忘れてしまいたいことが多すぎる(´;ω;`)ウッ…

 物事というものは……いや、世論というものはいかなるときでも、賛否両論、相反する意見が雨後うごたけのこのごとく芽生え出るものです。王令といえど決して例外ではありません。

 王様の心痛を察し、なるほど十二分に理解できるとする積極的賛同派、忖度そんたくするにはやぶさかではないにしても「おめでとう」を口にした者をすべて牢獄に入れるというのはいかがなものか……という消極的賛同派まで、〈おめでとう禁言令〉賛成陣のなかにも相容あいいれない幅広い意見が噴出したのでした。

 さらにまた。

 王令反対派も、決して一枚岩ではありませんでした。即時廃止を声高らかに主張する強硬派から、段階的に廃止への道筋みちすじを模索しようとする柔軟対応をとする一派まで、喧々諤々けんけんがくがくとして、日をても大きな運動体ムーブメントとして組織化するまでにはいたりませんでした。

 すなわち。

 王宮内も、法執行機関も、実務行政府も、そして民衆も、目に見えない壁に分断されてしまった……といっていいでしょう。

 このような情況下で、かつて経験したことのない未曾有みぞうの混乱を招いた王様の廃位はいいを主張する有識者も一人、二人……と現れました。それを知った王様は、

「はぁ……ひぃ……ふぅ……」

と、大きなため息を立て続けにらしたといいます。

 その数日後のことでした。

 突如として王宮から王様の姿がき消えたのです。

 そうです、なにもかもがいやになった王様は、自ら王位を捨てる覚悟で、旅に出かけたのでした。旅……といえば聞こえはいいものの、逃げた……といったほうが正鵠せいこくていたでしょうか。

 王様不在を知った側近そっきんらは、一計いっけいあんじ、

「王は不豫ふよにつき……」

と、触れ回りました。

 “”は、喜びの意をあらわし、その否定形で、“不豫”は天子や王の病気をあらわす特別な用語です。

 何が起ころうと、ありえないことはありえない、と信じられていた時代諸相しょそうもあって、上から下まで誰もが王様の病を信じました。もっとも、〈おめでとう禁言令〉などという突飛な王令を発布したこと自体、王様の罹患りかんをなによりも物語っている……と喝破かっぱした有識者もいました。むしろ、しばらくの間、王には病床にしていてもらい(そういうことにしておいて)、その間に、国を襲った各層各階の分断と断絶の根をつ努力をしようと、その希求ききゅうへの思いから、それまで分断対立していた王臣たちは一つにまとまりました。中道派や優柔不断派までが、

「王国の荒廃、この一線にあり」

とばかり、蜘蛛の巣のように張り巡らされた有形無形の分断線を撤去し、ほころびをうべく尽力し出したのでした。それぞれが、それぞれの胸のなかで、忘れてしまいたいことが多すぎたのでしょうか。すくなくともそういった試みが、動きが、王様の逃亡を契機に萌芽ほうがしたことは、それはそれで歴史のおもしろみ、いや歴史の皮肉といえるかもしれません。


 ……ところで。

 旅に出た王様は、まず西の道をめざしたといいます。

 西域には墓陵ぼりょうがあり、ほとんど人は住んでおらず、墓守はかもりの集落がありました。

「こらっ! おまえ、墓荒はかあらしだなぁ」

 空腹のあまり枝木にはさまるように倒れていた王様を見つけたのは、夜の哨戒しょうかいをしていた数人の若者で、王様は陵戸長りょうこちょうの前に引き出されました。

 墓守の集落は陵戸りょうことも呼ばれており、そのおさといっていいでしょう。

 この時代には珍しく、丸々と太った王様のからだは墓守たちにはことさら奇異きいに見えたことでしょう。しかも王様の立派なあごひげは、先っぽがおへそのあたりにまで達するほど立派なものでした。着ているものは、王墓群の石棺せきかんに納められた副葬品にも似ていたので、墓荒はかあらしと即断したとしても、あながちかれらを責めることはできません。

「・・・・・・?」

 王様はなんと答えていいのか分からず、うーんと唸ったまま、へたり込んでおりました。二日食べていなかったこともあり、反論しようにも思考の扉が閉ざされていたのかもしれません。

「おまえ……他所者よそものだな。まさか、岩族がんぞくの密偵か?」

「・・・・・・?」

「このところ、やたらと国境くにざかいが騒々しくなってきた。岩族がんぞくは、失地回復を叫びこの国を侵略しようと画策しておるそうな……それだけではないぞ……」

 ……東隣の国では政変が起こって内乱状態だと、陵戸長は語りました。北隣の王国でも、王位をめぐって臣下が三王子派に分かれて抗争を繰り返していたようです。各国を襲った流行り病による政情悪化は、病が癒えたのちも想像だにできないさまざまな軋轢あつれき変容へんようを各国に及ぼしたようでした。

