第19話 過去②

 雨宮さんと付き合うことができ、幸せな日々の到来。


 けれど、その幸福は長くは続かなかった。


 さっきも言ったが俺はこれまで、恋愛を避けて通ってきた。


 その理由は大きく二つ。


 一つ目は、俺が誰かを本気で好きになったことがなかったから。


 二つ目は、周囲の空気を読んだからだ。


 自慢ではないが、俺のルックスは良い。

 その上、クラス内でも高い地位を保っていた。


 孤立を望んだ高校生活中でもモテたのだ。

 周囲と積極的に関わり、高いヒエラルキーに位置していた中学時代は日常的に告白されていた。


 そんな環境に置かれているのだ。


 もし、告白してきた誰かと俺が付き合えば、角が立つ。


 そんなことは中学生ながらにすぐに理解した。

 だから、誰とも付き合わず、みんなと平等に接する。これが平穏に学生生活を送るプロセスだと思っていた。


 俺が恋愛を避けて通ってきたのはそういう理由だ。


 しかし、雨宮さんと会ってからは違う。


 俺は彼女のことを本気で好きになっていた。


 どうして恋愛を避けて通っていたかなど、とうに忘れていた。


 そして幅広い交友関係を持っていた俺。

 雨宮さんとの交際は知らず知らずのうちに白日の下に晒されていた。


 男友達は祝福してくれた。中には、あんな地味な子でいいのかとか、余計な世話を焼いてくるヤツもいたけれど、肯定的な意見ばかりだった。


 しかし、みんながみんな良い顔してくれるわけじゃなかった。



「……アンタ。どうやって結弦に近づいたわけ。釣り合ってないのわかんないの? いい加減、別れてくんない?」



 雨宮さんが、俺の女友達から責め立てられているのを知ったのは、交際を始めて一ヶ月が過ぎた頃だった。


「ごめん……アイツらには二度としないよう、俺からキツく言っておくから」


「いえ……ぜ、全然平気です。気にしないでください」


 俺は自分の置かれた環境を、忘れていた。


 人一倍、好意を向けられやすい。

 いや、そういう環境を自ら作っていた。


 男女問わず、誰とでも積極的に関わりを持って、広い交友関係を築く。


 それは小さい頃からやっていたことだった。


 みんなと仲良くすると、大人から褒められた。


 俺が潤滑油の働きをすれば、周囲はうまく回った。


 なに不自由なく学生生活を送れた。


 しかし俺のやっていた事には弊害がある。


 それは特定の誰かと親密になれないこと。


 特に、女子に対してはそれが顕著だった。

 少しでも特別扱いをすれば、周囲からその子が疎まれる。


 そんなのは日常茶飯事だった。

 だというのに、俺は自分の気持ちを優先して、雨宮さんに近づきあまつさえ恋人になってもらった。


 俺のせいで──俺がいるから──俺なんかが勝手な事をするから──彼女を傷つけた。


「もしまた何かあったらすぐに言って。あと困りごととか、なんでも言ってくれていいから。俺、全力で助けになるからさ」


「ありがとうございます。でも、私が悪いんです。もっと明るくて可愛い子だったら、きっと彼女だって認めて貰えたはずで」


「それは違うよ。そんなことない」


「でも」


 この頃から、少しずつ歪みが生じ始めた。



 雨宮さんと一緒に過ごす時間は幸せだった。それに嘘偽りはない。


 ただ、俺の存在が彼女を傷つけることにつながっている。


 その事実が耐えられなかった。


 事実として、彼女はあれからも女友達から責め立てられ、あまつさえ暴力まがいなことを振るわれたりもした。


 毎度、俺が傍に居られるわけじゃない。

 周囲にやめるよう言い聞かせても、効力は薄かった。


 そんな環境に置かれても、彼女は俺との付き合いを続けてくれた。


 それだけに、自責の念が、日に日に大きくなっていく。


 この現状の発端は俺だ。


 俺が雨宮さんを苦しめている。


 俺がいなくなれば、いい。


 そんな思考が根付くようになっていた。


 そして、徐々にだが雨宮さんとの接触を控えるようになった。


 元々、図書館以外で会うことはなかった。

 彼女は、あちこち行くのが得意ではなかったし、携帯を持っておらず連絡手段がなかった。


 俺と彼女の繋がりは、図書館だけだった。

 ゆえに、図書館に行かなければ、彼女には会えない。


 意図的に会わない日が続いて、段々と距離が開いていった。周囲には雨宮さんとは別れたと言った。ホント……我ながら最低だったと思う。


 当然のように、雨宮さんの耳にもその声は届いた。


 きっと女友達が知らせたのだろう。


「私達いつの間に別れてたんですね……」


 久々に会った彼女から言われたのは、そんな哀愁を含んだ一言だった。


 違う、そう否定したかった。

 けど俺は、小さく首を縦に振る。


「ごめん。……ほんと、ごめん」


 その謝罪を最後に、俺が図書館を訪れることはなくなった。


 雨宮さんと別れた事をきっかけに、再び周囲の女子から俺は言い寄られるようになった。


 俺はもう……なにもかも、面倒になった。

 もし俺が周囲から孤立した人間だったら、雨宮さんとは何事もなく今も付き合っていたのだろうか。


 考えても無駄な話。

 けれど、考えずにはいられなかった。


 人付き合いが面倒だと思い始めたのはこの頃からだった。


 そして、事件は起きた。


 隣の中学校に通う女子中学生が起こした刺傷事件。

 雨宮さんが、俺のクラスメイトを包丁で何度も、何度も、何度も、繰り返し滅多刺しにする事件が起きた。


「邪魔、邪魔……邪魔、邪魔、邪魔……お前らのせいで、結弦くんと別れたんだ。お前らがいなければ……別れることはなかった。……邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔──」


 俺の女友達が雨宮さんを挑発したのか、あるいは、別れた原因を理解した雨宮さんが腹いせに行ったのか。


 詳しくはわからない。

 殺人未遂で、少年院に行ったらしいが、あの事件を境に雨宮さんとの接点はパタリと途切れた。今、どこにいるのかすらわからない。


 本当に、どうしようもない。

 俺みたいな人間が誰かと付き合っても誰も幸せにはできない。


 周囲の人間を総じて不幸にさせただけだ。


 俺の存在は、ただ、迷惑をかけるだけ。



 俺は誰とも関わらない方がいい。



 そう結論をつけるのに時間は要らなかった。


 だから俺は一人を好むようになった。

 当然、こんな俺が、誰かと付き合う気などない。


 そもそも、雨宮さんとの一件で俺は付き合うという事に辟易としているのだ。


 ──以上が、俺が桜坂さんと付き合わない理由だ。

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