6位~4位

6位 ラグトレイン/稲葉曇

https://www.youtube.com/watch?v=UnIhRpIT7nc&vl=ja


ラグトレインは、PVも曲調も、非常に中毒性の高い曲です。ORANGERANGE「SUSHI食べたい」とのMADもつくられました。タイトルの通り電車が登場しますが、どこかはずれた笛のような音、どこか和楽器を想像させる音色がやみつきになります。

 同時にPVも非常に頭に残る。一定の動きの連続ともとれるのですが、かわいらしい「おさげちゃん」のダンス(?)を再現した動画もあるほどです。以下のPVは海外のとあるクリエイターがとても真面目に再現したものになっています。

( https://www.youtube.com/watch?v=EaPAJhitDWQ )


 歌詞については、あきらかに「あなた」という存在を引き留めようとしていることがわかります。特に1・2番のAメロとBメロの歌詞は、深読みせずともおおよその意味は読み取れます。

 では、他の歌詞はどうでしょう。

 一応、ここは純粋な解釈の枠ではなく、ランキングの枠なので、ここでは私が疑問に思ったところをいかに列挙するにとどめておきます。いずれ解明できる時が来たら、お知らせします。


・「あがいた息を捨てる」とあるが、何に対して「あがいた」のか。

・「各駅停車に乗り込む」とあるけれど、乗り込んだのは誰?

・「失くした言葉」とは何か。


 この曲については、歌詞よりもPVと曲そのものと、怪MADによって印象に残った面がとても強く、歌詞の考察はほぼしていないのが現状です。それでもランキング入りするほどの曲だったのです。


ピックアップリリックはこちら

「失くした言葉はそのままでいいよ」





5位 君の街まで/ASIAN KUNG-FU GENERATION

【 https://www.youtube.com/watch?v=-kFo84rwS1o 】

作詞・作曲 後藤正文


 「ソラニン」や、「ぼっち・ざ・ろっく!!」のある種の元ネタであるASIAN KUNG-FU GENERATIONの、2004年の楽曲です。衝撃的なPVが有名で、その部分は、ぼざろのアンソロジーコミックのカバー下にも登場しています。

 

 ラグトレイン同様、この曲も語り手と「君」との間に物理的な隔たりがあることがうかがえます。つまり、遠距離恋愛の曲として捉えることができる、とも思うのですが、ここで違和感を私は覚えてしまいました。

 

 サビのところですが、「君」が「僕ら」を救う存在になる、というような歌詞が現れます。同時に「君」が「誰か」を救う存在になる、とも。

 「僕ら」が語り手と「君」の二人称複数だとすると、「僕」に対して非常に受動的なものを感じてしまう。「君」がいずれもたらすであろう救いを待っているような。

 また、「君」が「僕(ら)」と近い距離にあることは、二番のサビ冒頭の「隣にいる冴えない君」という歌詞で明らかになっています。ここで、遠距離恋愛説に対して疑問符が立ち上がるわけです。


 そうなると、この曲は「君」と「僕ら」の歌であると解した方がよさそうです。つまり、「僕ら」というのは僕と君という意味ではないということですね。

 

 そうなるとどのような関係性が考えられるのでしょう。「僕ら」と「君」、「隣」と表現できるくらい近いけれども、「飛べればいいのにな」と思うくらい遠い存在でもある関係性です。

 たとえば、クリエイターと視聴者との関係性はこれにあたるかもしれません。クリエイターの側は、見ず知らずの誰か(君)に作品を届け、君もそれに呼応する。それが維持されていれば何も問題はないわけですけれど、大概受け手側というのは心移りしやすいものです。「色づく季節を過ぎゆく思い」、「駆け足早めて逃げ出す」という表現は、そういう受け手の性を表現しているようにも思えます。一方のクリエイター側は、これをひきとめるのは難しいですが、それでも届け続けることがカギになるのでしょう。「羽ばたいている間は消えないから」という歌詞にはその思いが表れているように思えます。


 なお、アニメ版ぼざろの7話「君の家まで」はこの曲のタイトルをもじったものになっています。







4位 絶頂讃歌/和ぬか

【 https://www.youtube.com/watch?v=pLBX9vdrtn4 】

 

 性的な言葉をぼかす表現は、古い時代から使われています。いわゆる「朧化ろうか表現」というものです。back number「重なり」などがあります。

 これは現代の楽曲や詩などにも引き継がれているわけですが、たまにその禁を破り、一歩踏み込んだ、より直接的な表現をする曲が現れます。

 

 たとえば、みきとP「SECRET DVD」などはその典型ですが、この「絶頂讃歌」も、その系統に属すると言っていいでしょう。


 作者の和ぬかさんは「寄り酔い」が有名です。海外でも人気なのか、英語のコメントも多いです。PVはダンスホール? ディスコ? のような場所で妖艶な女性がなめらかにステップを踏んでいます。


 さて、この曲を簡潔に表すなら、「爽やかな、淫乱さ」になるでしょう。

 歌詞は一定の知識があれば理解できるようなものになっています。しかしそれにもかかわらず、べたつかない一夜のダンスが演出されているのです。

 二番Aメロ「この翼に輪を付けるかは僕ら次第」は、なかなかきわどい歌詞であり、「繁栄のために愛を放つ」というサビの歌詞と呼応しています。

 

 また、私としては今あげた「今宵も僕らは繁栄のために愛を放つ」という歌詞に疑義を抱いてしまいます。


 そもそもここで歌われている二人はどのような関係なのでしょう。この先の未来をともに歩んでいくような関係性なのでしょうか。1番Bメロ「堪えきれぬ欲望に任せて」とあることを踏まえると、それとは違った間柄ではなかろうかと勘繰ってしまいます。

 それであるなら、サビの「繁栄のために愛を放つ」という表現は、一種の韜晦とうかい表現では……? と思うわけです。言い換えれば、「正当化」になるでしょうか。生き物の本能にすりかえることによって、自らの今に目をつぶる、あるいはごまかすというわけです。


 「零れる涙」、「溢れた吐息」とあるように、この曲の主人公(あるいは相手も)が、今の現実に何を思っているかは推量できそうです。あくまで想像ですが。


 ちなみに、この曲はYouTubeの広告で流れてきたような記憶があります(ちがうかもしれません)。以前ヰ世界情緒「シリウスの心臓」(詩曲:傘村トータ)も広告で知ったということを、同曲の解釈をしたときに記しましたが、たまにそういうことがあるので、広告も馬鹿にできません。

 

 ピックアップリリックはこちら。

「願うは三度の絶頂を」

 繰り返し歌われるこの一節は、耳に残ります。

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