第5話 油断した求美

 それは大きな金色の狐だった。しかも何本も尻尾をつけている。すやすや気持ちよさそうに寝ていた のでとりあえず襲われる危険はなさそうだったが求美と華菜のことが心配になった。がしかし思いだした。二人と出会ったのが殺生石の前だったことを。早津馬には九尾の狐の伝説の知識があった。九尾の狐が化けた玉藻の前が絶世の美女だったということも。「九尾の狐だ間違いない。伝説だと悪い狐だ。しかしさっきまでの態度からみてそうは思えない。いや悪い奴ほど最初は人当たりがいいもんだ…、そうだ気づかないふりして阿佐ヶ谷まで行って降りてもらおう。それがいい」そう心を決めた。襲われるかもしれないという恐怖と緊張のせいなのかなぜか浦和で高速を降りてしまった。更にあせりながら先を急ぐなかで疑問がうかんだ。「そういえばさっき見たのは狐一匹だけ、もう一匹はどこに?まさか…」と交通の安全を確かめながら助手席を含めサードシートまで見渡したが存在を確認できなかった。訳が分からないまま阿佐ヶ谷駅までそう遠くない所まで来た時、早津馬の優しい性格のせいなのかタクシードライバーの性なのか、さすがに後ろは見ずにだったが「阿佐ヶ谷駅でいいの?それとも…」と聞いてしまった。車を適当な有料駐車場に止めてアパートに帰ってしまうという手段があったのにと早津馬は後悔した。すでに人間の姿に戻っていた求美が目を覚まし「ここはどこですか?」と早津馬に聞いてきた。やっぱり求美と華菜の今の姿が気になり恐る恐るルームミラーを見ると出会った時の可愛い求美がいた。そして華菜も。「もう一匹はどこにいたんだろう」早津馬がその疑問をもちながらもルームミラーで見る二人は、さっき見たのは現実だったのか疑いたくなるほど可愛いかった。だが居眠り運転をしていた訳ではないので疑う余地がないのも事実だった。求美は油断して自分が狐の姿を見せてしまったことに気づいていなかった。平静を装った早津馬が「もう少し行くと阿佐ヶ谷駅だけど、どこで止めたらいいかな?」と言うとすかさず華菜が「早津馬さんのアパートはどこなんですか?」と聞いてきた。早津馬は「教えると妖怪のこの娘達に何をされるか分からない。でも嘘をついてそれが後でばれるともっとひどい目にあわされるかも…」と考えた結果教えることにした。とりあえずここまで何も問題がなかったので、大丈夫だろうという希望的観測も手伝ってのことだ。「もう少し先を右に曲がってすぐのアパートだよ」と早津馬が言うと求美と華菜が何かひそひそ話を始めた。早津馬は自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。「何を話してるんだろう。この先どうなるんだろう」早津馬がそんなことを考えているとはつゆ知らずの求美がルームミラーの中で可愛い笑顔で「大変ずうずうしいお願いであることは重々承知しておりますが、今夜一晩だけでいいので私達を泊めていただけないでしょうか?」と言った。「やっと解放される」と思っていた早津馬は想定外のその言葉にぼう然とした。しかし断ればどうなることか分からない。それにお願いなのだから丁寧な言い方になるのは当然なのだが、それさえ逆に妙に気になり「一晩ならいいよ。狭いアパートだけど二部屋あるから」と了解してしまった。本当は心穏やかでないのを隠すのに必死だったのに。求美と華菜が「早津馬さん、ありがとうございます」ときれいにハモって返した。アパートの近くに月極で借りてある駐車場に車を止めてから早津馬は気づいた。今日の夕食と明日の朝食がないことに。求美と華菜への恐怖心が薄らいできて思いだしたのだ。「二人の顔を見ると、特に求美の笑顔を見ると恐怖心ではなく心が笑顔になるなー」と早津馬は思った。「食べる物がないんだ。コンビニに行こう」と求美と華菜を誘うと「またコンビニに行けるんですかー」と華菜が喜んだ。そして近くのコンビニに入り早津馬が「今日の夜用と明日の朝用に何か選んで」と二人に言うと求美が恐縮した態度で「明日の朝の分まで…、すみません、ありがとうございます」と言った後「お弁当…」という言葉を残しながら二人して小走りで奥に向かって行った。あまりに可愛い求美と華菜の様子に「本当に妖怪なんだろうか…」と思いながら早津馬が初老の余裕でゆっくりと弁当のコーナーに行くと、求美と華菜は弁当をやめて別の物を探しに移動していた。早津馬が一人で弁当を選んでいるといつの間にか求美と華菜が早津馬の両脇にきていて「このラーメンが食べたいです」と言って持ってきたインスタントラーメンを見せた。キツネそばだった。「やっぱり!」と思った早津馬だが、どうも昼間の食堂の件で早津馬が貧乏だと思い遠慮していると感じた早津馬が「こんなんじゃ全然足りないでしょ、もっと食べないと」と言うと二人共笑顔になり、ラーメンのほかに弁当、それから朝食用におにぎりとパンを選んだ。恐怖心もほとんど消えた早津馬が先導しアパートに向かった。そのアパートは新しくも古くもない極々普通のアパートだった。「雨風しのげればいいんですよね」と気をつかったつもりの求美の言葉に早津馬は「妖怪の言ったことなのになんで気落ちするんだろ…、早くどこかに行ってほしいくらいなのに」と不思議な気分になりながら自分の部屋のドアの鍵を開けた。室内に入り早津馬が二人にトイレなどの場所を説明しようと「トイレは…」と話し始めると求美が左から右に見渡した後「大丈夫です」と言った。「二部屋と水まわり関係だけ、確かに説明しなくても分かる」そう思う早津馬だった。「妖怪がいるなかゆっくり湯船につかる気にはなれないが、明日の仕事を考えると着替えはしたい。シャワーだけでも…」と考えた早津馬は二人を見て気づいた。「妖怪のこの娘達も風呂に入るのだろうか?」と。早津馬は聞いてみることにした。「シャワーがいい?それとも湯船につかりたい?」と二人に聞くと求美が「泊めてもらえるだけで十分ありがたいのに…、早津馬さん先に入ってください」と返した。早津馬が「いや、お客さんなんだから先に入って」と求美に言うと横から華菜が「お先に失礼しまーす、早津馬さん覗かないでくださいね」と言った。「妖怪でも風呂、入るんだ」と確認した早津馬が「狐の入浴シーンなんか興味ないよ」と内心思った後「入浴するときは今の人間の姿のまま入るのかそれとも狐の姿に戻るのか?」という探究心がわいた。そんな時求美が「湯船にゆったりつかりたいですね、ずっとそうしてたし…」と言った。

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