第16話 飛蝶の悪事:初級を現認

 求美が見張り場所に着くとそこには酔っぱらった華菜がいた。それでも見張りだけはきちんとしていたようで求美が「何かあった?」と聞くと少しろれつが回らない感じで「特に何も。ああ一つあった。飛蝶が何処か出かけて10分位で戻ってきた。後をつけようか迷ったんだけど、私が道に迷いそうだったから…」と華菜が答えた。求美が「それでいいよ、あいつは危険なやつだから。華菜を危険な目に遭わせたくない。まあ私の体の一部だし」と言うと酔っぱらっているはずの華菜の目が潤んだように見えた。求美が「その時何か持ってなかった?」と聞くと華菜が「なんか籠みたいなものを持ってた。またそのまま持ち帰ってきたけど」と答えた。求美はピンときた。「ホステスを補充してきたんだ。鼠の…」求美のその言葉を聞いた華菜が「何時間か前に逢ったばかりの私達が近くに来ていないか見回りに行ったんじゃないんだ…。私達もなめられたもんね」と呆れた。すると求美が「あいつは馬鹿だから忘れてるだけよ」と言った。その時ビルの中で飛蝶がくしゃみをした。求美が続けて「あいつは昔から肝心なところ抜けてるから、だから今も抜けたまま。間違いない」と言うとビルの中で飛蝶がまたくしゃみをした。そして「誰か私のこと綺麗って噂してる」とつぶやいた。飛蝶、なかなかの強敵である。ホステスの補充用に連れてこられ、人間に変身させられて店の準備をさせられていた元鼠達がこの言葉を聞き全員こけた。それを見た飛蝶がムッとした表情で「さっき一人一人やること教えたよね、早く準備しな。もたもたしてると全員ゴキブリにするよ」と言うと元鼠のホステス達が慌ただしく動き始めた。鼠もゴキブリにはなりたくないようだった。飛蝶が元鼠のホステスの一人に「さっき酒の注文するように携帯渡したよね。ちゃんと注文した?」と聞くとそのホステスがおどおどしながら「まだです」と答えた。「いくら深夜営業している酒屋だって一晩中開けてる訳じゃないんだよ。使えないねー」と言って飛蝶がそのホステスを睨み、鋭い視線を送ると一瞬の間に姿が消えた。良く見ると消えた所の床の上にゴキブリがいた。周りから悲鳴が上がった。ホステスからゴキブリに変えられた元鼠は何がおきたのか分からずしばらく周りを見まわしていた。飛蝶がその隣にいた別の元鼠のホステスに顔を向けるとすぐさまそのホステスが「私、行ってきます」と言い部屋を出て行こうとした。飛蝶が「逃げるつもりじゃないだろうね。あんた店が何処にあるか知らないよね」と言うとそのホステスが観念したように体を硬くした。その様子を見てニヤリとした飛蝶は「こっちに来な、店の場所教えるから」と言い、続けて「逃げようたって逃げられないよ私からは絶対に、覚えておきな」と言った。そのホステスは飛蝶から酒屋の場所を聞き飛蝶の「早く行ってきな」の言葉に追われるように慌てて出て行った。その飛蝶とホステスのやりとりの間に、自分がゴキブリに変えられたことを知った元鼠はゴキブリの姿で殺されたくないと思ったのか、ドアの隙間をとおり部屋から逃げ出していた。そしてゴキブリとしての動きにまだ慣れていないなか何とか非常階段のドアまでたどり着いたが室内のドアと違って外との出入り口のドアは密着度が高くゴキブリといえど外に出られる隙間がなかった。それでも逃げたい一心で通れる隙間を探してドア下部と沓摺の間に入って右往左往していた。その時飛蝶の命令をうけ酒屋に急ぐ元鼠のホステスが非常階段のドアの前まで来るなり勢いよくドアを開けた。まだゴキブリに成れてない元鼠はその風圧に負け勢いよく外に飛ばされた。そして一度階段に当たってバウンドし地面に叩きつけられた。ゴキブリなら飛べるはずなのだが、まだ飛ぶことに慣れてない元鼠は引力に逆らうことなく落下した。「痛い!」と地面と当たったお尻を前足でさするとなぜかいつもの馴染んだ感触がした。なぜだろうと思い前足を目の前にもってきて驚いた。元々の鼠としての自分の前足だった。首をまわし見える範囲全て元々の自分の体だった。2階から落下し地面に叩きつけられる間のどこかで飛蝶の術が解けたのだ。

ピンポンパンポーン

 「物語の途中ですが出演者の中から「これはパクリなのでは?」という指摘がありましたので、私丸顔神(このあだ名は嫌いなのですが物語の中で使われているので)がジャッジいたします。判決、主文、被告は無罪。階段を転げ落ちない、また男女が入れ替わることもない、以上からパクリ疑惑は否定されました」

