第18話 過去①

 中学三年生の頃の話だ。

 俺には好きな子がいた。


 彼女──雨宮あまみやさんと会ったのは、市立図書館だった。


 俺とは別の中学に通っていて、三つ編みに黒縁の大きな眼鏡を掛けた大人しそうな子。彼女はいつも決まった席に座って、ジッと本を読んでいた。


 対して当時の俺は、持ち前のルックスと人当たりの良い性格で、男女問わず友達は多かった。カレンダーに空白を探すのが難しいような、今とはまるで対極の人間。それが俺だった。


 そんな俺は、どうしてか雨宮さんに惹かれた。

 顔が好みだったのか、俺にない部分を持っているとでも思ったのか、理由はよくわからない。ただ、気づいたときには雨宮さんが好きだった。


 初めはテスト勉強のために訪れた図書館。

 しかしいつしか、雨宮さんと会うために図書館を訪れるようになっていた。


 彼女への想いは日に日に募っていき、そしてある日。


 俺は雨宮さんと接点を持つべく、直接声をかけた。


 当時の俺は、やることなすこと、全てが上手くいっていた。だから、雨宮さんに話し掛けるのも、緊張こそすれ抵抗はなかった。


 彼女とお近づきになりたい。

 そんな浮ついた思考を原動力に、俺は彼女の前に足を踏み出した。


「なに読んでるの?」


 記念すべき一言目は、彼女の両手を塞いでいる本の詳細だった。

 だって俺は、雨宮さんの事を何も知らない。制服から近くの中学に通っている事は想像ついたけれど、それだけだ。


 いきなり名前を聞くのは憚られて、まずは共通の話題を作ろうと行動を起こした。


 しかし、俺の質問に雨宮さんは何も答えなかった。


 それどころか、ビクッと肩を跳ねて挙動不審になると、急いで俺の前から逃げてしまった。


 それが雨宮さんとの初めての接点だった。


 雨宮さんとの初絡みは失敗に終わった。


 会話が弾む、弾まない以前の問題。


 相手にされなかった。


 こんな経験は初めてだった。


 けれど俺はめげなかった。


 雨宮さんと友達になりたい。


 いや、恋人になりたいと思っていたからだ。


 だから、翌日。再び図書館で見かけた雨宮さんに俺は声を掛けていた。


「昨日はいきなりごめん。別に何かしようって訳じゃなくて」


 逃げられた。


「こんにちは」


 また逃げられた。


「今日、すごい雨だな」


 またまた逃げられた。

 何度やっても、彼女は俺を相手にしてくれなかった。


 ただそれでも、俺はめげなかった。

 今にして思えば、しつこいナンパ野郎だったと思う。


 けれど、俺が幾度となくアタックできたのは、雨宮さんが毎日図書館にいたからだ。


 いや正確には、毎日図書館に居たかは分からない。色々予定が合って、図書館に行けない日がざらにあったし。


 しかし俺が図書館に行った日に、雨宮さんは必ずいた。


 そしてもう何回目にもなる時。


「俺もその本読んだんだ」


 時間の合間を縫って、彼女が読んでいた分厚い本を読破した。


 それを見せつけるように掲げて、声を掛けてみた。


 普段は一目散に逃げる雨宮さん。


 だが今回は、逃げなかった。


 わずかに目を見開いている。


「感想言い合える人近くに居なくてさ」


「……あ、あまり面白い本ではないですから」


「え? そうかな。プロローグから貼ってある伏線回収されたときとか、鳥肌立ったけど」


「で、ですよね! あれは──す、すいません」


 席を立って瞬時に興奮状態に移る雨宮さん。


 その様子がおかしくて、俺は苦笑してしまう。


「隣、座っていい?」


「……はい。ど、どうぞ」


 初めて、雨宮さんが俺と話してくれた。


 その事実が嬉しくてしょうがなかった。


 それからは、雨宮さんが俺から逃げることはなくなった。


 彼女は本が好きで、俺の知らない本を沢山知っていた。


 彼女のオススメを読んで、感想を言い合う日々がしばらく続いた。


 普段の学校生活や部活動。

 友達との交流もあるから毎日はいけない。


 ただそれでも、以前にも増して図書館を訪れる回数は増えていた。


 そして俺が図書館に行くと、いつも彼女はいた。

 初めの方は無愛想だったけれど、徐々に笑顔を見せてくれるようになった。


 彼女から自発的に話してくれることが増えた。


 他愛もない会話の一つ一つが幸せだった。

 これまで恋愛は避けて通ってきたからだろうか。


 雨宮さんへの想いは、日に日に増えていた。

 最初はバケツに一滴の水が入った程度のもの。


 けど、気づいたときにはもう溢れていた。


「好き、です。俺と付き合ってくれませんか」


 だから俺が雨宮さんに告白するのは、時間の問題だった。


 雨宮さんはひどく狼狽していた。

 ただそれでも逃げることなく、ついには俺の差し出した手を握ってくれた。


 冷たい手の感触。

 緊張からか、少し震えていた。


「わ……私でよければ」


 彼女の言った一言が今でも脳裏に焼き付いている。


 これまでの人生で一番嬉しかった瞬間だった。

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