第14話

 桜井警部は一心の足跡についての指摘には一理あると感じていた。

事件からひと月余りが過ぎ、退院した妻に任意で事情を訊こうと思い大都城警察署まで来てもらった。

 妻は帽子をかぶっていたが、その下にはネットの包帯が垣間見えていて痛々しかった。

「奥さん、退院したばかりのところすみませんが、何点かお訊きしたいので宜しくお願いします」

「はい、どうぞ」妻は不安そうな表情を浮かべている。

「先ず、事件は真夜中の2時過ぎに発生しましたが、いつもそんなに遅くまで起きているんですか?」

「いえ、普段は午後10時には寝ています。あの時も大西が腹減ったと言って部屋のドアを叩いて私を起こしたんです」妻は寒そうに両腕を摩りながら、自分を見て説明した。

「どうしました?寒いですか?」と尋ねると「何かこの部屋寒くないですか?」と訊き返してくる。

その部屋は北向きの取調室で鉄筋の建物だが古くて隙間風も多少は入る。桜井は「じゃ、場所変えましょう」と言って部下に「南側の会議室空いてたかな?」と訊く。

見てきますと言って高野刑事が走って様子を見に行った。

待っていると「空いてます」ドアを開けるなり高野刑事はそう言って妻に部屋を移るよう促す。

 桜井は会議室の口の字形に並べられた長テーブルの日の当たる角に妻を座らせ、自分は角を挟んで座った。

「夜中にご主人がそう言うことはままあることなんですか?」

「滅多にありません。ちょっとのおつまみなら冷蔵庫に入ってますから」妻はすらすらと答えるので、嘘はなさそうである。

「その日は何も無かったという事ですか?」

「いえ、あるには有ったんですが、カップ麺を食べたいと言い出したんです」

「そんな夜中にですか?朝起きたら仕事ですよね?どうして滅多にないそう言う行動をご主人は取ったのでしょう?」

妻は首を傾げ「よく分かりません。我儘な人ですから、大西は」と噛んで吐き出すように言った。

「で、あなたは近くのコンビニへ向かったんですね?」

「そうです、仕方がないので出ました」

「出られた時間は覚えてますか?」

「いえ、でも、起こされたのは2時でした。こんな夜中に何?と思って時計を見ましたから」

「コンビニまでは5分位ですか?」

「そうですねぇ。多分」妻が少し考えてから言ったので「あまりコンビニへは行かないのですか?」と訊いてみた。

「えぇ、日中にスーパーへ行った方が安いので、コンビニへはあまり・・」

「コンビニに客はいました?」

「いえ、私一人だけでした」それは監視カメラで確認済みのことだった。

「レシートの時刻が2時26分でしたから、逆算すると家を出たのは2時20分くらいですね」

桜井がそう言うと妻は黙って頷いた。

「そうすると家に戻ったのは31分頃という事になりますね」

妻はまた黙って頷いた。

「過去の事例から、強盗に入ろうとした場合、家の中の動きが気になるもんです。起きていると騒がれるから止めることもある。近所の方に訊いたんですが、誰も大声を聞いてないんです。だからご主人が寝ていたとするなら素直に理解できるのですが、起きていたとなると何故賊が侵入したときに騒がなかったのかという疑問が一つあります。それと強盗の所要時間なんですが、門の中へ入る時には当然歩行者や車が通ていないことを確認します。庭に入り家の後ろまで回って行くとき、足元には砂利が敷いてあったので、音を出さないように気を付けてゆっくり歩くんです。しかし、今回の足跡から賊は普通に歩いているんですよねぇ。不思議だと思いませんか?」そう言って妻の顔色を窺う。

「そう言われても、私にはどう解釈していいのかわかりません」妻の目の中に不安が立ち込め、頻りに髪の毛や指を触っている。

「そしてご主人の部屋の窓ガラスを切り取るんですが、どの窓から入るかは、賊にとっては命取りになり兼ねない問題です。だから時間をかけてじっくり判断するんですよ。そして灯りの点いていない且つ音のしていない部屋から侵入するもんなんです。しかし、今回はご主人が起きていたわけだし、通報を受け我々が部屋に入った時、蛍光灯が点いていたんですよ。そうすると奥さん!変だと思いませんか?」

「はい、聞く限りは可笑しいと思います」妻は何の戸惑いもなく答えた。

「ですよね、そして部屋に侵入して、ご主人の財布から札を抜いたところへご主人が入ってきて、スプレーか何かで眠らせてから首を切った。可笑しいですよね?」そう言って妻を見つめる。

