Playball.7 男女野球対決(中編)

 いよいよ始まった世紀の対決。札幌農学校対日々学校。


 先攻の札幌農学校は1番センターの大島が右打席に入る。当然、この当時、ヘルメットなどないが、念のため、頭を保護する帽子をかぶって彼は打席に入る。


 一方で、相手側のピッチャーは、中川雪と名乗る、小柄な少女だった。


 どこか幸の薄そうな、暗い表情が目に付く、不思議な雰囲気を持った女で、投げ方もまた特徴的だった。

 当時、現在のような、「機能的」なボールの投げ方、つまり投球フォームが確立していない。


 なので、彼女は見様見真似で、適当に投げるのだ。女子の場合、男子より力がないため、どうしても横投げか下投げが多くなる。彼女は下手投げだったが。


「ストライーク!」

 ペンハローの流暢な英語が宣告されており、大島が振ったバットのすぐ上をボールが通過していた。


(打ちづらい)

 彼が咄嗟に思ったほど、「球の出どころが見づらい」ピッチャーだった。

 野球の技術において、「球が速くないのに打てない」ピッチャーというのは、現在でも存在する。


 そういうピッチャーは、大抵の場合、コントロールが抜群にいいことが多いが、この女子もまた制球力は高かった。

 だが、それ以上に、「球が見づらい」、つまり、グローブのどの位置から、どういうタイミングで球が出てくるかがわかりにくい。

 球種は、ストレートしかないから、現代人からすれば簡単に打てそうだが、そもそもが野球に不慣れな連中だ。


 球が打ちづらいというだけで、簡単に振り回される。その上、彼女は内と外を投げ分けることができ、コントロールが抜群だった。タイミングが取りづらく、ボールを待ちきれずに打ってしまう選手まで出る。

 結局、1番の大島は三振、2番バッターはかろうじて当てたが、ピッチャーゴロに終わる。


 3番、新渡戸稲造。

 まだ若く、力もある彼は、この後、眼病を患うことになるが、この時はまだ何とか持っていた。


 1球目は見逃してストライク、2球目は外れて見て、ボール。

 3球目の外角高めのストレートを弾き返した。


 打球はピッチャーの中川の股の間を抜けて、外野へ。

 初のヒットとなった。


 だが、後続はアウトでチェンジ。


 1回裏。

 今度は、札幌農学校のエースがマウンドに上がる。佐藤昌介。かつて開拓使仮学校で野球を経験したことがある、この中で最も経験値の高い彼がマウンドに上がる。


 野球、特に草野球や高校野球においては、現代でもそうだが、最も「身体能力が高い者」が、エースを務め、4番を打つことが多い。

 それは、野球が団体競技であり、同時に「個人競技」でもある側面があるからだ。


 4番という一番重要なポジション、同時にエースという守りの要に、一番優れた者を持ってくるのが定石だった。

 もっとも彼は、打順では5番を任されていたが。


 その佐藤。

 立ち上がりから抜群だった。


 ストレートの球速は、もちろんスピードガンなどないからわからないが、恐らくは110キロ台は出ていただろう。それに決め球に使うカーブが抜群で、右投手の彼が投げると、右打者からは逃げるように外に曲がっていく。


 日々学校の女子たちは見たこともない「魔球」に戸惑い、空振り三振の山を築き、1回は三者凡退。


 あの、お嬢様のような堀節子も空振り三振に打ち取っていた。もっとも、三振を奪ったはずの佐藤は、彼女からまるで「親の敵」のように睨まれていたが。


 2回表は、札幌農学校の5番、その佐藤からだったが。この経験者を持ってしても、最初は打ち崩せず、ショートゴロに終わり、さらに後続が倒れ、三者凡退。


 2回裏。試合が意外な形で動き出す。


 4番、鎌倉梅。

 そう。あの巨漢の女子が打席に立った。


(大きいな)

 キャッチャーを務めていた伊藤が、右打席を見上げて驚いていた。

 近くで見ると、改めてデカい、と。


 さらに、

「お梅さん!」

 相手側のベンチからは声援が飛んでいた。

 

