第29話 ドライブソング 前編

 馬車の中で、腕を引きちぎろうと振り回しながら、ベベは、趣味の悪いピエロメイクを顔に貼り付け、今日の太陽よりも陽気に輝いていた。


「よぅく来たねぇ!これから僕たちが向かう街はねッ!ここから西へまっすぐ進んだ街!モモンマルコンさ!霧深き街道と、生い茂る緑の森を抜け…」


「ベベ、街の名前が聞けりゃあとはこっちで勝手に調べる。お前はここに残っていい」


「ハッハァーッ!そんなわけにはいかないさ!僕には僕の用事があるからねっ!」


「考えてもみたまえ諸君ッ!何回やってもベベのことを忘れちゃうってことは、何回でも彼らの前でマジックショーをやれるってことなんだよねぇ」


「はぁ…。もういい、行くぞ」


 キースとベベのやり取りを聞いて、そうかこの男と当分行動しなければならないのか、とシャルルの脳裏を、首筋の痛みを伴いながら、暗い思考が走り抜けた。


 横に立つ、黒のワンピースに身を包んだ、エメリアを見ると、手を腹の前で組ませたまま、何かを言おうとしては口を閉じる動作を繰り返していた。


 シャルルとエメリアがすっかり重くなった両足を名残惜しそうに石畳に押し付けているとき、馬車の中から、可愛らしい小鳥のような声が冷たい音色を伴って響いてきた。


「そうよ。早く乗ってこの男の相手をしてちょうだい。うるさくてかなわないわ。」


 馬車の中には、ベベの撒き散らす陽気な熱気に炙られるようにしながら、隅っこの方で恨めしそうにそれを見つめるメイシーの姿があった。


 シャルルが、どうしてここにいるんだろう、

と思いそれを、愛しい石畳の上から覗き込んでいると、彼女は熱気に当てられたのか、その色白の頬に赤みを添えながらシャルルからの無言の質問に答えた。


「わ、私にだって用事があるのよ!早く乗りなさい!」


 プルミエの街を出て、数分も立たないうちにシャルルの胸の中では、その先の道中への不安たちが手を取り合ってタップダンスを踊っていた。


 馬車とはこんなに揺れるものなのか、いや揺れるなんてものじゃない、自分が見えていないだけで客車を覆うホロの向こう側を巨人が掴んで振り回しているんじゃないのか?と胸の中から響き渡ってきた。


 その上、もう一つの不安がそんなことを考えている間も甲高い声で手を叩いて笑っている。

シャルルが不快な揺れを意識を空っぽにして耐え凌ごうと何度試みても、ベベの甲高い声がそれを阻止した。

 ベベは一人で何か小話をしては、一人で甲高く手を叩いて笑って、馬車中に不穏な空気を撒き散らかした。


 エメリアがそんな空気に耐えかね、意を決してベベに語りかけた。

緊張しているのか、彼女の黒いスカートの裾は、両の拳によって強く握りしめられていた。


「ベベさんはキースさんの昔のお友達ってことは、元々戦士だったんですか?」


「僕のことは気安く大きな声でベェべ!と呼んでくれたまえ!あぁ!それも、とっても強いね、戦士だったんだよ。白銀のキース、赤のヴェニーシャ、天才のベベ。そんな風に呼ばれていたのさッ!」


エメリアの端的な質問にもベベは長々と答えて見せた。


 きっとおはようの一言にでも30分は話してみせるだろうな、とシャルルは、自分のことを棚の上に置いたあとで、そう思った。


「へぇ、それは心強いですね」


 シャルルが、青白くなったその顔になんとか笑顔をつくって相槌をうつと、隅の方からフンと鼻を鳴らす音が聞こえた。


「あら、私には天才のべべさんの名前に聞き覚えがないのだけど?」


 メイシーが、意地悪そうに大袈裟に首を傾げてべべの言葉を繰り返した。


 ベベは甲高くハッハー!と笑うばかりで答える気がなさそうだったので、出発してからずっと、べべの声を遮断して客車の右上のホロにできたシミを眺める作業に没頭していたキースが、ついに諦めて答えた。


「そいつが戦士だったのだけは本当だが、戦闘で期待するのはやめとけ」


「よくこんなのが西海事変を生き残れたわね」


 メイシーがベベのことを小さな口でこんなの呼ばわりし、青い目で不快感たっぷりに大きな靴を履いた足元からピエロに不揃いなシルクハットまで舐め回しながら呟いた感想に、シャルルは大きく頷いて同意した。


「ベベは光魔法のエキスパートだからな」


「ハッハー!僕が戦うと敵も味方も消してしまうことになるからね…。それはあまりにも忍びないだろう?」


 ベベはキースの答えを聞いたあと、甲高い笑い声をあげた途端、いつもより低いトーンで、老練な歴史学者のような口調で落ち着いて答えた。

それはまさに手品のような早変わりだった。


「嘘…じゃああんたなんかが神聖級の裁きの光を…?」


 シャルルの目がべべの早変わりに気を取られていたとき、メイシーの耳は彼の声色ではなく、その内容を聞いていたようで、ひどく驚いていた。


「裁きの光…?」


「体系魔法の中でも特に扱いが難しい魔法よ。収束された光の束で敵を滅ぼす力。その修得には原子レベルのエネルギー状態に干渉する莫大な魔力とそれを制御する微細なコントロール技術が高いレベルで必要なの。」


 シャルルの疑問に、メイシーがフンと言いながら、どこか誇らしげに事細かに説明してくれた。

シャルルには何を言っているのかさっぱりだったが、メイシーは魔法が好きなんだな、と思って聞いていた。

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