第23話 約束

「……どうして、今になって俺の前に現れた?」


 気がつけば、俺は口火を切っていた。

 桜坂さんはきょとんとした顔つきで、疑問符を浮かべている。


「どーいうこと?」


「これまでも、散々、俺に接触する機会はあったはずだ。どうして、今になって俺の前に現れた?」


 桜坂さんはスッと目を細めると、顔を俯かせた。


「私、ある時期からずっと記憶喪失だったんだ。記憶を取り戻したのは8月の半ば。それから、ゆーくんの居場所を特定したり、転校の手続きしたり、いろいろとやってたの」


「記憶喪失……」


「うん。キッカケはわからないんだけどね。私は時間を巻き戻せる力のことも忘れてて、ゆーくんとの思い出も忘れてた……。最低だよね、私。ゆーくんのこと忘れるとか、ありえないよ、ホント」


 途端に目の色を黒く濁らせ、下唇から血が出るくらい強く噛み締める。


 ふと、我を取り戻したようにハッとすると、彼女は話を続けた。


「それでね、私、事故に遭ったの。生きるか死ぬかの瀬戸際にいたみたい。それで、目覚めたら、ゆーくんとのこと、そしてこの力のことを思い出したの。あ、私、話すの下手だね。記憶喪失って言っても、何から何まで忘れてたわけじゃない。ゆーくんとこの力のことだけ、綺麗さっぱり忘れちゃってた。だから、反吐が出そうなくらいつまらない小学校と中学校の記憶も、私の中にはあるよ」


「そんな簡単に転校できるものなのか?」


「うん。権力者を脅せばいいだけだもん。だから、校長先生の弱みをとにかく漁った。これに一番時間かかっちゃった。パパ活してた情報得られたのが大きかったかな。それを武器に、私が転校できるよう上手いことやってもらったの」


 俺に近づくために、そこまでするのか……。


「……狂ってるよ、お前……」


「このくらい普通だよ。そんな言い方しないで」


 唇をタコみたいに突き出して、むすくれた顔を見せてくる。


 俺はもう、思考放棄しそうになっていた。


 俺の頭では到底理解の及ばない存在。


 思考回路が一から十まで全て異なる。


 同じ人間の枠組みで考えていいのかすら危うい。


 そんな未知の存在を前に、俺はどうすればいいというのだろう。


 諦めるしか、ないのか?

 そう諦観の念を抱き始めた──刹那だった。


「ゆーくん、どこ見てるの? 私のことだけ見てよ」


 窓の外を見つめる俺。

 桜坂さんは瞳の中に俺を宿し、不満げに口を開く。


 けれど、俺は窓の外から視線を外すことができなかった。


 だって。



「──どう、なってんだ?」



 宙に浮いている少女が、そこにいたからだ。


 彼女は網戸を開けると、無遠慮に室内に入り込んでくる。


 カギを閉めてなかったとはいえ、普通入ってくるか?

 いや、それ以前になんで、浮いてるんだ?