 そして、その「お梅さん」が、名前に似つかわしくないほどの、パワフルな打撃を見せた。


 初球外角のストレート。佐藤の決め球のカーブを使う前に、もう捕らえられていた。


―ゴン!―


 金属バットはまだなく、木のバットだが、それをまるで丸太のような太い腕でぶん回し、小枝でも斬るような勢いでボールに文字通り、下から「ぶち当てて」いた。


 打球は、空高く舞い上がる。

 センターの大島が、必死に追いかけて行く。


 だが、打球は、ものすごい勢いでその頭上を飛んで行き、やがてラインを越えて、茂みの中に入った。


「ホームラン!」

 ペンハローが腕をくるくると回していた。


 まさかのホームランによる失点。当然、男子が勝つと思っていた、札幌農学校の面々にとっては、メンツを潰される形での、痛い失点となった。


 その回は、この失点だけだったが。

 続く3回表。


 札幌農学校の攻撃は、8番から。8番と、9番の伊藤が倒れる。

(打撃は苦手だ)

 そもそもが、運動自体あまり得意ではなかった、勉学においての優等生の伊藤一隆は、その非力な打力ゆえに9番を任されていた。


 そして、1番の大島に回る。


 それまで散々振り回され、この中川雪を打ち崩せずに来た、札幌農学校の面々。ここで大島が打った打球が、三塁手の元へ飛んだ。


 三塁手がグローブを掲げて待ち構えるが、その手前で不規則に変化し、ボールをグローブから取り落とした。いわゆるファンブルという奴だった。特に、現代のような整った野球場ではない場合、こういう不規則な打球の変化が起こりやすい。


 その間に、一塁を奪った大島は、次の打者の2球目に盗塁に挑戦し、しかもあっさりと二塁を陥れていた。


(速いな)

 ベンチにいた伊藤が、羨ましいと思うほど、大島の足は速かった。


 ところが、これが得点には繋がらず、凡退。


 3回裏。

 まったく同じような展開になっていた。


 同じように、日々学校は8番バッターからの打順で、8番、9番が倒れ、1番バッター。彼女は左利きらしく、左打線に入る。


 あの安藤八重という名の女子だった。

 しかも中川と同じように、どこか薄幸そうな少女に見える。違うのは、目が糸のように細いこと、同時に身体も細かったが、「食べていない」細さというよりも、絞った細さに見えたのが、特徴的だった。


 そして、佐藤の決め球が来る前に、さっさと打ってしまい、同じようにこちらの三塁手の内村がエラーをして出塁。

 守備に関しては、どちらも素人に毛が生えた程度しか技術がないのだった。


「走った!」

 同じように、向こうは初球から走ってきた。


 キャッチャーの伊藤が二塁に投げるも、そもそも握力も腕力もない伊藤。ボールは山なりに二塁に進み、簡単に盗塁を許していた。


 通称「韋駄天の八重」の本領発揮だった。


 4回表。札幌農学校の攻撃。


 3番の新渡戸稲造からの好打順だった。

 その新渡戸。紅顔の美少年は、まだ力を持て余していた。


 相手ピッチャー、中川雪の放ってきたボールが、たまたますっぽ抜けて、真ん中に入ったのを見逃さず、鋭く振り抜いた。


 いい打球だった。通常ならヒットになる。だが、運が悪いことに打球はライナー性で、鋭くレフト方向に飛び、レフトが守る定位置の真正面に向かっていた。


 誰もがアウトだと思ったが、そのレフトがボールをキャッチして、すぐに取り落としていた。やはり守備はどちらも慣れていない。


 エラーで出塁し、4番の内村鑑三を迎える。

 

 この男、上州高崎藩の藩士の息子として生まれたが、キリスト教に傾倒し、後に日本のキリスト教第一人者になるが、この頃はまだ当然、若かった。

 なお、「鑑三」の名前の由来は、「三度自己をかんがみる」から来ているという。


 球の出どころがわかりづらく、打ちにくいが、それを自ら「鑑みて」いた鑑三は、前の打席で失敗した教訓を生かし、比較的打ちやすい「打ちごろ」の球が来るまでじっと待った。


 2ストライクと追い込まれながらも、ファールで粘り、7球目。


 外のストレートを捕らえ、打球はセカンドの頭上をはるかに越え、ライトとセンターの間に落ちた。


 長打コースだ。

 しかも一塁ランナーの3番、新渡戸は意外なほど足が速かった。


 一気に三塁を回り、本塁目がけて猛然とダッシュした。


 相手側は、ようやくライトの安藤がボールを掴むが、彼女は強肩とはいえ、それでも女子の肩の力では本塁に到達するまでに時間がかかる。


 結局、焦って返球して、ボールが本塁から一塁側に逸れている間に、ホームイン。1対1に追いついていた。


 打った内村は、二塁まで到達する2ベースヒット。


 試合は、予断を許さない状況で、緊迫した雰囲気のまま進む。そこには「男子対女子」という性別の差を意識しないような空気が漂っていた。

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