第28話 早津馬が虫に

 だが、逆にその横にいた求美の闘争心はマックスに達していた。早津馬がその求美を見て驚き、飛蝶に気づかれないように抑えた声で「求美ちゃん…、体全体がなんとなく青いけど大丈夫?」と聞くと、その言葉で興奮している自分に気づいた求美は自らの意思で心を落ち着かせ体から出ている青い光を消した。そして「済みません。いつの間にか興奮してしまいました」と声を抑えて答えた。華菜が求美にやはり声を抑えて「飛蝶に気づかれなかったかな?」と聞くと求美が「うーん、やっちゃったかな」と答えた。早津馬が「でも気づいたにしちゃ態度が変わんないよね」と言うと求美が「あいつ馬鹿なくせにこういう時に気が付かない振りしてとぼけたりするんです」と返した後、アーチにトランシーバーで「アーチ、飛蝶が気づいていると思って行動して」と言うとアーチからも声を抑えて「分かりました。注意します」と返ってきた。その時飛蝶は聴覚の感度をマックスに上げて求美達の会話を聞いていた。なので「気がついてるよ。求美のやつ私のことを馬鹿って、腹立つー。私には及ばないけれど並外れたパワーを持ってるあんたが興奮したんだから、能力がめちゃくちゃ高い私がいくら気を抜いてたって気が付かない訳ないじゃない。馬鹿はあんたよ」と心で思いながら何事もなかったかのようにビルの非常階段を上がって行った。泥酔男の処分はやめたようだ。しかし非常階段を上がる飛蝶は自分のお尻から人間には見えないが妖怪どうしには見える尻尾が出ていることに気づいていなかった。飛蝶の尻尾を確認した求美が「あいつ、尻尾が出てる。てことは私達を騙せてると思って気分を良くしてるってこと。私達の存在に気づいたってことだ。馬鹿は分かりやすくて助かるわ。もう、ひそひそ声でしゃべっても意味ないけど、大きい声でしゃべると馬鹿なあいつでもさすがに騙せてないことに気づくだろうから普通にしゃべろう」と言うと華菜が「騙されてるふりさえバレなければいいんだから楽だね」と相づちをうった。早津馬が求美に「このまま動かないで隠れているふりをしてればいいってこと?」と聞くと求美が「今は、ってことです。状況が変わったら臨機応変に対応してください」と答えた。早津馬が「了解」と返事をした。その時アーチからトランシーバーで「誰か非常階段を上がってくる音がします」と抑えた声で連絡が入った。その時突然求美の第六感が働いた。「何か危険を感じる、アーチすぐ逃げて」と求美がトランシーバーで伝えたがアーチからの返事はなかった。求美が飛蝶の気を探ったが特に変化はなく、しばらく静寂が続いた。求美が華菜にトランシーバーを使わないようアイコンタクトをし、早津馬に近寄り「アーチが捕まったかもしれないです」と言うと早津馬が「まだ分からないよ、アーチちゃんさっき捕まらない自信があるって言ってたじゃない。それに飛蝶かどうかは分からなくても非常階段を誰かが上がってくるのには気づいていたんだし」と返した。その時、早津馬が頬に息がかかるのを感じ横を向くと、全く気配を感じさせずに、いつの間にか華菜が自分のすぐそばに、と言うより早津馬の頬と華菜の唇がくっつきそうなくらいまで迫っていた。早津馬と目があった華菜がウインクした。早津馬は明らかに動揺を見せたが、当の華菜は何事もなかったかのように平然と求美に「私も少し様子を見た方がいいと思うな」と言った。求美が決断しかねているのを見た早津馬が「俺が見てこようか」と言った。早津馬の突然のこのくそ度胸の半分は、美少女の華菜の唇が自分の頬に触れそうだったことに興奮し、心が乱れていたからかもしれない。しかし当の華菜はそれには気づいていないようで「捕まっちゃうよ」と呆れ顔で言った。