第6話 正体を明かす

 求美のその言葉で早津馬は思いだした。殺生石の近くに温泉街があったことを。「この娘達、毎日温泉につかってたのか」そう考えた早津馬の脳裏に狐が温泉につかっているシーンが浮かんだ。ほっこりしている早津馬の顔がニヤついて見えたのか華菜が「やっぱり覗くつもりでしょ」と言った。あわてて顔をひきしめた早津馬が「絶対覗かない、まあちょっと想像はしたけど」と言うと求美が「お湯につかってる時ならいいですよ」と頬を赤らめながら言った。早津馬は「覗きません」と答えながら「ということは入浴するときは人間の姿で入るのか?」と自問した後「ドラマの妖怪だとどっちの姿でもオーケーだったよな」と自答していた。バスタブにお湯をはりながらバスタオルを用意している早津馬に求美が「お湯につかるまでは部屋の方にいてくださいね、後はやりますから」と言って早津馬を部屋の方に押した。「いや、本当に見ないから」と言って、早津馬が自らも部屋に移動してドアを閉めた。「風呂も二人で入るんだ」と早津馬が思っていると浴室の方から何かごそごそしている音が聞こえた「そういえば着替えあるのかな」と思い「まだ上着を脱いだくらいだろう」と思った早津馬がドアを開けようとしたがドアノブはびくともしなかった。「まあ困れば言ってくるだろう」と思いながら早津馬が畳の上にごろっとした時風呂の方からドンという音がした。「痛い」と求美の声がしたので、早津馬が「大丈夫?」とドア越しに聞くと「頭をぶつけてしまいました。でも大丈夫です」と返ってきた。それから少したった頃早津馬の目に、風呂のある方の壁に何かふわっとしたものが浮かび上がってくるのが見えた。そしてそれがだんだんはっきりしてきた。それは昼間見た金色の大きな狐の姿だった。何か口ずさみながらシャワーを浴びていた。早津馬が驚いて固まっているとその視線に気づいたように早津馬の方に首を向けた。体は金色だが顔は白色だった。じっと早津馬を見ていたがそのうち何もなかったかのように再びシャワーを浴びだした。その後、壁に浮かんでいた金色の狐の姿は徐々に薄くなりやがて消えていった。早津馬にすれば正に狐につままれたようだった。「俺に正体がばれたことが分かったら危ない」そう思った早津馬が逃げようとしたが早津馬のいる部屋のガラス引戸も窓も全て開かなかった。ただひとつ、風呂の入り口の前に面するドアノブはいつの間にか回るようになっていたが、ドアの近くに人の気配を…、いや狐の気配を感じて出られなかった。ドライヤーの音がしだした。「髪、いや全身を乾かしているのだろう。こんなのんびりしていて危害を加えてくるとは思えない」自分にそう言い聞かせてどっしり待つことにした。そう心を決めたら今度は「全身乾かすのに何十分かかるんだろう、電気代がかかるなー」そう考える早津馬の脳裏に、車の中で見た狐の九本のフサフサの大きな尻尾が浮かんできた。「電気代、節約してるのになー、でも言えないよなー」そう思っていたが、緊張感があっても日頃から寝不足の早津馬はいつの間にか寝落ちしていた。どの位時間がたったのだろう、目を覚ますとドライヤーの音は止まっていた。数分後ドアが開いた。「ごめんなさい、ドライヤーの時間が長くて」と求美が言った。「さっき考えていたのを読まれていたのか」早津馬がそう感じた時、華菜が「ドライヤーなんか使わなくても簡単に乾かせるんですけど、アパートが燃えちゃうからから仕方ないですよ」と言った。油断していた求美が華菜のその言葉を止められず早津馬を見た時、早津馬は意を決して「俺なんかに若くて可愛い娘が声をかけてくるなんておかしいと思ったんだ。九尾の狐だよね」と言った。その言葉を聞いた求美が「やっぱりさっき見られてたんですね」と少し落胆した様子で言った後、いつからですか、正体に気づいたのは?」と続けた。