二週間程して、は八尾のめいの夫に送られて東京へ帰って来た。何の為に大阪へ行ったのか、訳が分らない位であった。恐らく伯父も既に死をさとったのであろう。そうして同じ死ぬならば、やはり自分の生れた東京で死にたかったのであろう。三造が電話でを受取って直ぐにたかちようの赤十字病院に行った時、伯父はひどく彼をまちねていた様子であった。一生ついに家庭を持たなかった伯父は、数ある姪やおい達の中でも特に三造を愛していた様に見えた。殊に、彼の学校の成績の比較的良い点に信頼していたようであった。三造がまだ中学の二年生だった時分、同じく二年生だった彼の従兄の圭吉と二人で、伯父の前で、将来自分達の進む学校について話し合ったことがあった。其の時、二人とも中学の四年から高等学校へ進む予定で、そのことを話していると、それを聞いていた伯父が横から、「三造は四年からはいれるだろうが、圭吉なんか、とても駄目さ」と言った。三造は、子供心にも、思い遣りのない伯父の軽率を、許し難いものに思い、まるで自分が圭吉をはずかしめでもしたかの様な「」と「恥ずかしさ」とを感じ、しばしは、顔を上げられない位であった。それから二年余りも経って、駄目だと言われた圭吉も、三造と共に四年から高等学校にはいった時、三造は、まだ、かつての伯父の無礼を執念深く覚えていて、それに対する自分の復讐が出来たような嬉しさを感じたのであった。

 赤十字病院の病室には、洗足の伯父と渋谷の伯父(之は、例のお髯の伯父と洗足の伯父の間の伯父であった。その頃遠くだいれんにいた三造の父は、十人兄弟の七番目であった。)とが来ていた。勿論、附添や看護婦もいた。三造がはいって行くと、伯父は寝顔を此方へ向けて、真先に、丁度其の頃じんぐうがいえんで行われていた極東オリンピックのことを彼に訊ねた。そして、陸上競技で支那が依然無得点であることを彼の口から確かめると、我が意を得たという様な調子で、「こういうような事でも、はり支那人は徹底的にこらして置く必要がある」とつぶやいた。それから、其の日の新聞の支那時局に関する所を三造に読ませて、じっと聞いていた。伯父は、人間の好悪が甚だしく、気に入らない者には新聞も読ませないのである。


 次に三造が受取った伯父に就いての報知は、いよいよがんで到底助かる見込の無いことを伯父自身に知らせたということ──それは、もうずっと以前から分っていたことだが、病人の請うままにそれを告げてよいか、どうかを医者が親戚達に計った時、伯父の平生の気質から推して、本当のことをはっきり言って了った方がかえっておちいた綺麗な往生が遂げられるだろうと、一同が答えたのであるという。──そして、どうせ助からないなら病院よりは、というので、洗足の家へ引移ったということであった。尚、その親戚の一人からの手紙には、「助かる見込のない事を宣告された時の伯父は、実にしようようとしていて、顔色一つ変えなかった」と附加えてあった。英雄の最後でもえがくようなそういう書きっぷりにはいささへきえきしたが、とにかく三造は直ぐに洗足の伯父の家へ行った。そうして、ずっと其処に寝泊りして最後迄附添うことにした。

 病気が進むにつれ、人に対する好悪が益々ひどくなり側に附添うことを許されるのは、三造の他四五人しかいなかった。その四五人にも、伯父は絶えず何か小言を言続けていた。田舎からわざわざ見舞に来た三造の伯母──伯父の妹──などは、何か気に入らぬことがあるとて、病室へも通されなかった。三造にとって一番たまらないのは、伯父が看護婦をののしることであった。看護婦には、伯父の低声こごえの早口が聞きとれないのである。それを伯父は、少しも言うことを聞かぬ女だ、といって罵った。ある時は、三造に向って看護婦の面前で、「看護婦を殴れ。殴っても構わん」などと、憤怒に堪えかねた眼付で、しわれた声を絞りながら叫んだ。かない上体を、心持、枕から浮かすように務めながら目をけわしくして、衰えた体力を無理にふりしぼるように罵っている伯父の姿は全く悲惨であった。そういう時、最初の看護婦は、──その女は二日程いたが堪えられずに帰って了った──後を向いて泣出し、二度目の看護婦はくされてを向いていた。三造は、どうにもやり切れぬ傷ましい気持になりながら、何とも手の下しようが無かった。