今の人間のまま潜入すればすぐ捕まることは早津馬も当然承知しており「例えば小さな昆虫とかに俺を変えられないかな?そうすれば見つからずに潜入できると思うんだけど」と言うと求美が「出来ますけど、今、夜なんで…」とまで言って、後を言いしぶった。「夜だと何か不都合なことでもあるのかな?」と早津馬が聞くと求美が「飛べる方がいいですよね」と聞いてきた。早津馬が「それは飛べた方が楽だと思うし早いよね。這っていったらなかなか二階のあの部屋までたどり着けないだろうし」と言って目的の二階の部屋の窓に視線を移すと、求美が言いにくそうに「夜だと蛾にしかできないんですけどいいですか?」と早津馬に聞いた。「もしもの時には蛾の姿で死ぬのか…。できれば蝶々の方が見た目がいいけどな」と言う早津馬に求美が「私が早津馬さんを夜の今変えられる飛べる昆虫は、蛾だけです。済みません」と言った。求美を大好きな早津馬はあっさり蝶々をあきらめ逆に「蛾、いいわ目立たないし、早く変身させて。急いでアーチちゃんの様子見てくるから」と言った。すると求美が「絶対嫌だって言うと思ったのに、本当に危険ですよ。早津馬さんを危険な目に合わせたくない」と訴えるような目で言った。いつもなら優しさを見せない華菜まで一緒になって「あいつをほめたくないけど超一流の妖怪だよ飛蝶は。あいつ馬鹿だけど、馬鹿だけど妖怪としての能力だけは凄いからね。早津馬、捕まっちゃうよ」と言った。飛蝶の凄まじいパワーを見たばかりの早津馬だったが意外にクールに「総合すると飛蝶は大馬鹿ってことだね、分かった。弱点として覚えておく」と言った。華菜が「大馬鹿とまで言ったつもりはないけど」とつぶやいた。早津馬の意志が変わらないと判断した求美が「何かあったらすぐ呼んでください。絶対助けます。もし助けられなかったら2~3日御飯が喉を通らなくなっちゃうので」と言った。「たった2~3日なんだ」と心で思った早津馬だが、出た言葉は「2~3日も、ありがとう求美ちゃん。これで思い残すことは何もない」だった。華菜が「無茶だー」と言ったが求美は「なんかいけそうな気がしてきました。あくまで私の直感ですけど。アーチのことも心配ですし」と言った。早津馬が体の正面を求美に向けうなずくと求美が「じゃ、いきます」と言った。阿吽の呼吸で周囲を見渡して人の目がないのを確認した華菜が姿を黒い大きな布のように変え、求美と早津馬を覆い隠した。周囲から求美と早津馬の姿が見えなくなり、黒い大きな布の華菜の姿も見えなかった。完全に光を遮断された状態になり、視界を奪われた早津馬だったが、なぜか何か香ってきた。状況から判断して華菜の体臭だと思うのだが、今まで抱きしめられても感じたことがなかったので不思議だった。すると華菜が早津馬にテレパシーで「早津馬が殺されちゃうかもしれないから、思い出に普段は出さない私の清々しい体臭を嗅がせてあげてる。感謝しなさい」と伝えてきた。「妖怪だからか…、人間の女の子だったら自分の体臭を嗅がせるなんて絶対にしないよな」と思う早津馬だが、確かに華菜の体臭は清々しくて、早津馬が以前嗅いだ時いい香りだと思ったものに似ていたが、香料に疎い早津馬にはそれが何か分からなかった。が、「華菜のやつ、俺が殺されちゃうかもとも言ってたな。これから危険な所に向かう時に縁起の悪いことを言ってくれる」とちょっと気を悪くしていると、早津馬が気を悪くしているのに気づいた華菜が黒い大きな布から美少女に姿を戻し「これで気が引き締まったかな。それにこういう話をするといい結果になるもの、早津馬大好きだよ」と可愛い表情を作って言い、早津馬の唇にキスをした。自分の妻なのだから不自然ではないのだが、まだ慣れていない早津馬が興奮状態になりながらも冷静に「やっぱり華菜のやつ、俺が死ぬと思ってる」と心の中でつぶやいた。