「えっと、どちら様?」


 桜坂さんはけろりと様子。宙に浮いている少女がいるのに、まったく動じていない。


 俺を背中に隠すようにして、少女と相対する。


結城遥香ゆうきはるかと申します。貴方を殺しに来ました」


「殺されたくないんだけど。というか、どうやって浮いてるの?」


「浮けるから浮いてます」


「頭大丈夫?」


 桜坂さんは半笑い気味に言う。

 だが、彼女──結城さんとやらは事実として浮いている。


 リビングに侵入してきた今も、二十センチほど浮いていた。身長が百五十ほどしかないから、あまり高い印象は受けないが。


「貴方が、時を巻き戻す力を持っていることは把握しています」


「どうして知ってるの?」


「貴方の力の影響を受けているからです。私も、今日が七回目になります」


「は?」


「ハッキリ言って迷惑です。消えてください」


「……なんで、なんで、今、初めて会ったような女にまで……。ゆーくんだけの特権でしょ……」


 ギリッと奥歯を噛み締め、瞳のハイライトを消す。


 鋭い眼光で、敵意を剥き出しにしていた。

 俺はただただ圧倒されて、何も声を出せない。


「ゆーくん、とはそちらの男性のことですか?」


 桜坂さんは答えない。

 沈黙を肯定と捉えた結城さんは、顎に手を置き思案顔を浮かべる。


「ふむ。では、貴方も力を持っているのですか?」


「は? 俺は、なにも……」


 そんな人間離れした力を持っているわけがない。


 なんなんだ、この状況は──。

 フィクションの世界にでも迷い込んでしまった。


 そう考えた方がよっぽど理解が及ぶ不可思議な事態に、俺の頭はもう限界だった。


「そう、ですか。少し予想が外れました」


「どういうことだ? 他にもこんなふざけたことが出来る人間がいるのか?」


「はい。わたしや彼女のように力を持っている人間はいます。みんなうまく隠しているだけです。出し物レベルの力を持つ方は、それを誇示していたりもするようですが」


「とんだ厨二病設定だな」


 頭が痛くなりそうだ。

 普通なら、右から左へ聞き流す内容だが、目の前の光景が信憑性を上げている。


 人間には浮くことはできない。

 そもそも時間を巻き戻すことだってできない。


 不思議な力を持つ人間は存在すると──そう考えた方が、合理的だった。


「話がそれましたね。兎にも角にも貴方の能力は迷惑です。死んでください」


「……そっちが、死んでよ」


 熱を帯びない、低い声。

 無機質で、憎悪が込められたその声は、背筋をぞわりと撫でてくる。


 桜坂さんは椅子を床に叩きつけて立ち上がった。


 ゆらゆらとおぼつかない足取りで、結城さんの元に近づいていく。


 ポケットからナイフを取り出し、半月を描くように振り翳した。


「……ッ」


 結城さんはすんでのところで後退。

 亜麻色の髪が数センチ床にパラパラと落ちる。


「穏やかじゃないですね」

「私と、ゆーくんだけだと思った。……だけだと思ったのに! これじゃあ、私とゆーくんだけの楽しい世界が台無し!」


 結城さんも、同じ日を繰り返している。


 その事実が、桜坂さんの神経を逆撫でしていた。


「潔く死んでくれそうにはないですね」


「お前が死ね」


 桜坂さんは、一切の躊躇なく、ナイフで結城さんを狙う。

 結城さんは人間では実現不可能な回避行動をとっていた。まるで鳥だ。


 アクロバットの更に上の段階。

 リーチの短いナイフでは、掠らせるのも難しい。


「仕方ありません……。また日を改めます」


 結城さんは風を切るような速度で、窓から外に出る。


「なに、逃げてるの?」


「正面からやり合うのは得意ではありません」


「じゃあ、なんで不意打ちでこなかったの?」


「前触れもなく殺されるのは無念かと思いまして」


 フッと小さく笑い、結城さんは踵を返す。

 そのまま、上に向かって消えていった。


 桜坂さんは納得入ってない様子だったが、ナイフをポケットにしまうと、再び俺の対面の席に戻ってくる。


 冷徹な表情をしていた桜坂さんは消え、ニコリと柔和な笑みを携えている。


「……やー、それにしてもビックリだね。人間って浮けるんだ」


 どの口が言っているんだ、と思ったが、これに関しては同意だ。


 まさか、浮遊できる人間がいるとは思わなかった。

 時間を巻き戻せる桜坂さんの方がよっぽどふざけた能力であるのは間違いないが。


「大丈夫、なのか? 殺しにきたとか言っていたが」


「え、心配してくれてるのっ?」


 ぱぁっと御馳走を前にした子供みたいに無垢な笑顔を咲かせて、顔を近づけてくる。


「……ち、違う。そういうつもりじゃ──」


「えへへぇ、なんだかんだいって、ゆーくんは優しいままだね」


「迷惑を被りたくないだけだ。俺にまで危害がきたら困る」


「大丈夫。なにがあってもゆーくんのことだけは守るから。約束っ」


 右手の小指を立てて、俺に差し出してくる。


 指切り、ということだろう。

 俺はため息を一つ漏らして、そっぽを向いた。


「ほーら、こうだってば」


「お、おい」


 桜坂さんは無理矢理俺の手を引っ張ると、指切りを行わせてくる。


 ゆーびきーりげーんまーん、とお決まりの歌詞を歌いながら、楽しそうに手を上下させていた。


 ついさっき、ナイフを武器に襲い掛かっていた女の子とは思えない。


 この二面性が、一層、桜坂明里という少女の特異性を表している気がした。


 それにしても、ナイフを常備していたとはな……。

 普通なら、自衛のための一言で納得できるが、桜坂さんの場合ではきっとそうではないのだろう。


 たとえばもし、コイツを殺してくれとお願いすれば、二つ返事で殺してくれそうな、そんな危うさを孕んでいる。


 そう切実に感じた。

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