第24話 桜坂明里という少女①

 日を跨いだ。

 けれど、日付は土曜日のまま。


 八回目の土曜日。

 桜坂さんは今回も時を巻き戻したらしい。


 まぶたをくしくしと擦りながら、上体を起こす。

 すると、俺の部屋のクッションに腰を据えて、正座をしている少女が視界に止まった。


「……な、なに……しているんだ?」


「おはようございます」


 昨日──正確には七回目の土曜日に、突如として現れた浮遊少女──結城さんだ。


 亜麻色の髪を腰に届くほど長く伸ばし、ジトッと半開きの瞳をしている。


 華奢な体型で、身長は百五十センチくらい。


「あまり驚かれないんですね。もう少し大仰な反応を予想していたのですが」


「ここ二日の間に、似たような経験を度々しているからな。嫌な耐性がついたらしい」


 結城さんは小首をかしげて。


「貴方も、桜坂明里の時を巻き戻す力に迷惑を被っている人間。そう解釈してもよろしいですか?」


「ああ、俺も迷惑している」


「では、わたしと協力しませんか? 桜坂明里を一緒に殺害しましょう」


「ほ、本気で言っているのか?」


「冗談で言うメリットが思いつきません」


 朝っぱらから会話の内容が、どうかしているな。


「悪いが俺は、人の道を踏み外す気はない」


「そうですか。残念です。ではひとまず、貴方の人質としての利用価値を調べることにします」


「え?」


 結城さんの言っている意味をすぐに解釈できなかった。


 ポカンと口を開け、当惑する。

 その刹那、俺の身体に力が入らなくなった。


 そのままベッドに倒れ込む。

 いつの間にか出来上がった鮮血のカーペット。その上に、俺が倒れていると自覚したのは、いつだっただろう。


 少なくとも、俺が死ぬ間際なのは間違いなかった、


 視界が暗転する。

 痛みを感じる余裕などなかった。


 ただ、目の前に『死』が迫っている。

 その自覚だけがあって、怖くて、恐ろしくて、でもどうすることもできなくて。


「大丈夫、きっと生き返ります」


 語りかけるように告げる、結城さん。


 電源タップを抜かれたみたいに、俺の意識は暗闇の中に落ちた。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 


「はっ……はっ……はぁ」


 激しい動悸。

 ハーフマラソンを走り切った後のような息が切れる感覚。


 視界が狭くなって、俺はなにかに縋るように目覚めていた。


 あれ、俺……殺された、のか?


 目覚めた時には結城さんがいて、喉元を何かで刺されたのは覚えている。


 そのまま意識が暗闇の中に落ちていって……。

 経験したこともないような、鳥肌の立つ感覚。


 これまで、命の危機というものを経験したことがなかった。


 だからこそ、この未知の体験が、俺の細胞を萎縮させている。


 強烈な吐瀉欲。

 胃の中にあるものを全部吐いてしまいたくなるが、すんでのところで堪えた。


「はぁ……はぁ……」


 時間が経って少しだけ冷静さを取り戻す。

 すっかり早鐘を打っている脈を落ち着かせていると、俺はピタリと動きを止めた。


 部屋の真ん中で、膝を折り、頭を深く床に擦り付けている桜坂さんがいたからだ。


 微動だにしていない。

 彫像だと説明されても納得してしまいそうなほど、綺麗にその場で身体を縮こめていた。


「な、なにしてるんだ?」


 恐る恐る、腫れ物に触るみたいに声をかける。


「ごめんなさい。……ごめんなさい、ゆーくん」


「どうして謝ってるんだ?」


「私、ゆーくんのこと守るって、約束したばっかだったのに、なのに、……本当に、ごめん、なさい」


 おそらくは、殺された俺の姿を発見したのだろう。


「その、血はなんだ?」


 桜坂さんの制服は赤くなっていた。


 塗料にしては生生しい色。

 返り血と思わせる色が、制服の至るところに付着していた。


「……もう、大丈夫だから」


 その発言だけで、察しがついてしまった。


 深掘りする必要はない。

 俺はわずかに逡巡を巡らせてから。


「必ず、今日を繰り返してくれ」


「え? な、なんで?」


 桜坂さんは心底意味がわからないといった顔を見せてくる。


 ようやく、顔を上げてくれたな……。


「彼女──結城さんと少し話したいことがある。このまま明日を迎えたら、一生話せないだろ」


「き、危険だよっ。また、ゆーくんが……っ」


 桜坂さんは涙目になりながら、俺に縋ってくる。


 俺の肩を掴む手が震えていた。


「守ってくれるんじゃないのか? 俺のこと」


「……っ。ま、まだその約束、信じてくれるの?」


 桜坂さんは泣き出しそうになりながら、掠れた声を上げる。


「ああ、信じる」


「わかった。じゃあ、ゆーくんの言う通りにする」


 この場ではそう言わないと、桜坂さんは時をそのまま進めかねない。

 そうしたら、結城さんとは二度と会うことはできないだろう。


 別に彼女と会いたいわけじゃない。

 殺されたことに、憤りだってあるし、怖いという感情も持ち合わせている。


 だが、このまま時を進めるのは愚行だと、理性的な俺が言っている。


「……ゆーくん!」


 桜坂さんが抱きついてくる。

 パジャマに皺ができるくらい、強く、握りしめてきた。


「な、や、やめろ。くっつくな」


 柔肌の感触。

 寝起きの俺にはいささか刺激が強かった。


「あったかい。……ちゃんと、生きてるゆーくんだ」


「…………」


 頭では理解していたが、やはり、俺は結城さんに殺されたらしい。


 殺されたのに生きている。


 妙な話だな。


「絶対……絶対、守るから」


 決意表明をするように、桜坂さんは力強く宣言する。

 なんだか抵抗する気も失せて、しばらく俺は黙って桜坂さんにされるがままになっていた。

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