S、同人誌制作をやめる

 2018年初頭、Sはまた新しいカップリングに興味を持った(気が多いな……と思われるかもしれないが、数十人のキャラクターが登場するゲームを毎日のようにプレイしており、また周囲から様々な情報や創作物も流れてくるので、きっかけは多々あふれていたのだ)。

 カップリングのふたりは、長い年月の付き合いがあるが諸般の事情で衝突もしており、かつ性格も対照的であった。人気もあり、読み手書き手共に多くいた。

 緊張をはらんだ関係性を好むSは、このカップリングも愛好するようになった。


 が、初期の楽しさは長く続かなかった。

 即売会で同人誌を購入したSは、主流の傾向が自分の好みと著しく異なることにすぐ気付いた。大勢の傾向は「長年付き合いのある相思相愛の甘いカップル」であり、Sが好む緊張をはらんだ関係性とは著しく遠かった。


 最初のカップリングでの悪夢が思い出された。

 読者に合わせた内容が書けないこと、書こうとすると意欲が壊滅することは、既にわかっていた。

 Sは、今度は自分の好む話だけを書いた。他の書き手の話は、好みに合う数人のもの以外読まなくなった。

 毎週行われていた、オンラインでのお題付即興執筆イベントに積極的に参加した。書き上げた作品は、投稿サイト上で毎回数個~十数個のブックマーク(※カクヨムでいう★に近いなにか、と解釈してほしい)を得た。しかしそれ以上は伸びなかった。

 投稿サイト上には、同カップリングで数百~千数百のブックマークを得ているものも少なからずあった。潜在的な読み手が多くいるのは明らかだった。

 短い即興作品では伸びる余地がない、と解釈したSは、長編同人誌の構想を練り始めた。



 またこの頃、Sは有償講評を購入し始めた。

 当時スキル販売サイトに、小説の感想や講評を請け負う人々が現れ始めていた。二次創作を受け付けてくれる出品者は多くなかったが、見つけるとSは積極的に依頼をした。

 Sは長所よりも欠点の指摘を好んだ。長所の伸ばし方は明確でないが、欠点の改善はやるべきことがわかりやすい。挙がった欠点をSはひたすら潰していった。一朝一夕には直らない欠点もあった。それでもSは自作品質を上げるため、改善できる点を探し続けた。



 2019年春、Sは新カップリングで同人誌を作り始めた。

 最初に即興小説をまとめた短編集を、次に渾身の長編を発行した。いずれも40部程度を作り、初回の即売会で十数部を売り上げた。

 売れている実感はなかった。推定される周囲の発行部数は50~100部かそれ以上であり、即売会の熱気と興奮はSには遠いものと感じられた。

 オンラインでも、毎週続けていた即興短編のブックマーク数は相変わらず十数個程度であった。

 また、並行して同人誌制作を続けていた旧カップリングでも部数は漸減していた。この頃には、30部の完売目処が立たないまでになっていた。



 Sは、同人誌入稿後に抑鬱状態に陥るようになった。

 部数向上が見込めない中「また売上部数が減るのではないか」「次こそゼロになるのではないか」との憶測に、毎回取り憑かれるようになった。

 落ち込みをTwitterで吐き出し、親しかった相互フォロワーにDMで気遣われ、心配をかけたことを謝り、それでも回復せずまた落ち込み……といった状況が繰り返された。

 以下は、当時のSが呟いた内容の一部である(改行の入れ方と、一部わかりにくい用語とを筆者側で編集している)。


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読み手のいない本を作って何の意味があるんだろう、という問いに答えが出なくなった。


書いてるのは小説だけど、小説はつまり言葉で、言葉は相手に伝えるためのものであるわけで。

伝える相手がいない言葉に何の意味があるんだろうか、と考えたとき「何もない」という以外の答えが出てこなくなった。


(内容的なものは横に置いて、数値的な意味であえてこの言葉を使うと)底辺字書きを10年、このゲームでの二次創作活動を4年やってきたけど、一番読まれて反応があったのは最初に書いた10年前の長編で、そのあとのものはまったくそれに及んでいない現状で。

これまでの年月に何の意味があったのかわからなくなった。


週末は即売会だけど、色々な指標を見るに新刊の頒布数は前回の即売会を下回ることが確実そうで、そうなるとまあ一桁かな、と思ってみて。

この状態で本作る意味あるのかな……と思った時、まったく意味が見いだせないことに気がついた。

虚空に向かって語る言葉に何の意味があるのだろう?


文を書くのはとても楽しいし、脳内妄想を具現化するのはとても興奮する作業なのだけれど。

書いている時は楽しくても、書き終わってできあがったものを外界に投げた後は、ただただ辛いばかりの気がしている……

何やってるんだろうな自分?


自分が楽しくやっていれば誰かが見ていてくれる、なんてお花畑を信じるには、経った時間がもう長すぎるし。

自分が楽しいのはまあいいとして、それを外へ投げる意味ってなんなんだろう?

昨年夏ぐらいからずっと楽しさばかりで突っ走ってきたけど、ふと立ち止まった時に、見えるものが何もない……

好きで書いてはいるのだけど、好きであろうが虚しいものは虚しいし、意味がないものは意味がない。


なんだか昔いちど筆を折りかけた時に近い状態に陥ってるな……

あのときは「自分の中のカップリング解釈」を力いっぱい詰めた長編書いてて、で、それの最終巻の頒布数が片手に満たなかったんだよね……同カップリングで集まってて大賑わいのイベントで。

それから長いこと精神的自傷に陥ったんだった。

自分の書くものには致命的欠陥があるんじゃないか、徹底的に改善しなきゃならないんじゃないか、って。


今もそんな感じの状態だなあ……

スキル売買サイトとかでいくら有料の批評感想お願いしてよくできてると言っていただいても、疑念はずっと拭えないでいる。底辺だから。

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 この状態で臨んだ2019年夏のコミックマーケットにて、Sの新刊頒布数は壊滅的に落ち込んだ。

 Sは元々、同人活動は趣味であり、趣味に経費が掛かるのは当然だとの認識で、数万円程度の赤字は甘受していた。だがこの時のSにとって、金銭的負担はそのまま精神的打撃となった。


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かかる諸費用と得られる結果とを考えると、とても同人誌即売会への参加を継続することはできないと判断せざるをえませんでした。


特に今回、コミックマーケット96での頒布数は壊滅的でした。

とだけ言っても具体的にどこまでだめだったか伝わらないと思いますので数を出しますと(どうせ失うものもないですし)、頒布総数は4部でした。

うち2部は身内の同カップリングサークルさんに頒布したものですので、それを抜くと実質頒布数は2部となります。

一方でコミックマーケット96参加のための諸費用は、最低限必要なもの(交通費・宿泊費・印刷代・スペース代)だけで合計約8万円かかっています。


つまり、1部頒布するための経費が約4万円かかった計算になります。


この数字を出した瞬間、憑き物が落ちたように何かがすうっと冷めていったように思います……

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 Sは上記の告知を出し、同人誌制作の終了とWeb活動への一本化を宣言した。

 そして、2020年の1月を最後に同人誌即売会への参加をやめた。

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