Playball.8 男女野球対決(後編)

 5回は両チーム共に、三者凡退で倒れ、6回表。この回の札幌農学校の攻撃は、2番から。

 2番と3番の新渡戸稲造が倒れたが、4番の内村鑑三が四球を選んで出塁。


 5番は身体能力が高い、佐藤昌介だ。

 ここがチャンスだったが、その佐藤が3球目の低めのストレートを弾き返した。


 打球は、ショートの元へ。正確にはショートとサードの間くらいだった。


 だが、

「ふっ」

 咄嗟に飛びついたショートがアクロバティックな動きで、軽々とアウトにしていた。ファインプレーだった。


「きゃあ! 素敵、竹子さん!」

「竹子さん!」

 しかも、この試合を見にきたらしい、取り巻きみたいな女子生徒や、近所の若奥様らしい女性たちから黄色い声援を送られ、更科竹子は照れ臭そうに笑みを返していた。


 ファインプレーにより、得点はお預けとなる。


 しかも、それだけではなく、試合の「流れ」が向こうに行きつつあった。


 野球における「流れ」というのは、重要で、一旦、流れが傾くと、それを戻すのは難しい。


 6回裏と7回表はどちらも凡退。7回裏。


 日々学校は、3番からの好打順。しかも相手は、新渡戸稲造が試合前に見とれていた少女からだった。珍しい左打ちの彼女が左打席に入る。


「節子さん!」

「お嬢様!」

 またも、黄色い声が飛んでおり、やりにくい雰囲気の中、迎えた対決。


 彼女は旧武家のお嬢様で、現在は華族。薙刀で鍛えた腕力を持ち、巧打力があった。

 あだ名は「お嬢」、あるいは「お嬢様」だった。

 4回裏の前の打席では、セカンドゴロに倒れていた彼女は、またしても、「親の敵」のように佐藤に対し、鬼のような形相で睨みつけ、バットを、まるで剣道の木刀を持つかのように構えていた。


 これまでは、1打席目で決め球のカーブでショートゴロ。2打席目も決め球のカーブでセカンドゴロに討ち取っていた佐藤。


 今度も同じような作戦で、ストレート、ストレートと押して、最後に緩急を突く、カーブを内角に落ちるように使った。


 相手は、左バッターだったから、カーブを投げると、自分の身体に向かってくるように見えるから打ちにくい。


 普通なら、のけぞってしまうような球だ。


 それを彼女は、「待っていた」かのように、一歩下がってから、脇を締めるように腕を身体に持って行き、そこからものすごい勢いで、狙ったように振り抜いていた。


 打球は、鋭いスピードで二遊間を抜けて、ヒット。佐藤が舌を巻くバッティングセンスと、恐らく日々学校側の作戦勝ちだろうと思われる打席だった。


 そして、もっとも怖いバッターを迎える。

 4番の鎌倉梅だ。


(まるで相撲取りだな)

 と、キャッチャーの伊藤が思うほどの巨体。


 通常であれば、野球の試合には「敬遠」というものがあり、この場面では敬遠をすべきであるが。


 当然ながら、今のように「戦略」も「戦術」もなく、それ以前に、監督すらまともにいなかった、このチームにその考えはないし、盛岡藩士の息子でもある、佐藤昌介は、武士らしく真っ向勝負を挑んだ。

 バットを持つ腕が、明らかにそのバットよりも太い丸太のように見える。


 結果として、


―ガン!―


 まるで棍棒で叩かれたかのような打球が、ライトに飛び、ライトの宮部金吾が打球を追うが、ボールはその頭を越えていた。

 幸い、この簡素な球場とも言えない広場の、ラインを越えることはなかったが、ラインのギリギリ手前で落ちていた。


 慌てて、すぐにボールを拾い上げたから、エンタイトルツーベースにはならなかったが、その時には、その巨漢の女が二塁を回っていた。


 巨漢の割には、足は意外なくらい速かった。

「サードだ!」

 状況を見ていたセンターの選手が叫び、宮部が思いっきり肩を回した。


 瞬間、矢のような返球が、ショートに届き、そこから三塁手にボールが飛んだ。


 ギリギリのタイミングだが、三塁塁審のハリス神父の妻のフローラは、


「セーフ!」

 腕を真横に広げていた。

 その間に、一塁ランナーの堀がホームインして、勝ち越しを許していた。


 その回は何とか後続を討ち取り、続く8回表。


 9番の伊藤一隆が右打席に入る。

(残り2イニングしかない)

