第32話 真に顧客が求めていたもの

 馬車でかなりの距離を戻り、ようやくモモの故郷であるウェンディゴの隠れ里に到着することができた。

 隠れ里というだけあり、途中濃霧に覆われて立ち往生しそうだったが、モモが呪文を唱えるとあっという間に晴れわたった空に変化した。


「到着。ここが吾輩の故郷。里の名は無し。ただ隠れ里とだけ呼ぶ」

「おお、これは先進的な……」


 朕の知ってるようなファンタジー要素の詰まった村が広がっている。

 牧畜・農業・露店・巡回兵。赤子を背負ったウェンディゴの奥様たちが立ち話をし、男たちが大工仕事で汗をかいている。路面は砂利が敷き詰められており、歩行に何の支障もなさそうだ。


 そして何より、臭くないのよ!

 そりゃ畜産物の臭いとか、食料品の鮮度が落ちた臭いはするが、圧倒的に厠の香りが存在しない。よく見れば肥溜めのようなものが存在し、中で堆肥を作成しているようだ。つまりは落下式に近いトイレがあるということだ。

 

「この里は素晴らしいな。ぜひこの姿をモデルケースとして各地に広めたらいいのだが。少しは人間も獣同然の生活から脱出できるというのにな」

「里、交流少ない。吾輩たちは付き合う人間は選ぶ」

「それはそうか。日中から武装強盗が出るような土地柄だしな。ほいほい受け入れてたりしたら略奪されるわな」


 御者をモモに代わってもらい、彼女の生家へと案内してもらう。

 文明開化の風が吹くこの里で、どのような生活をしているのかとても楽しみになってきた。


「到着。父上、母上、吾輩帰宅。友人同行につき挨拶求む」

 ドアノッカーを鳴らすことなく、モモは手早く室内へと入った、レンガ造りの温かい家で、リビングには藤で編まれたくつろぎやすそうな椅子と、木を彫り出して作ったであろう立派なテーブルがあった。


「おおモモ。戻ったのか、無事でよかった。それに多くの友人に恵まれたようだな。いい研究ができたようでなによりだ」

「ただいま父上。試験のための成果完成。彼らのおかげ。母上は?」

「王都で流行り病が発生してな。知っての通りカヤは王国指定の薬師だ。入れ違いで旅立ってしまったよ」


 モモの家は薬剤系を家業としているのか。母娘そろって同じ道を歩むのは、さぞ誇らしいことだろう。


「ご友人がた、娘がお世話になっております。私はモモの父のライアスと言います。ぜひゆっくりとくつろいで行ってください」

「ありがとうございます。本当に、お世辞抜きで素晴らしい里ですね。俺は今とても感動しています」


 事実です。この住環境や衛生観念は南大陸で今のところトップランクだ。


「ははは、それは嬉しいことを。お腹はすいていませんか? 時間をいただければご用意しましょう」

「いえ、そこまで甘えるわけには――」

「はいはい、お腹すいてるっす! にーくにーく!」


 ぷえええ。あのさあ、朕たち今すごく文化的な交流をしていたのよ。いわゆる社交辞令のやりとりをして、色々とスムーズに進むようにしてたの。

 だからそんな床をドンドンしないで落ち着いてくれ。どう考えても朕たちのほうがやべーやつ扱いされるだろうが。


「遠慮が無くて素晴らしい。ふむ、旅でお疲れでしょうから風呂を先に用意しましょう。疲れを取ってからだと食事もまたひとしおですよ」


 ふ……ろ……?

 あるの? 風呂。

 おいおいおい、優勝だよウェンディゴ。どうして人間とこんなに差がついた?


「風呂ってなんすか?」

「お前ちょっと静かにしてて。マジで今大切な会話してるから。ここで失敗すると俺はもう発狂するレベルで泣き枯れるからね」

「そんなもんすかね。いまいちピンとこないっす」


 風呂というワードを知らない的な会話を受け、ライアスさんはちょっと引きつってたけどね。すまんけどこいつらを丸洗いしたい。そのあと掃除でもなんでもするから、絶対に風呂を貸してほしい。


「今のうちに学舎に研究成果を提出しに行ってきたらどうだ、モモ。お父さんは入り檻準備しておくから」

「肯定。ローエン、同行願う」

 袖をくいと引かれる。そうだな、後顧の憂いを断っておくことが愉悦を最大限享受する最も良い手段だからな。


――

 寺子屋と言えばよいのだろうか。学舎は意外にも近代的な木造建築で、驚くことに様々な種族が研究室を持っているようだった。

 朕が入り口のドアを開けたとき、トカゲ姿の二本足で歩く、性別不明な人物が白衣を着たまま外に走っていった。

 あらかじめフォックスリングやハーフエルフ、ウェンディゴに会ってなかったら、朕抜刀してたかもしれんよ。


 モモの成果はつつがなく受け入れられ、近日中に学士試験を受けるそうだ。その時まで滞在してほしいとの旨を受けるが、さてどうしたものか。

 いち早くシンハ王国に向かわなくてはいけないのだが、さりとて仲間の希望を無碍にするのも気が引ける。


 考えながらモモの家に帰宅する。

 ああ、ああああ、これぞ! これぞ!