妻はきょとんとして「どこがでしょう?」と訊いてきた。

「目的は盗みのはずです。邪魔者を眠らせたら、盗めば良いじゃないですか。何故、殺した?」

そう言われて、妻の目が一瞬泳いだ。桜井はそれを見逃さなかった。

「僕はね、この事件は強盗殺人じゃなくて、計画殺人事件だと思うんですよ。賊は殺害目的で大西さんを狙って、じっくりこの家を調べてから侵入したと考えると、今までお話しした矛盾点はすべて解決するんですよ。そうでないと奥さんのいなかった2時20分から31分までの僅か11分の間に犯行は出来ないんですよ。自分の言いたいことが分かってもらえましたか?」桜井は厳しい眼差しを妻に向けた。

「ということは、大西に恨みのある人の犯行だと?」妻はやっとそう言ったが、指先が少し震えているのを桜井は見逃さない。

「奥さんは、大西さんの籍には入っていませんよね。何故です?」

「前の夫が海の事故で行方不明になっているので、7年待たないと失踪宣告ができないと聞いたので、大西にも了解をとってそうしてます」

「しかし、離婚なら3年経過で可能ですよね?」桜井が言うと妻はビクッとして顔を上げ頭を振った。

「えっ?そんな・・・私、初耳です」桜井はその言葉が本当なのか嘘なのか、推し図ろうとするがはっきりしない。妻の仕草や表情には驚きしか見えなかった。

「奥さんは何故ご主人を苗字で呼ぶんですか?普通なら、主人とか内の人とか言うと思うんですが?」

「前の主人の生死が分からない以上、主人とは呼べません。戸籍上の主人は島田涼真です」妻のこの発言には妙に力が篭っていた。自分は島田の女房だと言いたいようだ。

「それなら何故一緒に暮らしてるんですか?」桜井には主人と呼べないような相手と一緒に暮らす理由が理解できなかった。

「大西は強引な人で、私は嫌だと言ったのですが。押しかけてきて・・・」そう言って俯いた。そして時間を気にしている。

「それでは・・・」と桜井が言いかけると「済みません。娘が学校から帰って来るので、家に電話を入れさせてもらえませんか?」と言うので、どうぞと頷いて休憩を取ることにした。

 数分の間、部屋の片隅で電話をしていた妻が戻り、聞き取りを再開しようとすると、

先に妻が口を開いた。「あの~私が疑われているという事なんでしょうか?」と怯えた表情で言うので「いえ、聞き取りをしているだけで疑うかどうかはまだ先の話で、捜査員が集まって聞き取りの結果をまとめ、その中で疑いのある人を絞って行くんです。ですから怖がらずに思ったことをありのままに話してください」そう答えると妻は安心したように固く握った拳を少し緩めた。

「じゃ、質問に戻りますね。奥さんを突き飛ばした賊について何か覚えていることはありますか?」

「いえ、一瞬だったので、自分より背の高い幅のある人、というくらいしか・・・すみません」

「いや、奥さんが謝るようなことではありません。賊を探すヒントが欲しいだけですから。それと、足跡が奇妙なんです。室内で突然足跡の付き方が変わってるんです。例えば、体重の軽い犯人がご主人を殺害しドアを出たところで、体重の重い共犯者がその靴を履いて玄関から逃走したように」桜井は妻の反応を見ようと想定している考えをぶつけてみた。

「私には分かりません」妻は一瞬だが動揺し目が細かく左右に震えるように動いた。

「ちなみに、娘さんの身長と体重分かりますか?」

「えっ、娘も疑われるんですか?」妻の目の色が変わる。表情も険しくなった。

「いえ、関係者全員に訊くことです」

「そうですか、確か、身長は151センチで体重は46キロだったと思います」

「ありがとうございます。そして訊きずらいのですが、奥さんは?」

「はい、身長は149センチ、体重は50キロくらいだと思います」桜井は奥さんの見た感じもそのくらいかと思っていた。二人の体重差があまりないとすれば、足跡の説明は上手くできない。

「ありがとうございます、最後に奥さんは大西さんを愛していましたか?」

「はっ、それが事件と関係あるんですか?」妻の目に不審と驚きが共存している。

「参考までにです」

「愛していました」と妻は俯き加減で答えたが、桜井は妻の言葉の中に大西に対する愛情は感じられなかった。質問の中に大西の名前が出ても涙を見せることもなかった。

「大西さんは保険には入ってましたか?」

「はい、会社に来た保険屋さんに随分と前に入ったと聞いていました」妻は戸惑いも無く答えた。

「今日は以上です。長い時間ありがとうございました」桜井はそう言って事情聴取を終えた。

妻は一礼して帰って行った。

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