第32話 酒を覚えた鼠達

 今頃は絶対キャバクラだと思っていた丸顔神が突然後ろに現れたことに驚き、何時もなら丸顔神をイジる華菜が慌てて求美の後ろに隠れた。しかし丸顔神は華菜の発言を追求することなく、早津馬を見て「一人、選ばれし者ではない人間が混じってるようだが…。徳を極めていない人間に私の姿を見せる訳にはいかない。記憶を消すとするか」と言った。慌てる早津馬の前に求美が立ちはだかり「ちょっと待って早津馬なら大丈夫、信頼できる人だから」と言うと丸顔神が「どうしてそれが分かるんだ?」と聞いた。求美が少し恥ずかしそうに「私、華菜と一緒に早津馬と結婚したんです」と答え、続けて毅然とした態度で「信頼できる誠実な人の証になるでしょ。私が結婚の相手に選んだ人なんだから」と言った。すると丸顔神は「あっそう、お前が言うんなら間違いないな」と言った。軽い神様だった。求美が「私、もう人妻なんで軽々しくお前って呼ばないで!」と言うと丸顔神は求美を見ずに軽く「うん」とだけ答えた。軽く聞き流したようだった。言っても無駄だと思った求美は、せっかく自ら出向いてきた丸顔神なので実状を見せることが大事だと判断し、床に倒れている二人の男を指さし「見て、これ飛蝶がやったのよ」と言うと丸顔神は「ずいぶん飲んだみたいだねー、気持ち良さそうだ。後が地獄だと思うけど」と言った。求美が「飲んだんじゃなくて、飛蝶に飲まされたんだけど」と言うと求美の後ろに隠れていた華菜が出て来て「一昨日も酔いつぶれた人達を路上に次々捨ててたんで、この寒空の下そのままに出来なくて、介抱したり警察へ通報してもらえるようにいろいろ手を打ったりたり大変だったんだから」と言った。続けて求美が「今、協力者のアーチって呼んでる鼠に店を監視してもらってるんだけど…」と言いかけた時、そのアーチからトランシーバーで連絡が入った。「さっき出て行ったきり飛蝶が戻ってきません。それにホステス達もいつの間にか全員いなくなりました。あっ、いました鼠達が。ホステス達は消えたんじゃなくて、鼠に戻されたようです」その連絡を聞いた求美がつぶやいた。「逃げられた。多分、神の存在に気づいた」その後続けて「アーチ、お客さんはまだそこに残っているの?」と聞くと「何人か残ってます。床で寝てる人もいます」と答えた。華菜が「もうここに戻ってくることはないね」とつぶやくように言った。求美が丸顔神に「神のあなたに飛蝶が行っていることを、飛蝶の妖術の嘘を通さず直接見てもらって現行犯拘束してもらい、正当な裁判により偉大なる神の力で過去の悪事の洗いざらいを白状させてもらう、つもりだったんだけどなー。逃げられた。うまくいくはずだったんだけど…」と言った。続けて二階の現場の状況を思い、足元を見ながら「部屋の中だから寒さの問題はないと思うけど、飲みすぎで危険なお客さんがいるかもしれないから見るのを手伝って」と言い丸顔神の方を見ると、その姿は既になかった。「逃げられた。さすが神、察しが早いわ」と求美がつぶやいた時、丸顔神の声だけが聞こえてきた。「気をきかせて呼ばれる前に来てやったが、飛蝶の悪事の証明は出来なかったな。私は急用があるから先に帰るよ」丸顔神のその言葉に対し求美が「今、被害者を見たよね。それは忘れないでね」と言うと丸顔神が「一方の話を聞いただけで被害者と判断する訳にはいかんだろう。酔いつぶれた人間からまともな証言は取れないし、飛蝶から話を聞くにしても探し出すのに時間がかかるし、簡単に本当のことを言うとは思えない。罪が確定していない者に厳しいことは出来ないし私は忙しい。次の機会があったら呼んでー」とフェードアウトしていった。華菜が「去り方が軽いな、神と言うよりペーパーの紙だな」と言ったとたん、人間の姿の華菜が一瞬にして元の金色の大きな尻尾に戻った。そして丸顔神の声で「ペーパーの紙とはなんだ。しばらくその姿でいなさい」と聞こえその後続けて「今日はあの娘出てるかなー」と言う声がフェードアウトしていった。求美が尻尾の姿に戻った華菜に「確かに言いすぎたかもしれないけどここまでやらなくてもねー」と言うと、尻尾が何となくしゅんとしたように見えた。早津馬に説明するように求美が「神の力には歯が立たないので、どの位の時間か分からないけど許してくれるまでただ待つしかないの。でも今回は飛蝶とのことがあるのでそんなに長く待たないと思うけど」と言い、続けて「早津馬、ちょっと目をつぶってて」と言った。そして尻尾の姿の華菜に「その間、私に戻ってくるよね?」と聞くと、うなずくように尻尾が少し曲がった。尻尾の姿のまま行動する訳にいかない華菜が同意するのは当然だった。求美が早津馬に「華菜、言葉で答えないけどこの尻尾の姿でもしゃべれるんだよ。ただこの姿でしゃべると普段きれいな声がオナラみたいになるから、早津馬に聞かれたくないんだと思うな」と言うと、尻尾が居る辺りから一瞬変な音がした。「華菜が何か反論したくて、声が変わることを忘れて言いかけたんだな」そう見当がついた早津馬がわざと「華菜の顔、本当に可愛いよな。それだけで十分、他のことなんてどうでもいい」と言い、求美を見ると求美も「そうだよね」と笑顔で言った。大きな尻尾が嬉しそうに更に膨らんだ。