第8話 朝起こしにくる美少女って、プライバシー無視してないか?①

 朝、美少女に起こされる、なんてのは男なら誰しも一度は妄想する世界。

 ボッチを貫き恋人を作ろうとしない俺とて、それは例外ではない。そもそも、俺は女性が嫌いなわけではない。もちろん生理的欲求はある。


 ゆえに、美少女の甘い猫撫で声で起こされた日には──


「あ、やっと起きた。おはよ♡」


 ──現実逃避を始めたくなる。


 六回目の金曜日。


 今回は、更なる波乱を生みそうだ。目覚めて早々、俺はそう強く感じていた。


 脳の奥を刺激するような、甘美な声。

 柔和な笑みも手伝って、それはとても蠱惑的だった。


 俺に馬乗りになっていた彼女──桜坂明里は、俺の起床を確認するなり、しなだれかかってくる。


 布団を隔てて、桜坂さんが俺の上に重なった


「な、なにし──だ、誰だよお前!」


 瞬間、俺は桜坂さんの肩を押す。

 その隙に、上体を起こしてベッドから転げ落ちた。今日は、恐らく六度目の金曜日。桜坂さんのことは知らない体で進める。


「えへへ、私のこと覚えてない?」


「だ、誰だよ」


「むぅ。驚いた拍子に思い出す作戦は失敗か……」


「はあ?」


 桜坂さんは、ベッドの上で女の子座りをしながら、むすくれた表情を浮かべる。


 起床と同時に桜坂さんがいる現状に、俺の脳が理解を拒否している。


 床に尻餅をついたまま動けずにいた。

 当惑する俺に、彼女はチラリと視線を寄こす。


 ベッドから降りて、息がかかるくらい間近に迫ってきた。


「私と、恋人になってよ」


「な、なに言ってんだ……てか不法侵入だってわかっているのか? け、警察呼ぶぞ」


 そう切り返すと、桜坂さんはリスみたいに頬を膨らませる。


 不満そうに唇を前に尖らせてきた。


「真面目だなぁ……てか、これってラブコメの導入っぽくない?」


「は?」


「起床と同時に美少女がいて、いきなり告白されるの。探せばいっぱいありそうだよね」


「ふ、ふざけてるのか」


 ラブコメの導入。

 確かにそう言われても仕方がないくらい、この現状は突飛なものだった。


 ただ、それを仕掛けてきた本人が言うのは違う気がする。


「ゆーくんはどんなシチュエーションが好き?」


「どんなも何もない。帰ってくれ! じゃないと本気で警察を呼ぶ!」


 俺と桜坂さんの温度差は、明らかなものだった。


 俺は手近にあったスマホを掴み、見せつけるように掲げる。


 脅しではない。

 場合によっては、本当に警察を呼ぼうと考えている。


「あ、待って待って。それは困る!」


「だったら今すぐ──」


「私、ゆーくんに危害を加えたいわけじゃないの。心配なら身体検査してくれていいよ。隅から隅まで調べていいから!」


 桜坂さんはさっと立ち上がり、両手をあげる。


 無抵抗な様子を見せてきた。

 俺はいまだに尻餅をついた状態。突如生まれた高低差により、スカートの中が見える。黒だった。


「あっ、ゆーくんのエッチ♡」


「……っ、だ、だったらスカートの丈考えろよ!」


 今更だが桜坂さんは制服姿だ。

 だからどうしたといえば、それまでだが。


「ゆーくんが望むなら、もっと見せてあげてもいいよ?」


「馬鹿かよ……。大体、どうやってウチに入った?」


 このままだと良くない方向に話が流れそうだ。逸れた道から元に戻す。


「愛の力♡」


「そんなことは聞いてない」


 家にいるのは、妹と俺の二人だ。

 カギを掛け忘れた可能性は否定できない。ただ、妹も俺もそんな些細なミスは犯さない。


 大体、昨日の夜はチェーンまで閉めた覚えがある。夜中に妹が出歩いていれば別だが、暗所を苦手とする妹が夜に出歩くとは思えなかった。


 俺が胡乱な眼差しを向けると、桜坂さんはだくだくと汗を掻きはじめた。


「えっとね。リビングの窓が割れてたの。そこから鍵を開けて、中に入らせてもらいました」


 隠し通すのは無理だと悟ったのか、侵入ルートを打ち明ける。

 俺は強い焦燥感に襲われると、リビングへと駆け出した。


 リビングに入るなり、窓ガラスに穴が空いていた。周囲にはガラスの破片が飛散して、ガムテープが散らばっている。……この女、マジか。


「ほ、ほらね。割れてるでしょう?」


「お前が割ったんだろうが!」


「ひぅ……ち、違うよゆーくん。きっと、空き地で野球をやってる少年たちがやったんだよ。誰かのホームランボールが直撃して」


「この近くに空き地はないし、もしそうならとっくに音で目覚めてる!」


 ガムテープは静かにガラスを割る手段の一つだ。計画的な犯行だった。決して、不慮の事故などではない。


 シラを切るのは無理だと悟ったのか、桜坂さんがしょんぼりと項垂れる。


「ご……ごめんなさい。悪気はなかったの」


「ったく、どうすんだよ。これ……」


 現状を憂いる俺。

 深々と頭を抱えて、大きくため息を吐いた。


 まぁ、また今日を繰り返せば元通──いかん。その思考を俺が始めたらダメだ。同じ日を繰り返すこの現状から、早く脱却しないといけない。


「そ、掃除するねっ」


 桜坂さんはとてとてと窓ガラスへと向かう。


 散らばったガラスを一つ一つ丁寧に、摘み始めた。俺は慌てて彼女の元に駆け寄ると、右腕を掴む。


「な、なにしてんだよ」


「え? 掃除だけど」


「素手でやったら怪我する。今、チリトリ持ってくっから」


「えへっ。ゆーくん、私の身体のこと気にしてくれてるんだ」


「そういうわけじゃ──とにかく、素手で触るなよ」


 俺はチリトリと小さいほうきをを取りに行く。

 はぁ、何やってんだかな俺は──。仮にも相手は、長年悩まされてきた同じ日を繰り返す力の元凶(?)で、今に至っては窓ガラスを割って不法侵入を図った犯罪者。


 ただそれでも、怪我をするリスクを黙って見過ごせる俺ではない。


 兎にも角にも、六回目の金曜日。


 今回は、これまでとは違う。起きて早々、桜坂さんとエンカウントした。


 だがこれは好機と捉えよう。

 現状を打破する何か有力な手段を、今日のうちに手に入れたいところだ。

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