「大変な時代になった」

 陵戸長りょうこちょうは、つぶやき続けます。

「すなわち、大いなるな時代だな」

 どうやらこの陵戸長はなかなかの物識ものしりのようでした。元は国境の地で防人さきもりをしたといいます。徴用ちょうようされた警備兵のことです。落ち度があって陵戸へやられたのです。墓守はかもりは、科人とがびとの流刑地のようなものでしたが、王様はそんなことは露ぞ知りません。

「……墓荒らしのおまえを王都へ送ってもいいが、いま、都は罪人どもであふれておるらしいから、おまえ一人を送っても、為すすべもなかろう」

「・・・・・・・!」

 王様は不思議で不思議で仕方ありません。なぜ、王都に罪人が急増したのか……その理由が皆目かいもく分からないのです。

「あの馬鹿げた王令のせいさ」

 陵戸長はいいます。

「他国の者は……それを伝え聴き、〈おめでとう〉を口にさえすれば都に送られ、牢の中で一日二度の食餌しょくじにありつける、雨露もしのげるし、楽に暮らせるぞ……と囁き合い、みんな国境くにざかいにやってきて、大声で『おめでとう』と叫ぶのさ。な、ヘンな時代だろうが?」

 なんということでしょう。流行り病が収束しゅうそくしたあとの内乱や争いごとのあおりをくらって、その日の暮らしに困窮こんきゅうした他国の者までが、『おめでとう、おめでとう』を連呼しながら、こちらの国にやって来るというのです。もっとも、そんな困窮層にとっては、天から降ってきたようなおめでたい話にはちがいありません。

 ただただ王様は唖然あぜんとするばかりでした。

 なにをおもったのか陵戸長りょうこちょうは、王様を縛った縄をかせ、家に連れて帰りました。家といっても、おそらく、昔古せきこの墓の残骸に手を加えただけの粗末でみすぼらしいものでした。

「おまえに……頼みがある」

 これまた質素な食餌しょくじをふるまったあとで、陵戸長りょうこちょうは、王様に言いました。

「……おれが防人さきもりをしていた頃、おまえのように立派なあごひげをたくわえた流浪人るろうにんと出会ったことがある。そのおきなは、人々の悩みをただ聴いてやることが仕事のようなものだったぞ。別に答えなくてもいいのさ、ただ、ふんふんとうなづいてやれば、相手も納得し、食べ物や水をめぐんでくれる」

 つまりは、そうやって生きながらえていくことができる……と、教えさとしてくれたのです。

「ほかでもない……頼みというのは、この娘を一緒に連れていってもらいたいのだ」

 かれが手を叩くと、奥からひょいと出てきたがありました。まるで墓場から現れた生きるかばねのようなありさまで、王様はおもわず、

「ひゃあぁぁほぉぉおいぃ」

と、腰を抜かしました。王宮を抜け出てからは、こんなことの連続だったのですが、このときばかりは、肌が凍りつくほど恐怖に打ち震えたのです。

「そんなに驚くことはない……生きておるぞ……持ち物から察すると、岩族がんぞくの女の子らしい……」

 肩をさすられた王様は、なるほど、目の前のは、少女のようだと気づきました。せ細り、お腹の一部だけが前に膨れているのは、栄養がかたよっているのか、持病のようなものか、そこまでは分からないまでも、生気を帯びていない瞳をみると、なにやら、

〈おまえのことはすべて知ってるぞ……〉

と告げられているかのように、王様には思えてならなかったのです。それが恐怖心の大元おおもとでした。

「連れて行く……といっても、どこへ?」

 はじめて王様は口を開きました。

「さらに日が沈む西方へ向かうと、岩族がんぞくの集落があるらしい……このは、王族か貴族の出であろう。追われたのか、さらわれたのか、それはわからぬ。一言も喋らないのだ」

 こちらの国の言葉を理解できないのか、それともそう装っているだけなのか、それはわからないと陵戸長りょうこちょうはいいます。少女を発見してからすでに一年余、迷った挙句、やはり故郷へ戻してやるべきだと判断したようでした。

「なあ、おまえは、『おめでとう』の反対のことばを知っているか?」

 ふいに陵戸長りょうこちょうは、そんなことをきいてきました。

「……? おめ……でたくない?」

「それではだめだ。おめでとうの対語ついごは、お気の毒です、残念です……だ。これから、人の話を聴いたら、そう言えばいい」

「おまえ様は……岩族がこちらの国を侵略しようとしているとかいないとか、そんなことを言っておったが、それは、どういうことかな」

 前からの癖で、つい横柄な物言いになった王様は、慌てて言い直した。

「……どうか、この身にもわかるように教えてもらいたい」

「だから、おまえが、それを探ってくればいいのさ。できることなら、侵略を止める手立てを考えたらなおさらいい。それができれば、おまえに心の底から『おめでとう』と言ってやろうぞ」

 意味ありげにほくそ笑んだ陵戸長りょうこちょうは、着替えと食糧、そして、のぼりを持たせて王様と物言わぬ少女を送り出しました……。

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