ピンポンパンポーン

 元の鼠に戻れた喜びと二度とゴキブリに変えられたくない必死の思いからその鼠はやみくもに全力疾走で走り出した。他方、ビルの中でそんなことがおきていたとは露知らずの求美と華菜だったが、非常階段から急いで下りてくるホステスには当然気がついた。しかし飛蝶ではなかったので監視対象から外すことにした求美はホステスをやり過ごした後、華菜に「じゃあ交代しよう」と言い、「うん」と言ってうなずいた華菜は待機所になっている居酒屋に向かって歩き出した。ちょうどその時、飛蝶の術が解けやみくもに全力疾走していた鼠が、歩き出したばかりの華菜の足元を走り抜けた。それに気づいた華菜が「きゃー」と叫んで求美の元に戻って抱きついた。「華菜って可愛いな」と思いながらも飛蝶が気づかなかったか気になる求美がビルの2階の窓を見るとやはり聞こえたのか飛蝶が姿を現した。求美と華菜はビルのへこみにぴったりくっつき自分達の気配を最大限消した。飛蝶は窓を開けビル下の道路を見回していたが求美と華菜の存在に気づくことなくやがて窓から離れていった。安堵した求美が華菜に「どうしたの?」と聞くと華菜が「鼠が急に足元に出てきた」と答えた。求美が「狐が鼠を怖がってどうするの?」と言うと華菜が「アーチを見てると鼠も侮れないと思うようになったんだ。もちろん姿が見えてれば何も怖くないけど、知らないうちに後ろに回られてたらと思うとちょっと怖い。アーチけっこう頭いいから」と言った。「アーチだけ特別なんじゃないかな」と言う求美に華菜が「そっか、そうだよね」と返した。そして華菜は求美に笑顔で手をふりながらアーチのいる待機所となった居酒屋に向かった。求美が一人で見張りに立ってしばらくして、酒を仕入れに行っていた元鼠のホステスが酒屋の軽トラックに乗せてもらって帰ってきた。そして酒屋の従業員と一緒に酒の入ったケースを持ち非常階段を使い2階に上がっていった。求美は注意深くその二人の後を付けて非常階段を上がり2階の外ドアを少しだけ開け中を覗いた。すると廊下を10メートルほど行った先にあるドアの前に酒屋の従業員が立っておりドアをノックしていた。元鼠のホステスはその背後に身を隠すように立っていた。内開きのドアが開いたのが部屋の明かりが見えたことで分かった。相手を見た酒屋の従業員が驚いていた。それは横顔からでも分かるくらいだった。超美人なのは認めざるを得ない飛蝶が応対したからなのは明白だった。「ここに置いて」と言う飛蝶の声が聞こえた。酒屋の従業員が一人で酒の入ったケースを持って部屋の中に消えた。元鼠のホステスもその後に続いた。だが酒屋の従業員がすぐに部屋から出てきた。まだ運んでいない酒の残りがあるようだ。飛蝶に存在を気づかれるので妖力を使えない求美は素速い動きで非常階段を下り酒屋の軽トラックを盾に身を隠した。酒屋の従業員は超美人の飛蝶にいいところを見せたいのか、元鼠のホステスを呼ぶことなく一人で酒のケースを持ち非常階段を上がっていった。気づかれないように少し間をおいてその後を求美が追い、また外ドアを少し開けて中を覗くと酒屋の従業員が酒のケースを足元に置き請求書を飛蝶に渡そうとしているところだった。すると飛蝶が「明日払うからまた出なおしてきて」と言った。酒屋の従業員が「社長から代金と引き換えでって言われてるんで、今お願いします」と言うと飛蝶が「私は特別でしょ」と言って酒屋の従業員の手をとった。すると一転「明日またうかがいます」と言って外ドアに向かって歩き出した。今度は酒屋の軽トラックに隠れることが出来ないと判断した求美は外ドアと一緒に動いて酒屋の従業員をやり過ごした。酒屋の従業員は振り返ることなく軽トラックで走り去った。求美がまた外ドアを少し開け中を覗いてみると、元鼠のホステスが恐る恐る「アルコール度数の高いやつだけ適当に30本ってことだったので値段見てないんですけど請求書、見なくて大丈夫ですか?」と飛蝶に聞いていた。すると飛蝶が「なぜ見る必要があるの?払わないのに。今、あの男の今夜の記憶消しといたから、何を何処に配達したか覚えてないよ。私に代金を払わせようなんて百万年早いのよ」と答えた。元鼠のホステス達が口々に「百万年…」と言いながら驚いた顔をしているのを見た飛蝶が「私はババアじゃないからね!」と怒鳴った。求美は声を出さずに笑いながら見張り場所に戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る