 湯気だよ湯気。もうこの湿気100%の空気を嗅いでるだけで、朕は体がかゆくなりそうだよ。今すぐにでもお湯を浴びたい。この欲求はもう誰にも止められやしない。


「ああ、おかえりなさい。ええと……」

「すみません、ご挨拶が遅れました。自分はローエンという冒険者です。仲間のマリカ、ミィ、キサラ、そしてシャマナです」

 ぺこんちょと頭を下げ――下げさせ、うずうずしながらも紹介を済ませる。

「では湯を用意しましたので、どうぞゆっくりとされてください。モモ、お父さんは今から料理するけど、お前はどうする?」

「吾輩も手伝う。ローエン、がんばって」


 ああ、勿論さ。頑張るよ!

 え、何を?


「なんか水っぽい気配が多い家っすねー。雨のあとみたいな感じっす」

「ねえざこ、ミィたちこれから何をすればいいの?」

「沐浴……でしょうか。いつも女官に任せていたので、自分ではどうも……」

「知ってるよボク。これ水行だよね。聖女の試練でもよく受けたなぁ」


 誰も……風呂を知らない。

 嘘だろ。いや、まて、思い出せ。


 マリーシアの家……無し。

 ミストラ教地下教会……無し。

 旧ディアーナ教大聖堂……確認せず。

 ザハールの村と廃村……あるはずもなく。


 朕そういえば、ジェリングではタライに水を入れて汗拭いてたな。

 あらやだ! 風呂の概念なさすぎ! 古代ローマ人が聞いたらカルタゴを滅ぼす勢いでブチ切れられそう。


「すまん、ちょっといいか。今から体を洗って、お湯につかるわけだが。出来そうか?」

「は? お湯なんかに入ったら熱いじゃないっすか。なんでそんなことする必要あるんすか?」

 臭いからだよ。

 マジでもう問答は無用だ。

 ぎゃーぎゃー叫ばれるだろうが、もう知ったことか。こいつらひん剥いて清潔にしてやる!


――

「二人ずつ来い。最初はマリカとミィだ」

 朕は帝国印の石鹸と、湯あみ用のへちまを手にして強引に脱衣所に放り込む。

「ちょ、何するんすか。うへえ、あつっ! ここ雨季みたいなじめじめ感あるっすよ。何をさせるつもりっすか」


「脱げ」


「え、は?」


「衣服を全部脱げ。今すぐにだ。俺の見ている前で全部脱げ」

「あのローエン、ちょっと頭大丈夫っすか? 私まだ発情期じゃないんでそういうのは無理っすよ」

「ミィの服で何するつもりなの。変なもん付着させるんじゃないでしょうね」


 朕ってそんな飢えてるイメージあるの? 割と健気に頑張ってきたつもりなんだけどなぁ。

「早くしろ。それとも俺が脱がせた方が早いか」


「わ、わ、ちょ、そんな殺気出さないでくださいよ。脱ぐっすから。もぅ、これ責任問題っすからね」

「ミィ。お前もだ。はよ」

「この変態でロリコンなおじさん、ほんと無理。ミィ帰る」


 させないからね。なんて罵られようとも、朕はここ絶対に譲らないからね。

「はいキャッチ。オラ、脱げ! もう逃げられねえぞ!」

「ちょ、変なとこつまむな! 子供出来たらすかすかざこに責任とってもらうからね」

 

 うるさい狐とメスガキを小脇に抱え、強引に風呂桶のある場所へ進む。

 これよ、この情緒感よ。洗面器がカポーンって音がしそうなほどの圧倒的なクレンジングエリアだね。


「そこに座れ。今からお前たちに教育をする」

「ろ、ローエンは脱がないんすね。ずるくないっすか」

「まだ二名つかえてるからな。それにあらん間違いが起きんように配慮もしている」


 お湯に手を付けてみる。

 ほぉぉぁぁあ。この絶妙な加減よ。これこそが生物の住むべき領域だ。

「まずはマリカからだな。ふはははは、帝国の威光を見せつけてくれる。さあ頭を出せ。それが終わったら体と尻尾だ」

「目つきがイっちゃってるっすよ……はぁ、もうわかったっすよ、はいどうぞって、うひゃああああああっ!?」


 お湯をぶっかける。そらもう容赦なくよ。手で石鹸を泡立て、ひたすらに洗う洗う洗う洗う! こいつ、ほんとゴワゴワで全然手櫛が通らねえ。物理防御力とか付与されてんのかね。


「あああ、目が、目がっ!」

「黙れ子狐! そのまま悶えてていいから動くなよ。よし、二回目だ」


「あ、ミィは自分で洗えるから。見てて理解したし」

「手間が省けていい。ぜひやってくれ」

 

 どうよこのヘアサロン真っ青の出来栄えは。

『とろける、光発色。パールのような輝きをあなたの髪に』とか謳い文句つけてもいいよな。


 スーパーシャカシャカタイム、通称SST終了。次はボディだ。

 その地層のようにこびりついた垢を吹っ飛ばしてやる。


 色気もクソもない、情け容赦のない洗浄は、まだこれからよ。

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