第15話 久しぶりの酒と初めての酒

 まず中野通りに出てそれから中野駅の方に向かった求美と華菜は、早稲田通りを超えた所で居酒屋のありそうな東寄りの路地に移動し、駅からの人の流れをさかのぼるように進んだ。少し進むと、すぐに勝手に思い描いていたイメージに近い居酒屋が見つかった。それは小さな居酒屋で見るからに一般庶民が通いそう…と言うより一般庶民しか通わなそうな店構えをしていた。「ここなら安く飲めそう」そう思った求美は華菜に「入ろう」と促した。求美と華菜は妖怪なのでどんな居酒屋だろうが気にならないのだが、性格が真面目な妖怪なので今現在一番気になる節約のため安く飲めるかだけが居酒屋を決める判断材料だった。なので安く飲めると判断した求美と華菜は何のためらいもなく中に入った。入ると全部で15席くらいあり、半分くらいが客でうまっていた。空いていたテーブル席に求美と華菜が並んで座り、日本酒と唐揚げを注文した。常連と思われる客に「母ちゃん」と呼ばれていた中年女性が求美と華菜のテーブルまで来て「日本酒は冷や、それとも熱燗」と聞いた後ちょっと首をかしげ「凄く若いねー、未成年ってことない?」と華菜に言った。狭い店内に響くその言葉に反応し客全員が一斉に求美と華菜を見た。カウンターに座っていた客の一人が「若いし凄え可愛いな!」と言った。その声を聞いた求美がすぐ反応し「本当ですか?」と聞くと客が「二人とも本当に可愛い、姉妹なの」と聞き返してきた。すぐに自分が姉で華菜が妹という意味だと理解した求美が、実年齢が同じなので「私達双子なんです。だから年齢は同じ21歳です」と答えた。華菜が心の中で「誰かに話すときの設定がいつもと違う。求める美で、求美。自分も若いアピールか…」と思っていると母ちゃんが華菜を見ながら「確かに顔は似てるけど…こっちの人は若いっていうより幼く見える。本当に双子なの?」と求美に聞くと、求美が答える前に別の客が「確かに16~17に見えるな」と言った。求美が「幼く見られるんですよねー」と言った後、母ちゃんと客全員に妖術を使った。すると途端に客の一人が「いいじゃない、信じてあげなよ」と言い、母ちゃんも「人は見かけによらないっていうしね」と言った。最初に声をかけてきた客が母ちゃんに「この子達にコップを用意してあげて」と言うと母ちゃんが求美と華菜の前にコップを置いてくれた。するとコップを頼んでくれたその客がカウンターから求美と華菜の横に来て「ビール飲めるよね」と言い、返事を待たずに自分のビールを注いでくれた。ビールが酒類だということは見当がついたが飲んだことがなく、現在の世情に疎い求美と華菜がどうしたものか躊躇していると母ちゃんが「その人のビールは飲んで大丈夫だよ」と言ってくれた。なのでアルコールに飢えていた求美と華菜は顔を見合わせた後、声を合わせて「遠慮なくいただきます」と言い二人とも一気に飲み干した。そして本当に美味しくて、自然と「美味しい」と呟いた。それを見ていた客達が「いける口だね」と言い求美と華菜が飲み干すたびに次々とビールを注いでくれた。母ちゃんが「今日は売り上げが伸びるぞー」と笑顔で言いながら、求美と華菜が注文した日本酒と唐揚げをカウンターの常連に運ばせた。日本酒は勝手に熱燗になっていた。求美と華菜がおちょこで飲み、今現在の日本酒の美味しさに感動している姿がまたチャーミングだった。若くてもの凄く可愛い子が二人もいるという普段では有り得ない環境が客達の心を煽り「これ飲みなよ」とか「これ食べなよ」と勧めだした。求美と華菜がそれぞれを飲み、食べる、それだけで居酒屋店内が華やいだ。華菜が求美にテレパシーで「お金使わなくても飲めるんだね」と送ると求美から「そうだね、これから毎日飲もうね」と返ってきた。テレパシーを送っていない母ちゃんまでぴったりのタイミングで「これから毎日来てね」と言った。