五枚目 取調室

 食事の席は続いていたが、神泉ましろの母親が気を効かせて、僕を先に帰らせてくれた。玄関には同じような黒い革靴がずらりと並んでいて、自分の靴がすぐには見つからない。


 一足、ヒールの壊れた靴が目に留まる。通夜の日に靴が壊れるなんて、不運な人がいるものだと、少し気の毒に思う。


 見送りに出てくれた神泉ましろの両親に深くお辞儀をして、スケッチブックを脇に抱えて玄関を出た。真っ暗な畑を抜け、門を出る。灯りの照らす石段を下ったところに、黒い車が一台停まっていた。


 誰かの迎車だろうか。


 そんなことを思って通り過ぎようとした時、運転席のドアが開き、中からパンツスーツの女が現れた。ほぼ同時に助手席から男が出てきて、車体前方から回り込む。僕は二人に行く手を阻まれ、後退り、かかとの下で砂利を鳴らす。


「双見現像さん、ですね」


 瞬間、体を翻し、全力で走った。


「待ちなさい!」


 呼び止められたが、とにかく逃げた。が、軟弱な僕の脚に勝ち目があるはずもなく、あっけなく捕まってしまった。


「話を聞かせてほしいだけだ」という彼らの求めに応じて、僕は今、近くの警察署の取調室にいる。




「どうして逃げたの?」

 諏訪すわと名乗ったショートボブの女刑事は、呆れた顔で聞いて来る。

「分かりません。小さなパニックを起こしていたから」

「パニック?」

「夜道で見ず知らずの大人に名前を呼ばれたら、誰だって恐いと思いませんか。相手は二人で、車だし」


 それを聞いて、もう一人の萩原はぎわらという刑事は、目が覚めたように言う。


「ああ、確かに。この少年の言う通りですよ、諏訪さん」


 人の言うことを頭から信じているようじゃ刑事には向かないと、素人でも思う。

 諏訪刑事は、同僚を無視して会話を続ける。


「おうちの人から連絡いかなかった? 警察があなたに聞きたいことがあるって」

「スマホの電源、切っていたので」

「神泉ましろさんのお通夜ね?」

「そうです」


 前置きはここまで、とでも言うように、諏訪刑事はボールペンをノックする。

 

「あなたに聞きたいことは他でもないわ。神泉ましろさんが巻き込まれた、人身事故のことよ」

「なんで僕に」


「あなた、あの時、現場にいなかった? 目撃者の証言で、『線路に転落した女の子が、直前に前髪の長い男の子と話していた』という話が聞けたの。でも、警察が駆けつけた時には、それらしき人物は見当たらなかった」


「ただ一言交わしただけです。それだけでわざわざ僕を探していたんですか? 目撃者なら、他にもたくさんいたでしょう」

「もちろん、転落時の状況は聞いたわよ。それが仕事だもの」


 諏訪刑事は目を光らせる。


「そこで、こんな話も聞くことができた。その男の子が、女の子に、『あんた、殺されてしまうよ』と忠告していた――と。そんな話を聞いたら、警察はあの人身事故がただの事故なのか殺人なのか、調べなければならないでしょう? ご遺族に連絡したら、最後に被害者と連絡を取っていたのは彼女の姉だということが分かって、メッセージ履歴から、隣にいた男の子があなただと突き止められたの」


 僕は、通夜で親族席の端にいたOLくらいの年齢の女性を思い出した。神泉ましろとは似ていない幸の薄い顔をしていた。


「僕がそう言ったのは、事実です。彼女は多くの画塾生の憧れでもあり、嫉妬の対象でもありましたから。美大に落ちた人間が、一発合格の彼女に『来年大学で会いましょう』なんて言われたら、殺意が沸く人だっている」


「だから突き落としたの?」


「違いますよ!」


 思わず体が前に出るが、すぐ椅子にしぼんで理由を説明する。信じてもらえるかは、分からなかったが。


「……僕は、彼女に嫉妬できるほど、自分が描けると思っていませんから。あくまで、他の人には言わない方がいいと忠告したまでです」


 諏訪刑事と萩原刑事は、やっぱり僕を疑っているらしい。どうしたら信じてもらえるんだろう。相手はプロだ。プロに疑われて、素人にどうしろっていうんだ。分からずに、やけっぱちになる。


「疑うなら、防犯カメラでもなんでも、調べたらいいじゃないですか! 映ってるはずですよ! あの時、僕は確かに、後ろから誰かに押されたんだ! 線路に突き出されて、それを――! それを、彼女は、助けようとして――、僕の代わりに、電車に、接触して……それで……」


 フラッシュバックが起きて、僕はまた、神泉ましろの死を目撃した。生で見たときと変わらない映像を。


 目を閉じても、頭を押さえても、決して消えてはくれない。


「そうね。なにも私たちは、あなたが神泉ましろさんを殺したとは思っていないわ」

「なっ……! だってさっき!」

「それはただの可能性の話。線路につんのめるふりをして、彼女を故意に押した可能性があるなら、私はそれを暴かなければいけないの。それが仕事だもの。でも、本当に殺意があったなら、防犯カメラを調べてみろなんて、そんなに強気に言えないものよ。確かめたかったの。あなたが殺意を持って押したんじゃないってことを、念のために、ね」

「なんて人だ……」

 涼しい顔して酷いことを。

 萩原が心底申し訳なさそうに、僕を宥めようとする。

「ごめんね、現像君。僕ら、そこは慎重にやらなくちゃいけなくて」


 もう、こいつらを刑事なんて呼ぶものか。


「お詫びに、あの時あなたの後ろで何が起きたのか、教えてあげるわ」

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