第17話 名前

 電車に揺られること、一時間弱。


 長い道のりを経て到着したのは動物園だった。


「本当にココに来たかったのか?」


「うん。ゆーくん、動物好きでしょ?」


「……まぁ、そうだけど」


 俺の趣味嗜好を理解した上で、デートの場所を動物園にしたようだ。

 仮にもデートなのだから、桜坂さんの行きたい場所に行けばいいのに……変に気を遣われてしまった。


 時間を巻き戻す力があることと、俺への病的な執着がなければ、桜坂さんはかなり理想的な女の子だと思う。


 俺でなく、別の誰かを好きになっていれば良かったのに……と、素直にそう思う。


 チケットを買って入場すると、俺たちは動物園を回り始めた。

 桜坂さんはちんまりと俺の服を掴みながら、半歩後ろを付いてくる。


「人いっぱいいるね」


「そりゃ土曜日だしな」


 名の知れた動物園だ。

 平日でも十分に賑わっているだろう。


 休日となれば、なおさら人の混雑は避けられない。


「あ、そうだ。今日はデートなんだしさ」


「ん?」


「な、名前で呼んで欲しいなっ」


「は?」


 ポカンと口を開ける。


「名前だよ。恋人なら名前とか、愛称で呼び合わないと」


「そんな決まりはない」


「うぅ、そうかもだけど、名前。そのくらいはいいでしょ? 手を繋ぐの我慢してるんだから!」


 うるうると涙で潤んだ瞳で、懇願してくる。

 まぁ、名前くらいはいいか。あまり断ってばかりなのも気が引ける。


「わかった。じゃあ今日は名前で呼ぶことにする」


「やった」


「…………」


「…………呼ばないの?」


「今呼ぶ必要があるのか?」


「あるよ! というか、このまま呼ばないでズルズル引き伸ばすつもりだったでしょ!」


 早速、俺の目論見を看破される。

 小さく嘆息すると、彼女の要望を叶えることにした。


 一回呼べば満足するだろう。


「明里。はい、これで満足しただろ」


「作業的だ! 全然、気持ちがこもってない!」


「名前呼ぶくらいで一々気持ちなんてこもらない」


「え? そんなことないよ。ゆーくんのこと呼ぶときはいっつも最大限の愛情を付加してるもん」


「だったら、俺ではなく別の誰かをターゲットを変えてくれ。俺なんかよりよっぽど桜坂さんの要求を叶えてくれる」


「な……なんでそんな悲しいこと言うの」


 ぽしょりと、寂しそうに呟く桜坂さん。

 彼女の足取りが止まった。首だけ振り返る。


「前にも言ったでしょ。私はゆーくんが好きなの。ゆーくん以外の人を好きになるなんて無理だよ」


「前も聞いた気がするが、そこまで俺に入れ込む意味がわからない」


「そんなの言語化できるものじゃない。ゆーくんの事が好きなの。どうしようもなく。これ以上ないくらいに!」


「困るんだそういうの。……あぁそういえばちゃんとは言ってなかったか。俺が誰かと付き合おうとしない理由」


 桜坂さんのことを気にするばかりで、俺から何かを発信することがなかった。


 桜坂さんとは付き合えない。その意思を伝えるばかりで、本質的な部分をキチンと伝えていなかった。


「うん。聞きたい」


「立ち話もなんだから、歩きながら話そうか」


 動物を見て回りながら、俺は自分の話を──あまりしたくはない過去の話を打ち明けることにした。

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