12.永遠の幸福

 巨木の根元。

 離れた場所からは、人々が美しく幻想的な光景に目を奪われ、只々茫然と見上げていた。

 この世のものとは思えぬほどに美しい闇の魔物の姿を見て、王女は恍惚として呟く。


「まぁ、なんて美しい……あの男が欲しい……」


 王女は美しい闇の魔物を己の所有物ものにしたいと強く思った。

 闇の魔物に目を向けたまま、近くにいる衛兵に捕らえさせようと声をかける。


「ねぇ、誰かあの男を捕まえ――ヒッ!?」


 辺りを見回した王女が甲高い悲鳴を上げる。


「キャァァァッ!? 化物! 化物がこんなに!!」


 王女を取り囲むようにして、身の毛もよだつ真っ黒な化物が大量にいたのだ。

 とりわけ近くにいるのは、裂けた口に鋭い牙や爪を持つ獰猛な獣の姿をした化物だった。

 一斉に王女を凝視する猛獣の眼光に竦み上がり、逃げ場のない王女はひたすら喚く。


「陛下? 陛下はどこ!? お助けください! 汚らわしい化物を殺して!! 陛下! 陛下ー!!」


 喚き散らしていると、大きな影が背後から近づき、王女は振り返る。


「キィアァァァァァァ――」


 王女は絶叫した。

 そこには、あまりにもおぞましい醜悪な化物がいたのだから。

 ブクブクと膨れ上がった真っ黒い巨体からは無数の腕が生え、宝剣などの派手な武器が数多く握られている。


 「――がっ、へ?!」


 絶叫する次の瞬間には、王女の身体は宝剣に貫かれていた。

 悲鳴が止まり、王女は倒れ伏す。

 数々の凶器が王女の身体を滅多刺しにしていく。



 ザッシュ、グシャッ、ドスッ、ズシュ、ザック、ズブッ



 王女を惨殺した醜悪な化物――は吐き捨てる。


「耳障りだ……不気味な化物め」


 王の足元には、真っ黒い身体に無数の女の顔や脚が生えた、それは不気味な化物の死骸が転がっていた。


「王女の声色を真似たところで、この私が惑わさせるとでも思ったか。間抜けな魔物めが……」


 不気味な化物を切り刻み惨殺した巨大な化物の所業を、衛兵達は唖然と見ていた。


 巨大な化物が振り返り、ギョロリと無数の瞳孔を蠢かせ、周囲を睥睨する。

 慄く衛兵達は手にする武器を『巨大な化物仕える主君』へと――あるいは『獣の化物仲間同士』へと向けて叫んだ。


「ひぃいっ! なんて醜い、凶悪な化物なんだ!?」

「くそっ! 化物共が、ぶっ殺してやらぁ!!」

「邪悪な魔物め、成敗してやる! 死ねぇ!!」


 衛兵は化物へと斬りかかり、王は無数の武器で化物を薙ぎ払う。斬撃や鍔迫り合いの音が響き渡る。


 王が望んだ『祝福の花毒花』は世界の理を歪めてきた。それゆえに、人々の姿は変異していったのだ。

 令嬢の愛が枯れ果て、祝福の加護が完全に消失した後、人々は本来あるべき姿へと戻っただけのことだった。


「キャー!? 化物、こっちにこないで!」

「……なんで、なんで化物がそれを身に着けているんだ?」

「あたしを殺して食べるつもりなんでしょう? そうはさせないわ!」

「食ったのか? あの人を食い殺したのか!? うわぁぁぁぁ――」


 怒号と悲鳴がこだまする。

 本来あるべき人の醜悪な姿を見て、目に見えるままの凶悪な化物だと錯乱し、人々は傷つけ合い、憎しみ合い、殺し合った。


 相手の声に耳を傾け、目に見えるままの姿を疑い、慈しみの心を持っていたのなら……それが大切な人であると、気づくことができたのに……。


 それはまるで、この世の醜いものをすべて煮詰めたように黒い、真っ黒い地獄絵図だった。


 ◆


 巨木の中腹。

 混沌とする真っ黒な地獄を目にした令嬢は痛ましげに眉をひそめた。

 闇の魔物は令嬢の視線を手で遮り、言い聞かせるようにして語る。


祝福の加護リリスの愛を失えば、残るのは本性が露になった真実の姿だ……あれが本来の人の姿だった。こうなったのは、リリスのせいじゃない……」


 令嬢は逡巡して頷き、闇の魔物の手に触れゆっくり降ろさせて、改めて人々の姿を見る。


 令嬢は憐れに思った。しかし、憎悪と狂気のままに殺し合う人のなんとおぞましく醜いことか。

 浅ましく身も心も醜い愚かな人々を、愛する魔物達を傷つける人々を、令嬢は再び愛そうとはとても思えなかった。


 けれど、闇の魔物が人や人の夢を好きだったことも知っている。