もの凄く可愛いというのは使い方次第でもの凄く人を幸せにするようだ。たとえそれが奢らせられているだけであっても。求美と華菜はいつの間にか時の流れを忘れていた。次の見張り役の華菜が突然思い出した。「あっ、交代時間過ぎたかも」求美がスマホで確認すると確かに10分程過ぎていた。アーチのいる所までの移動時間もある。求美が「大分遅れてる。アーチが可哀想、華菜急いで」と言うと華菜が慌てて出て行った。それを見た母ちゃんが「あら、もう帰っちゃうの?」と言うので求美が「違います。交代で仕事していて、今時間になったので交代に行ったんです。別の仲間が入れ代わりでここに来ます」と言うと母ちゃんが「まだ仕事中だったの、大変だねー。普通の人じゃ飲んだら仕事になんないけど、あんた達なら十分できそうだもんね」と言った。誰でも理解できるその言葉に求美が苦笑した。最初にビールを注いでくれた客が「一人ならこっちで一緒に飲もうよ。奢るから」と言ってくれたので求美は笑顔で席をその客の隣に替えた。時折笑い声を上げながら差し障りのない話をして飲み続けた。いつの間にかかなりの時間が経過していた。求美がまたアーチのことを忘れ隣の客と談笑しているなか、居酒屋の出入り口の引き戸が静かにゆっくり開いた。そして華菜と交代したアーチが頭を低くして恐る恐る入ってきた。店内を見まわして求美の存在に気づいたアーチは安堵したが、すっかり油断していた求美はアーチが来ることを忘れていて気がつかなかった。求美が全く緊張感無しに客と大笑いしているのを見たアーチが唖然としていると母ちゃんが「いらっしゃい」と声をかけた。その声に反応し酒のコップを手にしたまま振り向いた求美が、自分を見ているアーチに気づいた。隣の客に手でアーチを指し「ちょっといいですか、あの娘と話がしたいので少しだけ」と言うと客は「早く戻っておいで」と言い笑顔で送りだした。元のテーブル席に戻った求美がアーチを華菜が座っていた席に座らせ「どんな感じ?」と聞いた。するとアーチがその質問に答えず「聞いてください。華菜さんの説明が下手でここを探すの本当に大変でしたよ!」と言った。求美が「ごめんね、あの娘そういうの苦手だから…」と言うとアーチは「そうなんですか。じゃあしょうがないですね」と言って自分が勝るところを見つけてほくそ笑んだ。「それでどんな感じ」とまた求美が聞くとアーチが「まだお客さんを引っ張り込んではいないです。でも今回は楽をしたくなったんでしょうね、自分は出て行かず代わりに若い女性5人が出て行ったので言葉は悪いですけどカモ探しに行かされたんだと思います。その女性達私の時と違って出来が良くて、見た目がまるで人間で顔も飛蝶の顔をコピーしたような…、言いたくないですけど綺麗な顔でした。ただ5人とも同じ顔だったので変身させられたのは間違いないです。また仲間が変身させられてタダでこき使われるんだと思うと腹が立ちます」その言葉を聞いた求美が冷静に「今回は外に出すからレベルを上げたんだろうね。飛蝶の顔をコピーって言ったけどこっちは逆に数段レベルを下げてるよね」と言うとアーチが「さすが求美さん飛蝶のこと分かってますね」と少し驚いた表情で言った。「あいつはそういうやつだから」と言って求美はしたり顔をした。そして「被害者を増やさないように早くなんとかしないとね」と言葉を続けた。思い出したようにアーチが「今頃なんですけど飛蝶は凄い能力があるのになんで直接人間からお金を巻き上げないであんな回りくどいやり方してるんですか?」と求美に聞いた。「そんなことしたら人間界で大騒ぎになって大変なことになるでしょ、陰陽師って言うんだけど人間の中には凄い能力を持ってる人がいたりするし自分の身が危うくなるからよ」と求美が答えるとアーチが「なるほど、そうなんですね」と言ってうなずいた。