第5話

 陽も徐々に傾き、町がオレンジ色に染まる。

ココロちゃんが住むアパート近くにある公園に行こうと誘われ、ココロちゃんが乗るブランコの隣に私も腰を下ろした。ココロちゃんが漕ぐたびに、キィキィと錆びた音が鳴る。


「ごめんね、お姉さん」

「もういいよ、謝らなくて」

「あ、ごめん。もうそれについては謝ってなくてさ、」

「え?」


 ここに来るまでに、何度もさっきまでのことを謝られていたから、またてっきりそのことかと思っていたが違うらしい。ココロちゃんを見れば、彼女はブランコを漕ぎながらニッコリと笑って私を見る。


 「実は黙ってたことがあって」

「え、なに? 怖いんだけど、」

「あのね。私、お姉さんのこと知ってたんだ。初めて会ったときから」


 彼女の言葉は耳に入ったものの、何を言われているのか理解できなかった。「えっと」と返事が詰まる。前に、後ろに、と揺れ動く彼女の姿をただ目で追った。ココロちゃんは可笑しそうにクスクスと笑っている。


 「お兄ちゃんと同じ学校の制服で、この町で見たことない人で、すぐにピンと来たの」

「ココロちゃん、お兄ちゃんいるの? 私と同じ高校に?」

「うん。お兄ちゃんから話も聞いてたから。だから、出会ったときに、私も話をしてみたいって思っちゃって」

「どうして……?」

「あなたが、お兄ちゃんと仲良くしてくれているから」


 私が、仲良く。ココロちゃんの言葉を頭の中で繰り返す。この町に来て、私が仲良くしている男の子。そんな人、限られていて、いやでも、彼から妹がいるなんて聞いたことない。ああ、でも、私も彼も、家族の話をあまりしたことがなかった。あの日、たまたま、お母さんがいないということを知ったけれど。そういえば、ココロちゃんも。


 ココロちゃんのブランコの振りが、ゆっくりと穏やかになっていく。ざりざりと彼女が履くスニーカーが土を擦る。やがて、ブランコは動きを止めて、やっと同じ目線で彼女と目が合った。


 「私の苗字、今野っていうの」

「やっぱり今野かぁ」


 思わずそう声が出た。ココロちゃんは嬉しそうに、そうだよと言った。


「今野、私のこと話するの?」

「たまにね。お姉さんくらいなんだ。お兄ちゃんと、普通に話をしてくれるの。だから、嬉しいみたい」

「今野、優しいと思うけど、」

「この町は、一回イメージがつくと、なかなか払拭できないから」


ココロちゃんの背中に西日が差す。笑って言ったようにも見えたけれど、逆光でうまくその顔を見ることができなかった。


 「あ、」とココロちゃんが声を上げる。「なに?」と首を傾げた。


「お兄ちゃんがお姉さんのこと話してたって教えたのは内緒ね。たぶん、怒るから」

「それは……うん、話さないから大丈夫」


それを自分から言うのも照れ臭いし、と頷く。それから私も「あ、」とココロちゃんと同じように声を上げてみせた。首を傾げる彼女に、「私も、」と続ける。


「今野のこと、優しいって言ったの、内緒にしていてね」


 ココロちゃんが一瞬目を丸くしてから、ケラケラと笑う。「どうして? お兄ちゃん、喜ぶよ」と言ったココロちゃんに「絶対ダメ」と少し強く釘を刺しておいた。


 そこに潜む、芽生えつつある自分の気持ちにも、私自身がまだ気付かずにいたかったから。



 その週の休み明けのことだ。ココロちゃんに会った翌日から、今野はしばらく学校に来ていなかったようで、何日かぶりに保健室で一緒になった。


 今野が持ってきていたトランプが、昼食のお弁当を片付けた机の上で配られる。二人でババ抜きなんて面白くないと言ったのだけれど、他にすることもないという今野に押し切られる形となった。


 二つの山に分けられたトランプの一つを手に取り、揃っているカードを探し、場に捨てていく。そのときに、ひっそりと今野の顔を拝見してみた。


 妹だと言ったあの子の顔を頭の中で思い出し、今野の顔と照らし合わせていく。兄妹だと分かって見てみると、目元や鼻の形がよく似ていることに気付く。


 ジャンケンをして先攻後攻を決める。グーとチョキで今野が勝ち、彼が先攻を取った。扇状に開いた私の手札を吟味して、今野が一枚引いていく。二人でやっているのだから、引けば当たり前に揃うカード。それでも、「よっしゃ!」と笑う彼がおかしかった。ジョーカーを引いてしまえば、大袈裟に落ち込んでみせてくる。コロコロと表情が変わるその姿も、彼女によく似ていると思った。そして、それと同時に、今野も、彼女と同じように、頻繁に家を出入りしているというあの女性に悩まされているのではないだろうかと頭を過る。


 「さっきから、なに? 今日、俺のこと見すぎじゃない?」


恥ずかしいんだけど、と今野が手元のトランプで顔を隠しながら言う。気付かれた、と心臓の鼓動が早まって、「違う、違う」と、顔の前で手を振りながら、自分でも分からない否定をしてしまった。


 「別に今野のこと見てたわけじゃなくて、いや、見てたんだけど、」

「なに言ってんの?」

「見てたのには、理由がちゃんとあって、」


あの、と言い淀む。一体どこから説明すればいいのか、と悩み、まずはこれから伝えるしかないだろう、と絡む思考の中から一片を掴みだした。


「今野の妹のココロちゃん。私、知り合いなの」


言って、一瞬、今野は「うん?」と目を丸くした。それから、私の言葉をゆっくりと咀嚼するように目を泳がせると、「え、なんで?」と一拍も二拍も遅れて、驚きと共に身体を引いた。その拍子に今野が座っていた椅子が、ガタッと音を鳴らす。


「少し前に、コンビニで出会って、まぁ……ちょっと色々あって、連絡先とか交換したの」

「全然知らんかった」

「ココロちゃんからは何も聞いてないの?」

「なんも。最近、あんまり顔合わせてないから」

「そうなの?」


今野は頷いて、「すれ違い生活ってやつ」と笑う。その顔を見てまた、あの女の人の顔が頭を過った。


 「ねぇ、今野って、家にちゃんと帰れてる?」

「なにその質問」

「いや、ちょっと気になって、」

「んー……。もしかして、ココロから何か聞いた?」


聞いたも何も、見てしまった。そう言葉は浮かんだけれど、とてもそんなこと口には出来なかった。手元のトランプに視線を落とす今野の口角は上がっていたけれど、それがとても笑顔には見えなかったから。


「ううん、何も」


平静を装って返す。今野は「そっかぁ」と返してきただけで、明確な答えはそれ以上言わなかった。私もそれで良いと思って、追及することもしなかった。誰にだって、言いたくないことの一つや二つ、生きていたらあるに決まっているから。

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