「ナイトは? 人の夢が好きだったのに、いいの?」

最愛リリスを傷つけるばかりの人を、もう好きにはなれない」


 令嬢が心配して問いかければ、闇の魔物はすぐに首を横に振って答えた。


「リリスが人を愛し、人として生きようとしていたから、リリスの幸福を願い見守っていたんだ……もう、その必要はなくなった」


 闇の魔物が上部へと視線を向ける。令嬢もその視線を追い、上部へと目を向けた。

 巨木の頂上では、蔓がうねりひしめきながら巨大なものを形成していく。

 やがて、そこに出現したのは、そびえたつほどに大きな扉だった。


「行こう、リリス」


 闇の魔物は令嬢の手を引いて、大扉へと向かい歩みだす。

 蔓が足場を作り道ができていく。

 魔物達は二人の後に連なり、花嫁行列をなしていく。


 幻想的な花嫁行列が巨木の頂上へと近づくと、大扉がゆっくりと開かれる。

 扉の先に広がるのは、新たな世界――愛し子と魔物達を祝福する世界だ。


 開かれた扉から吹きこんでくる風に、令嬢は髪をなびかせ足を止めた。


「リリス、大丈夫?」

「ええ、大丈夫。なぜか分からないけど、とても懐かしい薫りを感じたの」


 令嬢は再び歩み出し、闇の魔物と手を取り合い、振り返ることなく大扉の中へと消えていった。




 魔物達は互いに手を借り助け合い、頂上へと辿り着いて、大扉へと入っていく。

 人々は互いに足を引っ張り合い、引きずり降ろして、頂上に辿り着くことはできない。



「邪魔だ化物共! そこをどけ!!」



 人々を蹴落としながら、王が無数の腕を使い巨木を駆け登る。

 巨木が令嬢の『祝福の花』によるものだと勘づいた王は、令嬢を捕らえ再び『祝福の花』を搾取しようと後を追う。



「富も、力も、誉も、何もかも、すべては私のものだ!」



 魔物達が皆、大扉へと入り終えると、扉はゆっくりと閉まりはじめる。



 ……ズ……ズズ……ズズズズズズ――



「待て! 閉まるな!! 私が、私がすべてを手に入れるのだ!!!」



 ――ズズズズズズウゥゥゥゥン…………



 王は頂上に辿り着くことができぬまま、扉は閉ざされた。


「くっ、なんとしても連れ戻してやるぞ、リリス! ――うわっ!? な、なんだ、崩れる!!?」


 役目・・を終えた『世界樹の枝巨木』は枯れはじめる。

 足元が決壊し、王の巨体は転げ落ち、真っ逆さまに落ちていく。



「ギャ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ーーーー……」



 落下する王の真っ黒い影は、巨大な黒薔薇の茨に切り刻まれ貫かれた。


 大扉を目指し、巨木をよじ登っていた人々もまた、次々と落ちていった。

 『世界樹の枝巨木』は枯れ果て、パラパラと塵芥になって消えていく。


 『世界樹の枝』それは、数多の世界を支える世界樹の一枝にすぎない。

 万物を司る創造主であり、世界そのものにも等しい世界樹。令嬢はその世界樹の愛し子だった。

 ゆえに、愛し子を虐げる人などがいる、この見限られた世界を支えていたのは、令嬢の祝福だけだったのだ。

 令嬢の愛だけが、人を幸福へと導く唯一の希望だった――だがそれは、未来永劫に根絶された。


 令嬢の加護を失った世界は、ゆっくりと崩壊の一途をたどることになるだろう。

 わずかに残された慈悲は、人を想っていた令嬢と闇の魔物の愛の残滓だ。

 せめて、最期が訪れるその時まで、残された人々に幸福な夢を――――……。




 ――人は時に夢を見る。

 欲に溺れ愛を忘れた者は滅びゆき、愛を育んだ者は祝福され幸福になる。そんな夢を――


 そこは常世の春、花が咲き誇る理想の楽園。

 愛を知る者だけが辿り着くことのできる幻想郷だ。

 そこでは、美しい生き物達が仲睦まじく暮らしている。

 そして、永遠の愛を育む二人の幸せそうな姿があった。


 人は夢に見るそんな幸福を願い、愛を探し求めるのだ――――……。

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貴方を愛した私は死にました。貴方が殺したのですから ~毒花令嬢は闇に嫁ぐ~ 胡蝶乃夢 @33himawari

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