早津馬が「車の中で二人寝たよね、その時狐になってた」と言うと華菜が「そうなんですよー、気を抜くと狐に戻ってるみたいなんです」と言い求美も「神様から決して人間には気づかれないようにって言われてたんですけど、早津馬さんがいい人すぎて油断しちゃいました」と続けた。早津馬が自分の身を守るため機先を制し「絶対誰にも言わない、信じてほしい」と真剣な目で二人を交互に見ながら言うと、華菜がいつもの軽いノリで「本当ですかー」と言った。早津馬が必死なのが面白いようだった。求美が「困った尻尾!」と思いながら華菜を見ていると華菜が続けて「私達のことをばらすと判断したら記憶を消すことになります。当然、私達のことを知れば知るほど消す記憶の領域が広がりますので…」と言った。すると求美がもっと怖いことを言った。「華菜、そんな嘘をついちゃ駄目」と言った後、華菜から早津馬の方に視線を変え「早津馬さん、私達そんな微妙なコントロールはできません。記憶、全部消えちゃいます。自分が誰かも分からなくなります」と言った。それを聞いた早津馬が「えー」と声をあげた。続けて「死んだも同じじゃないか」と言った後「絶対誰にも言わない。実際この歳まで口止めされたことだけじゃなく自分でそう判断したことは誰にも言ったことない…。実績がある、本当だよ」と言うのを聞いた求美は「普通の人間なら絶対嘘だけど早津馬さんなら信じられる」と直感した。早津馬がその後も求美と華菜を交互に見ながら「記憶、絶対消さないでよ」と真剣に言うのを聞いた華菜はさすがにからかうのをやめたが、口調は相変わらずで、極めて明るく軽く「はーい、分かりましたー」と答えた。早津馬の不安を消すものにはならなかった。しかし求美の表情からはそれを上回る安心を得ることができた。その安心が手伝って「さっき神様に言われてたって言ってたけどどういう関係?」と聞いた早津馬に求美が「そのことは信用の面だけじゃないので…」と答えた。「危険な質問だったかな、じゃ質問を変えます。さっき壁に浮き出た大きな…、いやちょっと大きな狐は一匹…、じゃない一人だったけど、もう一人、多分華菜さんだと思うけどどこにいたのかな?」と言葉に気をつけながら早津馬が聞くと求美が「これは私と華菜、二人のことだから話せます。華菜は私の九本ある尻尾のうちの一本なんです。私自身、理由は分からないんですけど他の八本は私の命令がないと動けないんですけど、華菜だけ勝手に自由に行動できるんですよ。私も別に気にならないのでそれでいいかなって。さっきのお風呂の時は私の体に戻ってきてたんで見えたのがまあ、一匹だった訳です」と言った。早津馬が「一匹って言ったの気にしてる」と思い求美を見ると笑顔だった。それもとびきりの、どうやらわざと一匹と言ったようだ。求美の笑顔を見た早津馬の顔がゆるんでいくのを見て華菜が「ニヤついてる」と早津馬を見ながら言った。それにあたふたしながら早津馬がもう一つの疑問をぶつけた。「荷物がやたら少ないから着替え持ってないんじゃないか心配してたんだけど、二人ともちゃんと着替えてるね」すると求美が「自分から言いたくないんですけど妖怪ですから…、服を妖術で別の服に見えるようにすればいいので」と言った。「気を悪くさせたかな」と思った早津馬が「服のセンスがいいね、すっごく可愛いもん」と言うと求美が「うれしい、早津馬さん大好きー」と言って求美にしては大胆に、正面から早津馬に抱きついた。急に抱きつかれてびっくりした早津馬だが相手が妖怪だと分かっていながら顔はだらしなくなっていた。それを見ていた華菜がわざと「私もー」と言って早津馬の背中側から抱きついた。当然、華菜の顔はニヤついていた。からかわれているのも知らず初老の早津馬の顔はでれでれになっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る