 彼としても、女子相手に負けるのは、癪だと思っていたから、非力ながらも、自分がチャンスを演出するしかないと腹をくくっていた。


 その伊藤が、粘った末にライト前ヒットでこの試合、初めて出塁。続く1番の大島も同じく、三遊間を破って、出塁し、ノーアウト一・二塁のチャンスが生まれた。


 2番が倒れた後、3番の新渡戸稲造。


 紅顔の若武者は、待っていたかのように、出どころが見づらい、相手投手のスタミナが落ちてきたかのような、緩い球を、狙い打ちして、打球は一・二塁間を破っていた。


 しかも、運がいいことに、相手のライトが目測を見誤り、ボールをグラブから弾いて、後方にボールを流していた。初心者らしいミスでもあった。


 それを見た二塁ランナーの伊藤が一気にホームインして、1点を返して、再び同点。


 さらに、俊足の一塁ランナーの大島までもが三塁ベースを蹴っていた。


 ようやくライトから返ってきたバックホームの返球。本塁でクロスプレーになる。

「セーフ!」

 主審のペンハローが宣告し、一気に試合は3-2と札幌農学校が勝ち越しに成功する。


 これで試合は決まるかに見えたが。


 8回裏、9回表は共に好機を掴めず。ただ、8回裏に相手の1番、安藤八重にまたもヒットと盗塁を許していた。


 9回裏。

 野球の試合、特に素人同士や、草野球、高校野球では最も怖いイニング。


 日々学校の打順は、3番のお嬢様、堀節子からだった。


 前回、変化球を狙われて打ち返された教訓を生かすべく、ピッチャーの佐藤は、逆に「全力投球」に出た。


 つまり速球だ。

 男と女では、腕力が違うので、球の速さに差がありすぎる。


「ストライク! バッターアウト!」

 全力で投げた、球速120キロは越えるかというような速球で、空振り三振。


 続く4番の巨漢女、鎌倉梅にも、同じような速球勝負をして、彼女はバットに当てたが、力負けしてセンターフライに打ち取る。


 ここで、気が緩んだのか。

 佐藤は、続く5番を迎える。


「お雪ちゃん!」

 通称、「お雪」と呼ばれている、ピッチャーの中川雪。

 神主の娘だという彼女は、常にそつのない動きをする、どちらかというと、「器用な」選手だったが、ピッチングフォームどころか、バッティングフォームも特徴的で、バットを自分の顔の前に持ってきて、拝むような打ち方をする。


 通称「神主打法」とも呼ばれ、後年、これで活躍した名選手がいるが、この時代、そんな打ち方はまだ確立すらされていない。


 そして、野球の初心者によくあることが起こる。

「フォアボール!」

 突然、佐藤の制球が乱れ始めた。


 ストライクが入らないのだ。かと言って、替えのピッチャーがいるかと言えば、彼らもギリギリの人数を回しているだけだったから、当然いなかった。


 佐藤は続く6番バッターをも、四球で歩かせており、2アウトながら一・二塁となる。


 ここで打たれれば試合は振り出しに戻るところで、打席には7番、更科竹子が入る。


 相変わらず、細身で美しい女性ゆえに、黄色い声援が飛んでいたが、彼女は守備の名手だけでなく、バッティングセンスにも優れていた。


 当時は、難しいと言われ「魔球」と言われたカーブを、恐らくは堀節子から教わったのか、タイミングを見計らい、すくい上げるようにして、振り抜いていた。


 打球が一・二塁間を破り、ついに2アウト満塁となる。


 絶体絶命のピンチに陥る、札幌農学校は、本当なら投手交代でもさせるべきだが、当然、そんな余裕は彼らにはない。


「タイム」

 キャッチャーの伊藤が告げて、審判のペンハローがタイムを告げ、彼はマウンドのに向かった。


「何を焦っている、佐藤」

 一応、同窓でもある一期生の彼ら二人。伊藤にとっては、親友の大島ほどではないが、それでも気心が知れている相手だ。


「悪い。彼女たちが意外なほど、いいプレーをするから、焦った」

 と口元に笑みを浮かべ、佐藤は返したが。


「確かに女子とは思えないプレーだ。だからこそ、真剣にやらないと彼女たちに失礼だ。全力で投げろ」

「わかってる」


 最後に、佐藤の肩をポンと叩いて、伊藤はホームベースに戻り、しゃがむ。


 一度、帽子を脱いで、空を見上げた佐藤が、大きく溜め息を突くように息を吐いた。

 7月の函館の空は、現代のように異常気象もなく、清々しい上に、湿気も少ない。実質的に一年の半分が冬のような寒い北海道にとっては最も快適な季節だった。


 渾身のストレートが8番バッターに向かって行く。そのコースは、内角の低め。ここに投げられると、そうそう打てないというコース。


 焦ったのか。8番バッターがそれを強引に引っ張りに行き、バットに当たるも、フライボールとなった。


 速球に詰まった打球がキャッチャーとピッチャーの間に漂うが、伊藤は自ら立ち上がって、右手を大きく上げた。そのため、ピッチャーの佐藤が下がる。


 落下したボールが、伊藤のグラブに収まった。


「ゲームセット!」

 主審のペンハローの甲高い声が、夏の函館の空に響き渡る。


 本邦初となる、野球による「男女の試合」は、こうして男子の辛勝に終わったのだった。

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