華菜が早津馬にキスをしたのを見た求美も「早津馬、気をつけて」と言って早津馬の唇に華菜がしたよりも長く自分の唇を密着させた。華菜が「ボスが早津馬って、呼び捨てにした」と言うと求美が「呼び捨てしたかったんだ」とだけ言った。美少女の連続キスで頭の中が溶鉱炉のようになりながらも、どこかに冷静な部分が残っていた早津馬は「急に呼び捨てにしたってことは求美も俺が死ぬと思ってるってことだ」そう思うと逆に「それなら俺も日本の男、武士に二言はない。使命を完遂するまで…」と心にいつの間にか武士道精神をたぎらせていた。心の中で意識することなく求美を呼び捨てにした早津馬が真剣な目で求美に(武士道精神を持った)蛾への変身を訴えると同じくそれを真剣に受け取った求美が華菜に目で伝え、華菜がまた周囲を確認して黒い大きな布に姿を変え、求美と早津馬を包んで周囲から見えなくした。求美が早津馬に息を吹きかけてきた。これまたいい香りで早津馬がうっとりとして目をつぶると、すぐに地面が柔らかな感触に変化した。目を開けると早津馬がいたのは地面ではなく巨大な求美の手のひらの上だった。蛾に変身したのを足を見て確認し、華菜が美少女に姿を戻して周りが見えるようになったので見渡すと、やはり人間の時に見ていた風景と大きく違って見えた。顔を正面に戻すと求美が自分を見ていた。そして求美が早津馬を蛾に変えた結果を確認しようと顔をどんどん近づけてきた。ほとんど目しか見えなくなった。本当に綺麗な目だったので思わず「綺麗」と言うと求美が「やだー」と言って、早津馬を載せているのを忘れて口を隠すように手のひらを当てた。どうやって声が出るようにしたのか分からないが、蛾になっても会話出来るようにしてくれていたのだ。蛾の早津馬は求美のやや開き加減の口の上下の唇に押し付けられた。かなりの力で押し付けられたが求美の唇の柔らかさに救われ体にダメージを負うことはなかった。すぐに蛾の早津馬を自分の唇に押し付けたことに気づいた求美は口から手を離したが、鱗粉が唇に着いたため条件反射で思わずくしゃみをしそうになった。が、不思議なことに嫌な味はせず、それどころか爽やかな甘ささえ感じた。求美が「変身させたのが好きな人だと蛾の鱗粉もこうなるのか、新しい発見だ」と目を輝かせているとそれに気づいた華菜が「鱗粉が甘い種類の蛾なんじゃない」と水を差した。求美の冷たい目に気づいた華菜がその視線から逃れるように横移動して行った。その時早津馬は「求美の唇を全身で感じるなんて二度と出来ることじゃない、良かったー。本当に柔らかくて気持ち良かったなー」としみじみ浸っていた。呼び捨てに成功した求美が早速「早津馬ー、飛ぶ練習しとこう」と正に恋人同士の言いかたで話しかけてきた。「可愛い!」思わず早津馬がそう言うと求美が照れた。いつの間にか戻ってきていた華菜がその状況が面白くなかったのか「アーチの様子、いつ見に行くの」と少し怒ったように早津馬に言った。求美も返す言葉がなく早津馬に飛び方を説明した。それは簡単だった。早津馬が頭で「飛ぶぞ」と羽根に命令すると自然と羽根が動きだした。羽根が動いた勢いで早津馬の蛾は求美の手のひらから飛び立ち求美の顔を何とかかわして、と言うか求美にかわしてもらって初飛行が始まった。飛ぶ方向をどうコントロールするか聞く前に飛びたってしまったので勘でコントロールしてみると、意外にふらふらしながらも飛べた。そして何とか飛蝶のいるビルの二階の窓ガラスまでたどり着きはり付くことができた。早津馬が「おっ、はり付けた」と思った瞬間、眼前に飛蝶の顔がどアップで現れた。

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