 病人の苦痛は極めて激しいもののようであった。食物という食物は、まるで咽喉のどに通らないのである。「天ぷらが喰べたい」と伯父が言出した。何処のが良い? と聞くと「」だという。親戚の一人が急いでしんばし迄行って買って来た。が、ほんの小指の先ほど喰べると、もう直ぐに吐出して了った。まる三週間近く、水の他何にもれないので、まるで生きながら餓鬼道にちたようなものであった。例の気象で、伯父はそれを、目をつぶってじっとこらえようとするのである。時として、堪えに堪えた気力の隙から、かすかなうめきがれる。つむった眼の周囲に苦しそうな深い皺を寄せ、口を堅く閉じ、じっとしていられずに、大きな枕の中で頭をじりじり動かしている。身体には、もうほんの少しの肉も残されていない。意識が明瞭なので、それだけ苦痛が激しいのである。筋だらけの両の手の指を硬くこわばらせ、その指先で、まきえりから出たの咽喉骨や胸骨のあたりを小刻みにふるえながら押える。その胸の辺が呼吸と共に力なく上下するのを見ていると、三造にも伯父の肉体の苦痛がおおいかぶさって来るような気がした。しまいに、伯父は、薬で殺してれと言出した。医者は、それは出来ないと言った。だが、苦痛を軽くする為に、死ぬ迄、薬で睡眠状態を持続させて置くことは許されるだろう、と附加えた。結局、その手段が採られることになった。いよいよ其の薬をのむという前に、三造は伯父に呼ばれた。側には、ほかに伯父の従弟いとこに当る男と、及び、伯父の五十年来の友人であり弟子でもある老人とがいた。伯父はたすけられて、やっと蒲団の上に起きて坐り、夜具を三方に高く積ませて、それにって辛うじて身を支えた。伯父は側にいる三人の名を一人一人呼んでとこの上に来させ、其の手を握りながら、別れのあいさつをした。伯父が握手をするのは一寸不思議であったが、恐らく、それが其の時の伯父には最も自然な愛情の表現法だったのであろう。三造は、他の二人の握手を見ながら、多少の困惑を交えた驚きを感じていた。最後に彼が呼ばれた。彼が近づくと、伯父は真白な細く堅い手を彼の掌に握らせながら、「お前にも色々やつかいを掛けた」と、とぎれとぎれの声で言った。三造は眼を上げて伯父の顔を見た。と、静かに彼を見詰めている伯父の視線にぶっつかった。其の眼の光の静かな美しさにひどく打たれ、彼は覚えず伯父の手を強く握りしめた。不思議な感動が身体を顫わせるのを彼は感じた。

 それから伯父は其の薬を飲み、やがて寝入って了った。三造は其の晩ずっと、眠続けている伯父の側について見守った。一時の感動が過ぎると、彼には先刻のしよが──又、それに感動させられた自分が少々はずかしく思出されて来る。彼はそれをいまいましく思い、其の反動として、今度は、伯父の死に就いてく迄冷静な観察をもち続けようとのこころがまえを固めるのである。青いしきで電燈をおおったので、部屋は海の底のような光の中に沈んでいる。其のうす暗さの真中にぼんやり浮かび上った端正な伯父の寝顔には、最早、先刻迄の激しい苦痛の跡は見られないようである。其の寝顔を横から眺めながら、彼は伯父の生涯だの、自分との間の交渉だの、又病気になる前後の事情だのを色々と思いかえして見る。突然、ある妙な考えが彼の中に起って来た。「こうして伯父が寝ている側で、伯父の性質の一つ一つを意地悪く検討して行って見てやろう。感情的になりやすい周囲の中にあって、どれほど自分は客観的な物の見方が出来るか、を試すために」と、そういう考えが起って来たのである。(若い頃の或る時期には、全く後から考えると汗顔のほかは無い・未熟な精神的擬態を採ることがあるものだ。此の場合も明らかに其の一つだった。)その子供らしい試みのために彼は、携帯用の小型日記を取り出し、暗い電気の下でボツボツ次のような備忘録風のものを書き始めた。書留めて行く中に、伯父の性質の、というよりも、伯父と彼自身との精神的類似に関するとりとめのない考察のようなものになって行った。

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