第33話 風呂場ニテ塔ノ建設ヲ禁ズ

「あ゛あ゛あ゛あ゛、とけるっすー」

「ふーん、なかなかいいじゃない。あ、前髪がまた落ちたよ」


 気にならないぐらいに気持ちいい。どうだマリカ、ミィ。これが文明の熱だ。

 入浴用のへちまが三本くらいぶっ壊れてしまったが、もう全身くまなくぴっかぴかになるまで磨いてやったわ。


「お湯っていいもんだったんすねえ……もう出たくないっす」

「あんまり浸かってると死ぬから、適度にな。のぼせないように手のひらだけはお湯の外に出しておくといいぞ」


 一仕事やり終えた感がすごい。しっかしひでえな、このありさま。

 もう湯船の外が毛でもっさもさ。垢でどろっどろだよ。もう細胞レベルで生まれ変わったんじゃないかな、こいつら。


「ミィちゃんお肌きれいっすねー。髪の毛もつやつやして羨ましいっすー」

「マリカ、あんた肌白かったのね。ああ、まって。ちょっと今頭が情報を処理しきれてない。ねえざこ、私たち相当汚かったってことよね」


「まあそうだな。遠まわしは却って傷つけるから、直球で言おう。俺の故郷にいる人々と比較したら、お前ら人として存在しててはいけないレベルの汚染物体だった。ミィが悩んでるのは、新しい清潔に対しての概念が生まれたからだろう。これからは定期的に湯につかることをお勧めする」


 ミィは顔を真っ赤にし、ちゃぽんと湯の中にもぐってしまった。年頃の娘さんに臭い汚いはNGワードにほどがあるのだが、朕としては無理やりにでも脳をアップデートしてほしかったのよ。


「よし、そろそろいいだろう。意外と汗で水分を失うから、外に出たら水を飲んでおくんだ」

「出たくないっすー」

「もうここに住む」


 永住は死ぞ?

 いや、朕今からここ清掃しないといけないから。この状態でライアスさんに返したら、あの毛がふさふさの剛腕で雑巾みたいに顔絞られるよ。

 それにまだきったねぇのが約二名ほど残ってるんだ。とんだ重労働になりそうだよ。


「おら、出ろ。ああもう前とか隠せ。どうでもいい気分になるのはわかるが、恥じらいまで一緒に洗った覚えはないぞ」

「もうおっぱいぐらいどうでもいいっす。好きなだけ見ていいすよー」

「ミィもー。洗うとき色々と人に見せちゃいけないところも見せたし」


 精神がスライム状になっている娘さんたちと抱え、湯船から濁ったお湯を抜く。こう、風呂桶にこびりついてる垢もやべえな。


 無事お亡くなりになったへちま君4号を収納空間に入れて、誰もいないことを確認して水魔法と火魔法でお湯をたく。最初からやれと言われそうだけど、おもてなしを受ける側にも礼儀はあるのだ。


――

「マリカさんとミィさんが、酔っ払ったみたいに徘徊してるのですが。ローエン様、今から私たちはどのような責め苦に会うのでしょう」

「ただの湯あたりだ。放置しておけばよくなる。いいから脱げ、そして入れ」


「ローエン様……その、脱がしてください。今日ここで散らされるなら、せめてその手で全て奪ってください」


 へちま突っ込むぞ。


「やかましい。ほらシャマナを見ろ。もう準備できて……えぇ……」

「ボクの方が先に準備できたよ! ねえ、聖者様、今から煮て食べてくれるんだよね! ふふ、楽しみだなぁ」

 

 ナイフしまって。

 お風呂でクッキングパパになる気はないよ。


 二人を聖者権力で正座させ、体の洗い方をレクチャーする。朕も一人一人洗うの疲れるから、なんとなく物覚えのよさそうな二人には自力で頑張ってもらいたい。


「おい、ボクに触るなよな。一人で洗えよ?」

「汚らわしい。貴女に言われなくともそうします」


 一緒にザハールにつかまってから、なんかやけに対立してるんだよなあ。

 まあいい。ほれ、行ってこい。


――

「こいつらが終われば、ついに朕が一人湯船を……ククク、愉悦。まったくの愉悦」

 帝国製のコーヒー牛乳でもあれば完璧だが、そのあたりの些細な物品は構わん。要はこれまでのえげつない汚れをしっかりと落とせるかが大事だ。


「なんだ、長いな。まあマリカたちみたいに湯船でゲル状になってるんだろう。はっはっは、今日で四人も啓蒙してしまった。朕優秀すぎて南大陸の歴史書に載るね」


 30分が経過した。


「まさか倒れてるんじゃないだろうな。いや、女性の風呂は長いともいうしな。でも念のため見てみよう。これは痴漢行為ではなく、救急救命の観点から論じるべきアクションだ。うむ」


