(一) 彼の意志、(と三造は、ず書いた。)

 自分がつてその下に訓練されとうされた紀律の命ずる方向に向っては、絶対盲目的に努力し得ること。それ以外のことに対しては全然意志的な努力を試みない。一見すこぶきようであるかに見える彼の意志も、其の用いられ方が甚だ保守的であって、全然未知な精神的分野の開拓に向って、それが用いられることは決して無い。


 (二) 彼の感情

 論理的推論は学問的理解の過程において多少示されるに過ぎず(実はそれさえ甚だ飛躍的なものであるが)、彼の日常生活には全然見られない。行動の動機はことごとく感情から出発している。甚だ理性的でない。その没理性的な感情の強烈さは、時に(ほんまつてんとう的な、)しつよう醜悪なめんぼうを呈する。彼の強情がそれである。が、又、時として、それは子供のような純粋な「没利害」の美しさを示すこともある。

 自己、及び自己の教養に対する強い確信にも係らず、なお、自己の教養以外にも多くの学問的世界のあることを知るが故に、彼はしばしば(殊に青年達の前にあって、)それの世界への理解を示そうとする。──多くの場合、それは無益な努力であり、時に、滑稽でさえある。──しかも此の他の世界への理解の努力は、常に、悟性的な概念的な学問的な範囲にのみ止っていて、決して、感情的に異った世界、性格的に違った人間の世界に迄は及ばないのである。かかる理解を示そうとする努力、──新しい時代に置き去りにされまいとする焦躁──が、彼の表面に現れる最も著しい弱さである。

(ここまで書いて来た三造は、絶えず自分につきまとっている気持──自分自身の中にある所のものを憎み、自身の中に無いものを希求している彼の気持──が、伯父に対する彼の見方に非常に影響していることに気が付き始めた。彼は自分自身の中に、何かしら「とぼしさ」のあることを自ら感じていた。そして、それを甚だしく嫌って、すべて、豊かさの感じられる(鋭さなどはその場合、ない方が良かった)ものへ、強い希求を感じていた。此の豊かさを求める三造の気持が、伯父自身の中に、──その人間の中に、その言動の一つ一つの中に見出される禿はげたかのような「鋭い乏しさ」に出会って、烈しく反撥するのであろう。彼はこんなことを考えながら、書続けて行った。)


 (三) 移り気

 彼の感情も意志も、その儒教倫理(とばかりは言えない。その儒教道徳と、それからみ出した、彼の強烈な自己中心的な感情との混合体である。)への服従以外に於ては、質的にはすこぶる強烈であるが、時間的には甚だしく永続的でない。移り気なのである。

 これには、彼の幼時からの書斎的俊敏が大いにあずかっている。彼が一生ついに何等のまとまった労作をも残し得なかったのは此の故である。決して彼が不遇なのでも何でもない。その自己の才能に対する無反省な過信はほとんど滑稽に近い。時に、それは失敗者のまけおしみからの擬態とも取れた。若い者の前では、つとめて、新時代への理解を示そうとしながら、しかも、その物の見方の、どうにもならないがんめいさに於て、えんぜん一個のドン・キホーテだったのは悲惨なことであった。しかも、彼が記憶力や解釈的思索力(つまり東洋的悟性)に於て異常に優れて居り、且つ、その気質は最後まで、わがままな、だが没利害的な純粋を保って居り、又、そのはくの烈しさが遥かに常人を超えていたことが一層彼を悲惨に見せるのである。それは、東京が未だの侵害を受ける以前の、或る一つのすぐれた精神の型の博物館的標本である。…………

(このような批判を心の中に繰返しながら、三造は、こう考えている自分自身の物の見方が、あまりになまぬるい古臭いものであることに思い及ばないわけには行かなかった。伯父の一つの道への盲信をあわれむ(あるいはうらやむ)ことは、同時に自らのべん的な生き方を表白することになるではないか。して見れば彼自らも、伯父と同様、新しい時代精神の予感だけはもちながら、結局、古い時代思潮から一歩も出られない滑稽な存在となるのでないか。(ただ、それは伯父と比べて、半世紀だけ時代をずらしたにすぎない。)伯父のようになるであろうと言った彼の従姉の予言があたることになるではないか。…………)

 彼は少々いまいましくなって、文章を続ける気がしなくなり、今度は表のようなものをこしらえる積りで、日記帖の真中に横に線を引き、上に、伯父からけたもの、と書き、下に、伯父と反対の点と書いた。そうして伯父と自分との類似や相違をに書き入れようとしたのである。

 伯父から享けたものとしては、先ず、其の非論理的な傾向、気まぐれ、現実にうとい理想主義的な気質などが挙げられると、三造は考えた。穿うがったような見方をするようでいて、実は大変に甘いおひとしである点なども、其の一つであろう。三造も時に他人ひとから記憶が良いと言われることがあるが、之も伯父から享けたものかも知れない。肉体的にいえば、伯父のはっきりした男性的な風貌に似なかったことは残念だったが、ちようの極めてまるな所(誰だって大体は円いに違いないが、案外があったり、上が平らだったり、うしろが絶壁だったりするものだ。)だけは、確かに似ている。しかし、伯父との間に最も共通した気質は何だろう。或いは、二人ともに、小動物、殊に猫を愛好する所がそれかも知れぬ、と、三造は気が付いた。一つの情景が今三造の眼の前に浮んで来る。何でも夏の夕方で、彼はまだ小学校の三年生位である。次第に暮れて行く庭の隅で、彼が小さなシャベルで土を掘っている側に、伯父が小刀で白木をけずっている。二人が共に非常に可愛がっていた三毛猫が何処かで猫イラズでも喰べたらしく、その朝、外から帰って来ると、黄色い塊を吐いて、やがて死んで了った。その墓を二人はこしらえているのである。土が掘れると、猫の死骸を埋め、丁寧に土をかけて、伯父がその上に、白木の印を立てる。黄色く暮れ残った空に蚊柱の廻る音を聞きながら、三造はその前にしゃがんで手を合わせる。伯父は彼の後に立って、手の土を払いながら、黙ってそれを見ている。

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