第30話 ドライブソング 後編

「あぁ…使える」


 べべがメイシーの説明が終わるのを待って、神妙な顔つきのまま、昔の、遠い過去にあった辛い戦争の日々を思い出したように緑の瞳の中に深い暗がりを落として質問に答えた。


「嘘だ。そいつにできんのは中級の光学迷彩だけだ。そいつは光学迷彩のエキスパートなんだよ。いっつも戦場を透明になって走り回ってた」


キースが呆れて、ベベの言葉を否定した。


「あんた本当に一体何なの!?人を馬鹿にしないと生きていけないわけ!?」


 メイシーはキースの言葉を聞いて、感動と少しばかりの尊敬の念が自分の胸に吹き渡ったことが無性に恥ずかしくなった。

そしてその恥辱をかき消すために、勢いよく立ち上がり大きく口を開けてベベを非難した。


「ハッハァー!」


ベベはやっぱり笑ってるだけだった。


 エメリアは自分が始めた会話によって車内により不穏な空気が流れてしまったことに怯えてしまい、握られたスカートの裾を見つめることしか考えないようにすることにした。

 他の面々も、元の作業に立ち返り、無言の車内には、べべのくだらない小話と手を叩く音、そして笑い声だけが時折鳴り響いていた。


 恐ろしい揺れの数を一つ、二つ、とシャルルは数えていた。

そうすることでほんの少しだけ、揺れによる不快感が軽くなるような気がした。

シャルルのカウントが一万に届いた頃、脳内に老人の声が聞こえてきた。

『シャルル!いつまで青くなっておる!』


『もうすぐモモンマルコンが見えてくるぞ!』


『あなたが、大人しくエメリアの記憶を元に戻してくれればこんなことになってないのは分かってるんですか?』


 老人の声がシャルルの不快感を一層酷くした。

その痛みを紛らわすために、ホトの隙間から目線を馬車の遠く、霧のかかった緑の森へ向けた。

高速で遠ざかっていく緑の塊は、色んな生き物が駆け抜けているようだった。


『じゃからそれはできん。』


『またライトノベルですか…』


『それもあるがの、それだけでもないぞ』


『今、僕はですね、酷く頭が痛いんですが』


『ワシらの間でもの、お主の意見を受けてエメリアの記憶を戻してええか、それともこのままがええのか意見が分かれておるからじゃ』


『どういうことですか?』


『記憶を戻すのが幸せなのか、戻さない方が幸せなのか、それはワシら神にも計り知れんことになっておるのじゃ』


『あなたたちに計れない物なんてないでしょう』


シャルルは緑色の狼を目で追いかけながら、神へと反論した。


『ワシらに干渉できるのは大局としての因果の流れだけじゃよ、シャルル。因果は流れとなり渦となりお主らを未来へと流していく。未来へ、未来へとの。お主らはその流れの中の木の葉じゃ。しかし、意思を持った木の葉じゃ。ワシらがどれだけ丁寧に河岸を繕おうともお主がどこに流れ着くのかは誰にも分からんよ。人の意思というのはの、それだけ強いのじゃ。因果よりもの。現にお主という木の葉は何度か神の意思を捻じ曲げておるじゃろう。』


『じゃからの、ワシらはエメリアの未来はお主という木の葉に託すことにしたのじゃ』


『全ては僕の出す結果次第…ということですか?』


『さよう、お主の導き出す結末を楽しみにしておるよ。』


『僕のいた世界では神はサイコロを振らないと言った偉大な物理学者がいましたよ』


『何を言う!年に一度は皆で振っておるぞ!』


 シャルルと神がそんな話をしているうちに、記憶の消える町、モモンマルコンへと到着した。


 シャルルがようやく、とめどない馬車の揺れと、密室に響き渡るベベの笑い声から解放され、半日ぶりの地面を踏み締めた。


 地面の重厚感と、吹き抜ける空間のありがたさを肺いっぱいに吸い込んだあと、空を見上げると、夕空に照らされたオレンジ色の雲が空一杯を埋め尽くし、手が届きそうな圧迫感をもってシャルルを見下している。


 プルミエの街よりのどかな雰囲気を持つ静かな町だった。

中央に鎮座する時計塔へ昇り、下を見下ろせばぐるりとその視界に全て入れることができそうな小さな町で、石造りの建物よりも木材と漆喰で構成された建物の方が目立つような気がした。


 モモンマルコンは、グランテールの中央部西端に位置するので、先の戦争の影響をさほど受けなかった。

そのおかげで、モモンマルコンの人々と美しい漆喰の建物はその静けさを保ち続けることができた。


 静かなる平和を享受する町モモンマルコンへシャルルたちが降り立ったとき、嬉しそうに一人の中年の小太りの男が駆け寄ってきた。

50メートルも先からでも、彼の顔が喜びで満ち溢れてることがはっきりとわかった。


「ようこそ!モモンマルコンへ!あんたらみたいな旅人が来たのはいつ以来だろう!嬉しいなぁ」


 小太りの男が満面の笑顔でたちを歓迎した。

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