その後早津馬が、求美と華菜を見ないように後ろ向きになった数秒後、求美が「早津馬、こっち向いていいよ」と言った。早津馬が振り返ると尻尾の華菜の姿が消え、人間の姿の求美だけがいた。求美が「一旦、私も狐の姿になって尻尾の華菜を取り込んで、私がこれこそ本当の姿だと信じている人間にまた戻りました」と早津馬に説明した。そして「そんなことしてるところ、早津馬に見られたくなかったから」とはにかんだ。求美のその姿を見て早津馬は本気で「可愛い!」と思った。求美と早津馬が見つめ合っているとまた一瞬変な音がした。二人共すぐに華菜が文句を言ってるんだと理解し救助を開始した。まず泥酔し横たわっている男の呼吸が安定しているのを確認した求美が男二人を一人で担ぐ姿を早津馬に見られたくなくて「二人を担ぐのは無理、この泥酔した人、早津馬担げる?」と聞いた。早津馬は内心「若い頃ならともかく今はきついなー」と思いながらも求美の手前、弱音は吐けず「大丈夫」と答えた。求美が泥酔者を軽々と担いだ。早津馬も担ごうとしたが、ふにゃふにゃした泥酔者はより担ぎにくく手間取っていると、急に軽くなって担ぐことが出来た。隣で求美がとぼけていたが、黙って手伝ってくれたのは明らかだった。「今、妖術を使った様子はない。妖術を使わずに泥酔者を担いだまま、俺の方の泥酔者まで持ち上げるとは…。この体勢だときっと片手で持ち上げたんだろうな、なんという怪力」と思いながらも、出会ったばかりの頃とは違い早津馬が求美に恐怖を感じることはなかった。逆に「妖怪って基本、可愛い生きものなのかも。飛蝶みたいに何にでも例外があるけど」とさえ思う早津馬だった。求美が泥酔者を担いだまま早津馬の体の右側に密着し、左手で腰を抱いた。そして屋上の端に寄ることなくその場で飛び降りる体勢をとると、早津馬に「飛び降りるよ」と言った。すると、求美と一体の時、そして求美が人間の姿でいる時は見えない尻尾の華菜が、求美のお尻辺りから黒い大きな布となって出現し、泥酔者を含めて4人を包みこんだ。求美を絶対的に信用している早津馬は、求美の掛け声に合わせてジャンプした。すると人を担いでいるにもかかわらず軽々と屋上から飛び上がり、そして空中を舞うシャボン玉のようにゆったりと漂いながらふわりと着地した。そこは路上だった。「凄い体験だ!」早津馬は驚きと感動に包まれ、それを求美と分かち合いたい衝動にかられたが、求美にはごく普通のことなのでそれに気づくことなく、早津馬は無視された。そしてそのまま黒い大きな布のようなものに包まれた状態で、求美と早津馬は泥酔者を担ぎ、前回とは一本別の脇道を中野通りと交差する角まで運んだ。そして前回と同じように男二人をビルに背を預けるように立てかけて立ち去った。飛蝶が逃げたとはいえアーチのことが心配な求美と早津馬は、アーチの元へ急いだ。そして部屋の前に着き、ドアを開けると3メートルほど先の床から小さくて黒いものが蜘蛛の子を散らすように一斉に散らばった。よく見ると一体だけ残っていた。完全に黒くは塗れずまだらに白い部分が見える包帯をしている鼠だった。そんな鼠、他にいない「アーチ」求美が呼びかけるとトランシーバーをじゃまそうにしながらその鼠が急ぎ足で求美の元へやってきた。やはりアーチだった。求美が「アーチ、本当に大丈夫なんだね?」と聞くと、アーチはそれには答えず、周囲を見回しながら何か鳴き声で叫んだ。求美が「何?」と聞くと「みんなに大丈夫だよって声をかけました」と言った。するとその鳴き声に呼応し、一斉に散らばった黒いもの達が恐る恐る顔を出してアーチの後ろに集合した。アーチが「みんな飛蝶にホステスに変えられて働かされていた仲間です」と言うと求美が「それは見当がついたけど、あそこにあるお酒とコップ、それにお菓子は何?床の上というのも気になるけど」と聞いた。するとアーチが「飛蝶から解放されたお祝いをしていました」と答えた。そして続けて「飛蝶のやつ急いでたのに仲間を鼠に戻してから出て行ったのは、不思議ですけど良かったです。人間の姿のままだとどう生きればいいか分からないので」と言った。求美が「証拠隠滅かなー、人間の言葉をしゃべれなくなるから」と言うと「なるほど」と納得するアーチだった。アーチのしゃべり方がいつもと違い少しろれつがまわらないことから「酔ってる。アーチ、酒を覚えたな」と求美が推測していると、いつの間にかアーチの後ろにいたはずの他の鼠達が、求美達が来るまでお祝いをしていた所に戻っており、コップに頭を突っ込みながら酒を飲んでいた。「酒の味を覚えたアーチがリードして他の鼠達にお祝いの席をつくらせたってとこか…。だけどここの酒めちゃくちゃアルコール度数が高いやつのはず、大丈夫だろうか?」鼠達を心配しながらも、泥酔している男達も心配な求美は、呼吸が乱れている者がいないか全員チェックし、緊急性のある者がいなさそうなので取りあえず安心した。そして床に倒れている者をソファに座らせて、視線を鼠達に戻すと求美が心配したとおり、全員泥酔しぐったりと横たわっていた。飲まされた客がどうなったか見ていたはずなのに…。

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