六枚目 フォトコピーメモリー


「あなたの後ろには黒いコートに帽子を被った男が立っていた。その後ろに並ぼうとした女性が、慌てていたのね。小走りに走ってきて、方向転換した際に、ヒールが折れて転んだ。その時、前の男に倒れ込んだの。男もバランスを崩して君に当たった」


 この人は、僕を揶揄っているのだろうか。


「そんなことって、本当にあるんですか?」

「防犯カメラには、そのように映っているわ」


 どうやら揶揄っているわけではないらしい。


 たったそれだけのことで、神泉ましろが死んだのか? そんな、馬鹿げたことのために?


 怒りと悔しさが綯い交ぜになり、僕は机に置いていた神泉ましろのスケッチブックを掻き抱く。


「あなた、人に恨まれる覚え、ない?」


 今度は一体何の話だ。


「僕は、人に恨まれるほど価値のある人間じゃないですよ」

「そうかしら」

 意味深な一言に顔を上げると、諏訪刑事の鋭い眼と合う。


「防犯カメラの映像を見る限り、男はあなたを押している。それも、意図的に、ね」


 今度はこちらが聞く番だった。


「どういうことですか?」

「それを私も知りたいの。でも、事実よ。見た方が早いわね」


 萩原刑事がモニターに防犯カメラの映像を映し出す。

 画像が荒い上に、場所も悪い。カメラからの位置が遠すぎる。


「後ろの男に見覚えは?」

「これじゃ分かりません。僕にぶつかった瞬間、不自然に手が伸びたように見えることだけしか」

「そう」


 諏訪刑事は、片手を顎の下につけてしばし黙考すると、手元の書類に何かを走り書きしてカチリとボールペンを鳴らした。


「ありがとう。大変参考になりました」


 それだけ……?


「ちょっと待ってください!」

 僕の剣幕に怯むことなく、諏訪刑事は書類を片付けていた手を止めた。

「なにか?」

「『なにか?』じゃないですよ。今の映像、その男が僕を殺そうとしたってことですか!? そのせいで神泉ましろが死んだってことなんですか!?」

「その可能性がなくはない、としか今の段階では言えないわ。残念ながら、最初の原因を作った女も、この男も、現場に残っていなかったのよ。あなたに心当たりがあれば、と思ったのだけれど」

「心当たりがあれば、その人物を特定できた、ということですか?」

「その通りよ」

 諏訪刑事は残念そうに肩を落とす。

「これ以外の手がかりは?」

「不運なことに、実質的な手掛かりはこの映像だけ。あなたが見ていないのなら、他を当たるしかないわね。時間が経てば経つほど、人の記憶は曖昧になる」

 幸先は悪い、と言っているのだろう。事故と処理しようと思えばできそうな内容でもある。このまま捜査が打ち切られたとしても、僕にそれを知る術はない。


 僕は見てしまった。僕のせいで神泉ましろが命を失う瞬間を。

 潰れた頭を。千切れた手足を。

 地面にへばりつく赤い海藻のような血管と、

 服を着た肉塊を。


 見てしまったものは取り消せない。

 ならばせめて真実が知りたい。  


「探します」

 二人の刑事は、僕の言っている意味が分からないのか、互いに顔を見合わせる。

「フォトコピーメモリー」

「あ。それ、僕、聞いたことありますよ。見たものを映像で記憶するやつ、だよね?」

 僕は首肯する。

「僕にはフォトコピーメモリーがある。ボクの眼に写るモノは全て、写真同様に記憶される。だから、その中から探します。その男を探します。その過程で、見たくないものも凝視することになるでしょうけど、他に証拠がないのならやりますよ。きっと見つかる。見つけてみせます。紙と鉛筆をください。消しゴムも」


 必要なものは伝わった。萩原刑事が取調室を飛び出していく。残った諏訪刑事が、呆れ顔で萩原刑事の去ったドアを見詰めている。



 僕は長い前髪を上げて、ヘアピンで留めた。

 左右の掌底で両眼を押さえて、該当のを探す。


 どこだ、どこにいる、ボクは見ているはずだ。あのとき、悲鳴とパニックで混乱する現場に――あの場にいたのなら、ボクの眼が絶対、どこかにあの男の姿を捉えているはず。


 壊れたヒール……これは最初の原因を作った女か。全てはこの人のせいで。

 でもこの人は……! なんで。一体どういうことなんだ……? 


 いた、黒いコートに帽子、この男だ! 嘘だろ……? こいつも? なんだっていうんだ。一体どうなっている……?


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