 やましいときほど言い訳は出るもの。朕は堂々と行くぞ。


「おーい、大丈夫か? 生きてるか?」

「はあっ、はあっ、うっ、くっ……」


 おいマジかよ。のぼせたのか? 意識あるんだろうか。

「すまん、入るぞ! 大丈夫…………エッ!」


 可憐に絡み合う二つの百合。一つは日に焼けて褐色に輝く力強い茎。もう一つは儚く身をよじる白銀の花弁だ。


「いけません。こんなこと……ローエン様に見られてしまったら……」

「キサラってすごく敏感だったんだね。ほら、こんなに」

「見せないでっ、ダメ、こんなの私じゃないの、お願いっ」

「そんなことを言うのはこっちのお口だね。ほら、塞いであげるから……」


 ガチぞ。こいつら、目覚めよった。


「あむっ、ん、じゅるっ」

「キサラ、可愛いよ。もっとボクの唾液飲んで……」


 人間には危機回避の本能がある。

 車で事故りそうになったときの、浮遊感。

 通ってはいけない道を選ぼうとしたときの、悪寒。

 住んではいけない部屋を見たときの、恐怖感。

 関わってはいけない人と話したときの、忌避感。

 それぞれ思い浮かべるシチュエーションは多々あれど、頭の中で赤い警報ランプが鳴り響く瞬間というものは、生きていれば一回は経験するだろう。


 さて、目の前で咲き誇る百合園に踏み込んでしまった朕は、どう感じればいいのか。同性愛に対してとやかく言う気はないけど、流石に目の前でいきなりは驚くよ。


「コホン」

 ちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱ――

 ちょっとイラっとした。

 すまんが風呂がつかえてるときに、キマシ建設がタワーを建てるのは許可されていない。然るべきときに、然るべき場所でやれ。


「キサラ、シャマナ」

 ちゅっちゅちゅっちゅ――

 ビキビキ。


「警察だ! そこを動くな!!!」


「ひうっ!? ろ、ローエン様っ。ちがちがちが、違うんです! 私はそそそそんな、ああ、どうしましょう!」

「うわぁぁっ、見られちゃった。どどどどうして、いきなり! ひどいよ聖者様!」

 

 首筋をキスマークで舗装してる君たちに発言権ないからね。


「元気そうで何よりだ。風呂は楽しいだろう、ええ?」

「あの、違うんです」

「何も誤解はしていない。人はだれしも新しい境地に達することがある。それを責めてるんじゃない。時と場合を考えろつってんだよ」

「あのボクたちは、その……なんていうか、体洗いっこしてたら、なんか、お腹が熱くなってきて」


 生々しいからいいよ。問題はそこじゃねえから。


「もう風呂は堪能しただろうか。できれば俺も入りたいんだがね。あんまり長いから心配になっただけだ。誰にも言わん」

「あ、あ、ローエン様……お許しを……私は、私はっ」

「気にするな。お互いに通じ合っているのであれば、愛の形は自由だ。誰もそれをとがめることはできない」

「聖者様……ボク、ボク、こんなに胸がいっぱいになったのって初めてで……もう止まらなくて……でも、それでもいいんだよね? ボクたち、これでいいんだよね?」


 重ねて言おう。気にするなと。

 朕は優しく二人の肩に手を置き、仏の笑顔で応える。

「さあ、ここに長くいると倒れてしまうよ。少し涼しいところでお互いのことを考えなさい。体をよく拭いて、風邪を引かないように気を付けるんだぞ」


 恥じらいか、それとも感謝をされたのか。ぺこりと頭を下げると、二人は手をつないで脱衣所に向かっていった。

 

 朕? 一向に構わんよ? 

 下手するとバブみが出そうになるほどのママ感があるヤンデレとか。

 食事にちょっとずつ皮膚とか唾液とか入れてくるサイコパスとか。

 諸問題が一気に片付いて、すごく晴れやかな気持ちだよ。別に悔しくはないぞ。強がってもいないわい。


「さて、だよ……」


 あの二人が熱烈なレスリングをしたこの風呂場で、朕は今から湯船につかる。

 この虚しさをどうすればいいのか、今の朕では答えにたどり着けない。


 くたくたにしおれたへちま5号を見やりつつ、朕はまた湯を張りなおすのだった。

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