「カモ探しに行ったんなら探す時間と徹底的に泥酔させる時間を考えるとまだしばらくかかるわね。アーチも飲んで、私も飲んじゃってるし」と求美に言われたアーチが「初めてのお酒なんですけど、大丈夫ですかね?」と言った。「飛蝶に泥酔客の相手させられた時は飲まなかったの?」と求美が聞くとアーチが「自分が飲んでる暇なんてなかったですよ。飛蝶がどんどん飲ませろってうるさくて」と言った。アーチが「初めてのお酒」と言ったのが気にかかった求美だったが、自分が飲んでる手前今更アーチに飲むなとも言えず「大丈夫、飲んじゃえ」とアーチに言って、母ちゃんにコップを頼んだ。もちろん、さすがに日本酒は怖いのでビール用のコップを。求美が節約にこだわっているのを知っているアーチが「お金大丈夫ですか?早津馬さんいないですけど」と小声で求美に聞くので求美が少し声を張って「大丈夫、奢ってくれるってあの人達が」とカウンター席の客に向かって言うと全員振り返り「いいよ」と言った。アーチの肩に手をおき「この娘も私の仲間なんでよろしくお願いします」と言うとじっくり品定めするようにアーチの顔を見て「さすがに3人とも超Aランクとはいかないか…」と客の一人が言った。すると別の客が「失礼なこと言うなよ」とその客に言った後、求美を見ながら「あの子が別格なだけ、この子だって十分可愛いじゃないか」と言うとまた別の客が「人は見た目じゃないからな」と言った。求美がアーチがしょげていないか気になりアーチを見ると「傷付いちゃうな、うら若き乙女なのに…、傷付いた心の治療薬ください」と言って用意してもらった空のコップを持って「人は見た目じゃないから」と言った客の前に行きアーチがコップを差し出した。するとその客が「姫様にビールをお注ぎできるとは光栄のいたり」とユーモアをきかせ自分のビールをコップのふちぎりぎりまで注いでくれた。そのユーモアに対しアーチが「良き心がけじゃ」と返してコップを口につけビールを一口飲むなり「苦ーい」と言って顔をしかめた。ビールを注いでくれた客が「一番年上そうなのにビール飲むの初めてかい?」とアーチに聞いた。「一番年上そう」という言葉にカチンときたアーチが残っているビールを一気に飲み干し「久しぶりだったからです」と虚勢をはった。本当は凄く苦かったが意地で顔には出さなかった。「この子もいける口だねー」と言って別の客がまたビールをコップになみなみ注いでくれた。それをアーチが苦いのを無理してまた一気に飲み干した。そして笑った。他の客もつられて笑った。店内が明るく楽しい雰囲気になった。「アーチは陽気だし場を盛り上げられるいい娘だ。」と思う一方「飛蝶はそれを見抜いてアーチを選んだんだろうか」と思う求美だったが当然それは面白いことではなく、その考えを忘れるように残っていた日本酒を一気に飲み干した。アーチが盛り上げ役となり客全員を一つにまとめ上げ、さながら非常に遅い新年会のようになっていった。自然とその会に加わっていた求美がアーチに「良き心がけ、なんて言葉知ってるんだね。何処で覚えたの?」と聞くとアーチが「飛蝶の客の一人が泥酔してるくせにやたら使ってたので自然と覚えちゃいました」と言った。一瞬ヒヤリとした求美だったが飛蝶のことを知る人がいるはずがないのでほっと胸をなで下ろした。アーチは酔っぱらいはじめていたのか何も気づいていないようだった。求美が加わったことで場はより盛り上がりあっと言う間に時が過ぎて行った。「自分が遅れる訳にはいかない」と思って気を張っていた求美は予定通りの時刻にアーチに耳打ちし居酒屋を出た。華菜のことが心配な求美が急ごうとした時、居酒屋の店内から大きな笑い声が聞こえた。求美は「やっぱりアーチはこの道の天才に違いない」と思いながら華菜のいる見張り場所へ急いだ。

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