四枚目 母親のハンカチ

 焼香が終わり、木魚の音が止み、喪主の挨拶を聞き届けた。周りの大人が立ち上がり、僕も帰ろうとすると、「まだ帰るな」と、参列していた画塾の塾長に止められてしまった。僕がここにいる資格なんてないのに、この場を離れることができない。


 通夜ぶるまいの席で、高校生は一か所に集められた。その数は意外に少なく、僕を含めて三人。そのうち、喪服を着ているのは僕だけだった。


 紺色のブレザーに赤いチェックのリボンと揃いのスカートを着た女子高生は、相沢あいざわ朋美ともみ。彼女は画塾で見たことがある。「ましろとは親友だった」そうだ。泣き腫らした目で、無理に明るく振舞う様子は、健気なようであざとい。そう見えるのは、さっきから隣の男をちらちら気にしているからだろう。


 深緑色のブレザーにグレーのネクタイとスラックスの男子高校生、天海あまみれん。はっきりした目鼻立ちに飴色の髪。神泉しんせんましろとは、「家が近所で、ましろの」だったらしい。言われてみれば、あの連作のモデルか、とすぐに分かった。


 二人の視線がこちらに集まり、俯いて言う。


「僕は、双見ふたみ現像げんぞう。神泉さんとは画塾で同じクラスでした」


 それに対する反応はなく、周りの大人の話し声だけが聞こえる。

 どういう沈黙なのか、気になって顔を上げると、天海煉の冷たい視線とぶつかった。


「よろしく」


 今さら微笑んでも遅い。



 息が詰まりそうで、僕はオレンジジュースを一杯だけもらって廊下に出た。壁に端から端まで、彼女の残した作品が額に入れて飾ってある。ゆっくり眺めて歩いていると、ふいに声をかけられた。


「あなた、双見君?」


 声が似ていた。神泉ましろとそっくりだ。

 死人しびとの声がすれば、ぞっとしそうなものを、先に涙がこみあげる。


「神泉さんのお母さん」


 神泉ましろの母親は、今日は来てくれてありがとうと頭を下げると、「少しここにいてくれる?」と言って、廊下の端に消えた。数分後、一冊のスケッチブックを持って戻る。


「今日、あなたが来てくれたら、これを渡そうと思っていたの」

「僕に、ですか?」

「ええ。あの子、あなたに憧れていたのよ」

「そんなまさか、そんなわけがないです」


 思いも寄らない一言に浮足立ち、饒舌になる。

 言わなければいけないのは、そんなことじゃないのに。


「あなたも美大に行くんでしょう? あの子の分も頑張って」

 弱いながらも笑みを見せて、そう言ってくれた。でも――


 無理ですよ。僕には才能がない。

 所詮、僕の絵は写真と同じ。

 写真と同じなら、手で描く意味などないんだ。


「代われるなら、今からでも代わりたいです。神泉さんと」

 声が震える。

「僕が、僕が轢かれるべきだったんです」


 一つ涙がこぼれたら、嗚咽が止まらなくなった。

 神泉ましろのスケッチブックを濡らさないよう腕に抱く。


 両目を覆う長い前髪を、神泉ましろの母親が掻き分け、ハンカチをあてがってくれた。「そんなこと言わないで」と言ってくれた。


 でも、もし本当のことを知ったら、決して同じことは言えないだろう。


 僕はそれが恐ろしくて、やはり本当のことを言えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る