第41話 弱さゆえの見逃し

 王家への当てこすりでナインの内乱に参加したローゼ。だが彼はヴァスには及ばないにせよ、一定の評価を得ている戦士だった。


 態度の悪さで嫌われていたヴァスとは違い、ドルグにも離宮にいた頃から手解きを受けている。火の術は強い加護を受けており、父親同様、馬の扱いにも長けている。


 ナインから馬鹿にされていても知ったことか。そもそもこっちも嫌っている相手なのだ。とはいえ恩人であるのは事実、実力で俺の価値を分からせてやると不敵に構えていた。


 実際、開戦してからローゼの評価はさらに上がった。前評判よりさらに高い働きをしたからだ。戦況が悪くなり、死ではなく脱走などの形で戦線を離れる兵士が多くなってくると、ナインでさえ「若造のくせに、なかなかやる」と甘い声を出し、引き留めを図るほどだった。


 心配しなくても、俺は逃げたりしねえよ、ナイン様。心の中でローゼは舌を出していた。戦場でユスティーナと巡り会い、殺すまでは。あるいは殺されるまでは、絶対に戦い続けると亡き父に誓ったのだ。


 ところがローゼはユスティーナを殺せなかった。殺されもしなかった。


 ローゼのほうが知覚している限り二度、二人は戦場で出会った。駿馬にまたがり、無限のように矢を放ちながら駈けてくるユスティーナの眼は、確実にローゼを見ていた。


 しかし彼女が放った矢はローゼを避けた。一度目はただの偶然かと思ったが、二度目はまっすぐ飛んできていた矢が風の術により、突然あらぬ方向に逸れた。ローゼが放った矢のほうも、一本残らず避けられた。


 ローゼはお情けで見逃されたのである。


 銀月の君と殺し合うに値しない戦士として、相手にされなかったのである。


「それは本当か、ユスティーナ」


 怒りのあまり口を開けないでいるローゼに代わり、ヴァスが声をかけてきた。無言で非難を受け止めていたユスティーナは、やけに静かなその声音が、逆に強く心を揺さぶるのを感じた。


「そうよ」


 悪びれもせず認めてやれば、ローゼが信じられないものでも見るような眼をした。何を驚くことがあるのだろう、とユスティーナは笑った。自分で言い出したくせに。


 ローゼが知っているおてんば娘も銀月の君も、言われっぱなしで黙っているような性格ではないだろうに。


「ええ、手を抜いたの。だってあなたは、イシュカ様どころか、私より遙かに弱いから」

「なっ! なな、て、てめえ」


 ぺこぺこ謝ってばかりの、気弱な姿を見せてきたからだろう。露骨な蔑みに怯むローゼに向かって、ユスティーナは力一杯叫んだ。


「私が本気を出したら、簡単に殺せてしまう。その程度の実力しかない幼馴染みが、生意気にもこのわたくしに向かってくるのだもの。手を抜くしかないじゃない!?」


 ついでにあふれ出した涙を拭い拭い、ユスティーナは吐き捨てた。


「ドルグ師匠だって誰だって、みんな、なんで向かってきたの!? 大勢の前で投降してくれれば、格好を付けて情けをかけることもできたのに! そっちが来るなら、殺すしかないじゃない……」


 開戦を望んだのはユスティーナではない。銀月の君を望んだのは、ユスティーナではない。


 イシュカのことは今でも好きだが、別の誰かが銀月の君として彼の側にいたならば、憧れるだけで終わっていただろう。しかし選ばれたのはユスティーナだった。


 君がそうだと、あの日彼が言ったから。僕の理想の姫君に君がならねばならないと、そうでなければお前の価値はないのだと、態度で示され続けていたから。兄に玉座を与え、従兄弟の野望を挫き、祖国を救ってくれた太陽神の生まれ変わりの愛を受けながら、彼の希望に応じないなどという恩知らずな真似ができるはずがなかった。


 ──イシュカ様は本当は、私のことが嫌いなんじゃないかしら。その疑いを幾度となく胸の奥に押し込みながら、愛し愛されている幻想を必死に生かし続けていた。太陽神が月の女神を嫌っているなど、あってはならないことだからだ。


「ナインだって……我が従兄弟ながらどうしようもない人ですけど、従兄弟なのよ? もう一度世を乱せば、今度こそ許してはもらえない。兄様がどうお願いしても、今度こそ殺されてしまうのに……!」


 ナインが再起するとなれば、仮にイシュカがすでに消えていたとしても、必ず「生じる」だろう。ナインはまだしも、ローゼとヴァスのような頭のいい者たちに結末が見えないはずがない。もう幽閉では済まされないだろうに。


 それでも彼らは、ナインに味方したいのか。そこまでユスティーナが憎いのか。


 ならばユスティーナにはもう、何も言うことはない。


 激情に駆られて乱れた姿勢を正し、髪を直してもう一度座り直す。毅然と見上げたローゼには、眼が合った瞬間に視線を逸らされてしまったが、ユスティーナはきちんと彼に頭を下げた。


「ダーントに会えたら、ちゃんと謝ります」


 全ての罪は死によって洗われる。死後、あらゆる魂は肉の重みによる縛りが解け、天上にある神の国へ行くとされているが、あまりにも罪が重いと途中で宙吊りにされてしまうという説も根強い。そしてそのまま、永劫苦しむという。


 ダーントは自身の罪ではなく、ユスティーナがその息子と遊び呆け、義務を怠ったとばっちりで職を解かれたのだ。彼は神の国に迎えられたに決まっているが、ユスティーナがそこへ行けるかは分からない。功罪どちらも、思い当たることがありすぎて自分では判断が付かない。


 とりわけ重い罪を犯した男に向かって、ユスティーナはもう一度頭を下げた。


「……ヴァス、私は楽しかったわ。どうぞ」

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