第42話 運命も思い出もない

 ずいぶんと手間をかけてくれるとは思っていたが、全てはこの日の衝撃を増すためだったのだろう。共に過ごした時間が増えた分、悲しみも増してはいたが、生憎とユスティーナは獣返りの天敵なのである。彼の思惑どおりにはしてやれないのだ。


 ややあって伸びてきたヴァスの手がユスティーナのあごを掴み、ぐいと引き上げた。されるがまま、黙ってその整った顔を見上げる。内乱が終結するまでは怖いとしか思っていなかったその存在に、今は不思議な安堵を覚えてしまった。


 卑怯な手を使い、逃げ出した罪についに追い付かれた。ここでユスティーナは死に、ヴァスも遠くない未来、イシュカの手にかかるだろう。できれば彼のこともローゼのことも、一応ナインのことも、これ以上苦しめないでやってほしい。


「甘ったれるな」


 降ってきた言葉に、ユスティーナはかすかに首を振った。


「命乞いなどしませんし、復讐のやり方に文句を付けるつもりはありません。銀月の君の名にかけて抵抗はしないわ。どうぞ、あなたたちのお好きになさって」


 ひと思いに首でも刎ねてくれるのが一番ありがたいが、ここまでお膳立てした末の復讐だ。簡単に済ませてくれるとは考えにくい。


 ヴァスが好き好んで自分に手を出すとは考えたことのないユスティーナだったが、男が女に屈辱を味わわせようと思えば、どういう方法を使うかぐらいかは知っている。不快な真似をしている男たちに矢を放ったこともある。その手の悲劇が二度と起こらない世界を作りたかったのだが、力不足だったようだ。


 ……変なことを考えてしまった。微妙に気まずくなって眼を逸らしかけたユスティーナであるが、あごを掴む力が強くなり、ヴァスに注意を引き戻された。


「そうではない。貴様は月の女神の生まれ変わり。獣の愛を受け取らないどころか気付きもしない、傲慢で残酷で肉の焼き方もろくに知らない、猟師の真似事がお似合いの無神経な女だ」

「それは……認めますが……」


 ヴァスは何を言いたいのだろう。この期に及んで、まだ彼の理想に届かない部分を直せと言いたいのだろうか。ならば今夜来るのは、ちょっと早かったのではないだろうか。


「だからといって、易々と太陽に渡しはしない」


 まだ分かっていないユスティーナをよそに、己が心を見定めた金の瞳が燦然ときらめく。夜の闇に光るそれは月の愛を求め太陽に牙を剥いた、神話に巣食う獣のものだった。


「甘ったれるな、立ち上がれ銀月の君よ! オレが本当に求めるものは、真なる復讐は、今度こそ正統なる一対一でお前に勝つことだ!!」


 鮮烈な意思が、ローゼの平手など比較にならない強さでユスティーナを張り飛ばす。息を呑んだ彼女の顔を引き寄せると、ヴァスは吠えるように叫んだ。


「そのためにまず、元婚約者殿と完全に手を切ってもらう。運命も思い出もなくとも、オレこそがお前の相手なのだと、全世界に知らしめてくれる!」


 月の女神は常に太陽神の妻となる運命。今生にて一番最初に出会った時の思い出さえ、イシュカとの出会いに塗りつぶされてしまっており、ユスティーナの記憶には残っていない。


 それでもヴァスは諦めない。師匠の手など借りずとも、独力で成り上がってきた実績がある。運命にも思い出にも頼らず、呆然とこちらを見上げている、いつも顔だけは可愛い女の心を奪ってみせる。


「ユスティーナ。お前だって最早、イシュカを頭から信じてはいないのだろう。こんなところでみじめに死ぬなど、絶対に許さんぞ! 死ぬなら共に太陽を直視してからだ!!」


 マーバル王国のみならず、世界を守護する天の神。大いなる恵みをもたらす存在であると同時に、まともに見つめれば失明もあり得る、強すぎる光。


 ユスティーナも含め、意識している者は複数いたにもかかわらず、誰もが直視できずにいた太陽の黒点。イシュカの持つ闇を今こそ暴く時だと、ヴァスは断じた。


「はああああああ!?」


 ユスティーナより先に反応したのはローゼである。


「おい、なっ、ふざけんなヴァス! 何を言ってやがる!!」

「聞いたとおりだ。では行くぞ、ローゼ。予定どおり馬車を出せ」

「予定どおりじゃねえよ! ユスティーナをまだ殺してねえだろうが!!」


 再決起するナインと合流するため、御者の立場を利用したローゼは馬車を用意してはいる。ユスティーナの断末魔を出発の合図として、ここを発つ予定だったのだ。


「当たり前だ。この女がいなければイシュカに勝てん」


 慌てふためくローゼに対し、ヴァスは馬鹿なことをと言わんばかりである。


「は? お前、まさか……こいつまでナイン様の内乱に加担させようってのか!?」

「ヴァ、ヴァス、いくらなんでもそれは無理ですよ!」


 遅れてユスティーナも慌て始めた。ヴァスの宣言に共鳴した魂が、激しく震えているのは感じるが、敵の敵は味方と簡単にいくものか。イシュカに思うところがあろうとも、ナインに王権を渡すことだけはできない。


「分かっている。オレもナインの再起に手を貸そうとは思わん」

「えっ」

「はぁ?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る