

 彼から電話がかかってきた。

「会社の社長の紹介で式場も決めたし、お祝いに食事に誘われたからいくぞ!」

と強引に連れていかれた。


 私の体調は考慮されない。

 外出するだけでも大変だった。

 仕方ない、社長さんだもの……


 悪阻の真っ最中。

 待ち合わせは仕事終わりの夕方。

 通勤ラッシュの地下鉄に揺られてたどり着いた場所は高級なカニ料理で有名なお店だった。


 カニの刺身に、カニの握り。カニ鍋。

 絶好調につわりで苦しんでいる私には地獄のような時間でしかなかった。

 どうしてこの時期を選んだのだろうか。

「悪阻が酷いので食べれるようになってから……」

 そんな優しい人ではなかった。

 その時の私にはわからなかった。


 今の私ならわかる。

(カニが美味しい時期だから)

やっぱり私は男運がないのだ。

 そして、その日を選んだ社長も社長だ。

 その社長は女性だった。

 とてもお気に入りの部下だったのだろう。

今思うと、背筋がゾッとするのは私だけだろうか……



「悪阻で食べれなくてスミマセン……」

と背中を丸めて、吐き気を我慢しながら謝るしかなかった。


 まともな会話もできない程、カニ鍋の匂いでいっぱいの部屋。

 そんな私の事は放ったらかしで、社長と彼はカニを食べ、お酒を飲み楽しそうに過ごしていた。

(なんだこれ???)

私の心の中ではそんな感想しかなかった。



 そして桜の花が咲いた。

 悪阻は看護師さんの言ってたように、確かに少し治まってきていた。

 そこからがまた大変だった。


 ドレスの試着をして決める。

 妊婦用のドレスは種類も少ないので、選ぶのは簡単だった。なるべくお腹が目立たなくて、なるべくシンプルなドレス。

 試着させてもらった時の写真の私はまだ笑顔が残っていた。

 そして、ブーケの手配。招待状。披露宴の打ち合わせ……これはよくある話で、喧嘩をするだとか、当たり前の事だったので我慢をするしかない。


 すったもんだを繰り返し、結婚式はどんどん近づいてくる。

 ただ、私は毎日のように、何とかして式を中止にできないかと考えを巡らせる日々が続いていた。

『結婚を辞めたい!』と奥歯のすぐそばまで言葉はきていたが、吐き出せないまま式の当日を迎えた。





 結婚式の当日の私は、笑顔を忘れた花嫁だった。

 綺麗にヘアメイクを整えて貰っても、扉が開いて拍手で迎えられても、嬉しいという感情がどこにも……少しも……見当たらなかった。


 彼から旦那になった人の顔色を伺いながら結婚式と披露宴は進んだ。


 各テーブルを周り挨拶をしたのだろうけど、

 残念ながら私の記憶には残っていない。

 不思議と、来てくれた自分の身内と友人の記憶だけしかない。

 何を話して、何で笑ったのか。

 友人はどんな挨拶をしてくれたのか……何の歌を歌ってくれたのか……。

 全く覚えていない。



 二次会は、ホテルのカラオケルームで行われたが、私の友人を自分の両隣に座らせて、まるでホステスのように扱っている。

 そんな自分の旦那を見つめながら。

 早く二次会が終わらないかなと思いながら。



(やっぱり辞めておけば良かった……)



『僕を幸せにしてください!』

彼の言葉が甦ってくる。




私の【不幸な日々の幕】は上がった。

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