第9話 朝起こしにくる美少女って、プライバシー無視してないか?②
割れた窓ガラスは、穴が空いた箇所を段ボールで覆い、養生テープで貼り付けた。破片等も掃除をしたため、ひとまず応急処置は済ませた形だ。
「ごめんなさい……ゆーくん」
桜坂さんは自分のしたことを重く受け止めたのか、深々と頭を下げて謝罪を口にする。
俺は乱雑に頭を掻くと、突き放すように言う。
「謝る気持ちがあるなら、帰ってくれ。そしてもう俺に近づくな」
「や、ヤダ……そんな、私、ゆーくんに会いたい一心だったの。だから、強い言葉使わないで……」
「大体、俺は君のことを何も知らない。君は俺のことは知ってるみたいだが、誰なんだ。きちんと説明してくれ」
我ながら、なかなか上手く誘導できたのではないだろうか。
ここで桜坂さんの情報を集める。
この現状を打破する手がかり、可能なら桜坂さんとの過去の記憶を思い出したいところだ。
「あ、そうだよね。私まだ何も言ってなかった」
思い出したようにパッと目を見開く。
前のめりになって、にへらっと笑みをこぼす桜坂さん。
「何から話せばいいかな?」
「じゃあまずは名前」
「桜坂明里。桜の木の桜に、坂道の坂。明るい里って書いて、桜坂明里。次は?」
「じゃあ──」
そこで俺は一度声を途切らせ、言い淀む。
可能な限り、不自然のない形で質問していきたい。
少し考えた末、俺はゆっくりと口を開く。
「俺のことを知ってるみたいだが、どこで知った?」
「昔、ゆーくんと私、よく一緒に遊んでたんだよ。一人ぼっちだった私を、ゆーくんが色んなところに連れ回してくれて。あ、えとね私が七歳でゆーくんが八歳の頃の話」
「悪いがそんなこと覚えてない。人違いじゃないか?」
「ち、違うよっ。ほ、本当だもん……。確かにゆーくんは色んな子と遊んでたし、私のことなんか大勢の中の一人だったかもだけど──でも、でも私は覚えてる! ゆーくんとのこと、覚えてる! それにゆーくんは、私にプロポーズしてくれたもん!」
訴えかけるかのように、涙目になって語気を強める。その様子に、俺は少し罪悪感を感じていた。
彼女──桜坂明里は、俺との過去の思い出を大切に想っている。なのに俺は、覚えてない。それどころか、人違いなどと突き放す発言をしている。
我ながら、今の俺はだいぶ嫌な奴だな……。
「……じゃあ、俺が思い出せるくらい、桜坂さんのことを教えてくれ」
「うん……何から話せばいいのかな。じゃ、私の情報をあらかた話すね。えと、血液型はAB型、誕生日は一月一日。身長は158センチで、スリーサイズは上からはちじゅ──」
「ちょ、ま、待って。なに言ってるんだ?」
「え、私のことを教えようと」
「昔のことを教えてくれって言ってるんだ。今の身長とか、スリーサイズとかそんなのを聞いてるんじゃない」
血液型と誕生日。この二つから何か記憶が刺激されたりもしなかった。ただ、この二つは情報として持っていれば、どこかで活用できるかもしれない。
しかし現在の身長やスリーサイズは聞いたところで、記憶が呼び起こされる訳がない。
というか、軽はずみに聞いていい内容ではなかった。
彼女は「あ、そうだね」と照れ臭そうに笑うと、頬を指で掻いた。
「えとね。昔はゆーくん、私のこと『あかり』って呼んでたの。思い出せない?」
「あぁ悪いけど」
「うーん。他に何を言えばいいかな〜」
桜坂さんは口先に人差し指を置くと、頭を唸らせる。
と、その時だった。
がちゃり、と音を立ててリビングの扉が開いた。
「あれ、兄貴もう起きて──」
そこから登場したのは、妹の
テンパ気味のボサボサの髪、寝癖でメデューサみたいになっている。青みがかった黒髪に、少しキリッとした猫目が特徴的だ。胸はない。
卯月は、パチクリとまぶたを瞬くと、ぽかんと口を開けた。
「兄貴が女連れ込んでる……!」
「……ッ。こ、これは──!」
スッカリ妹のことを忘れていた。
この家には今、俺と妹の二人で住んでいる。
桜坂さんの情報を集めるのに必死で、卯月のことに気が回っていなかった。
俺が焦燥感に襲われていると、桜坂さんが一歩前に出る。
「桜坂明里ですっ。お邪魔してます」
「あ、ご丁寧にどうも。妹の卯月です」
不法侵入していますの間違いじゃないだろうか。
卯月はペコリと頭を下げると、俺の元に駆け寄る。そっと耳打ちしてきた。
「あ、兄貴、彼女連れてくるなら事前に言っておいてくれよ。あたし、髪の毛も何もセットしてない!」
「いや、これは──」
「てか朝っぱらからよくやるね。ある意味尊敬するよ兄貴」
「は? 誤解してる。桜坂さんは俺の彼女じゃない」
「え? そうなの?」
卯月は首を傾げると、不可解と言わんばかりの表情を浮かべた。さてどう説明したものか。
思案する俺。
すると、俺たちの会話を近くで盗み聞いていた桜坂さんが切り出した。
「私はゆーくん……えと、結弦くんが好きなの。それで突撃訪問しちゃって。さっき告白もしたんだけど、彼女に認めて貰えなかった人です」
自分の気持ちと、自分の置かれた状況を説明する桜坂さん。
内容が内容だけに、卯月が言葉を噛み砕くのに時間を要する。
「彼女に認めて貰えなかった……? つまり、兄貴が振ったってこと?」
その問いかけに、桜坂さんが首を縦に振る。
途端、卯月の目の色が変わった。
「な、なにしてんだよ兄貴! 今からでも取り消せよ。まだ間に合うって! 千載一遇のチャンス、自ら手放してどうするんだよ!」
俺の服を掴み、激昂する。上下に強く揺らされた。
こ、こいつ俺の気も知らないで……。
「お、落ち着いて。ゆーくんが私と付き合ってくれるようになるまで頑張るからっ」
「良い人だ……兄貴には勿体なすぎる! 不束な兄ですけど、ぜひ付き合ってあげてください! 他に貰い手もないので、ホント。なんならそのままあたしの姉になってくださいっ」
俺の気持ちをガン無視して、卯月が交際するようお願いする。
「は? 勝手なこと言うなって──」
「兄貴は黙ってて!」
キッと鋭い目つきで睨まれる。
……妹が完全に桜坂さんサイドに立っていた。
ただでさえ八方塞がりな状態なのに、妹まで。
はぁ。頭、痛くなってきた……。
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