わたしはいまだに親というものがわからない。
愛されてきたとは思う。ここに記されたような虐待は思い当たらないし、守ってもらってきたし、今もそうだと思う。
だけど、親の掌の上から逃れられなくて、若い頃はとても苦しかったことも思い出す。
それは宇宙を統べるお釈迦様の掌のようだった。
同時に自分は親にはなれないと思い子は産まない選択をした。そんなご大層な人間ではない、そう思ったからだ。
愛されてきたとしても、人間にとって親という存在はかくも大きい。重い。そしてそれが自分を否定し続ける者どもであったら、尚更だろう。その苦しみと無力感は計り知れない。
だがここに描かれた軌跡は、勇気を持ってそこから逃れ、毒親を「弱い人間」と見つめ直すことで生じるひとりの人間の再生の道だった。
その結果、「あなた」が生きていることをわたしはなにより幸いに思う。
どうか、これからもご自身を信じていってください。
この作品を読み「親の愛ではない」と言いきれる人は幸せだと思う。
何故なら「愛」が何かを知っているから。
何故なら「毒」が何かを知っているから。
ひどい、こんなのあり得ない、可哀相、というのは簡単だ。
澄み切った文章の中、ひりつくような感情がこめられているこの作品を一言で表すのは難しい。
愛と毒は表裏一体ということがよくわかる作品で、だからこそ読むのが怖かった。
自分も誰かに「愛」を無作為にばらまいていないか。
自分も誰かに「毒」を無作為にばらまいていないか。
そんな不安を抱きながらも、続きを読むのが止まらなかった。
魅力と筆力が、それだけある作品だから。