第33話 人を見る眼

「ナインに対してすら、あの男は無用に冷たく当たる様子はなかった。調子に乗ったナインが、今回はこっちに味方してくれと誘ったぐらいだ」


 七年前、イシュカがアルウィンの味方に付いたことで彼は玉座を得た。つまりはイシュカがいなければ、彼は王になれなかったのである。ならば今度こそ正しい王を選んでくれ、僕に味方してくれと、ナインは図々しく頼んだことがあった。


 もちろんイシュカは断ったが、その断り方はとても紳士的で、それゆえにナインはなかなか引き下がらなかったという。腹を立てたユスティーナが割って入り、「イシュカ様の優しさにつけ込んで厚かましい! あなたはとっくに負けたのです。イシュカ様に選ばれるなどあり得ない! 仮にもこのわたくしの血縁者のくせに、これ以上恥の上塗りをするつもりですか!?」と噛み付いたのは有名な話である。


 後でその話を聞いたヴァスは、ナインの蛮勇にも呆れたが、ユスティーナの喧嘩腰にも眉をひそめたものである。血縁者のくせに、ナインの性格が分かっていない。ヴァスもだが、彼は馬鹿にされることに非常に敏感なのだ。そんな言い方をすれば、火に油を注ぐだけだろうに。


 ヴァス以外の者たちも同じように感じていた。国王側の人間でさえ、「銀月の君はお変わりないようで」と肩を竦めた。言いたいことは分かるのだが、少なくともあなたは性格で選ばれたわけではないでしょうにと、誰もがイシュカを改めて気の毒がりさえしたのだ。


「あの時はオレも、さすがは銀月の君と感心したものだ。もちろん、嫌味としてだ。おかしな意味は含んでいないぞ! だが……」


 わざわざ前置きをしてから、ヴァスは自説を展開する。


「不本意ながら、しばらくあの女と生活を共にするうちに……大雑把で図々しく天然で人を傷付ける面はあるが、そこまで高慢な性格ではない、と思えてきた。むしろ素直で自罰的、流されやすい性格を、イシュカに利用されているのでは、と……」


 双子の反応を窺いながら彼は述べた。サラもリラも、時折物言いたげに瞬きをしたり唇をわななかせたりしたが、最後まで口を挟まなかった。


「反論はなしか。それが、お前たちの答えということだな」


 落ち着き払った声音で結論を出された双子が、せめてとばかりに口々に言い返す。


「イ、イシュカ様は、あなたよりかっこいいんだから!」

「……現国王陛下に味方して、この国を安定させてくださった。ナイン様が起こした反乱も、収めてくださった。イシュカ様がいらっしゃらなければ、マーバルはあなたと盟友の手によって、めちゃくちゃになっていたでしょう」

「……そうだな。それは認めよう」


 容姿も含めたイシュカの価値。イシュカの功績。そこにヴァスも文句を付ける気はない。


 ユスティーナにも指摘されたように、仮にナインの反乱が成功していたとしても、幸福を掴めるのはごく一握りだ。そして彼の天下は彼自身の資質のせいで、決して長続きしないだろうことも理解はしている。


 実際は問題なく国王側が勝った。イシュカが味方したユスティーナが勝利を収めた。シュマル、ドルグといったナイン軍の名立たる戦士を打ち倒し、最後に残ったヴァスもユスティーナが仕留めた。


後にユスティーナが一対一の勝負に伏兵を持ち込んだことが広まり、元々性格に難ありとされていた銀月の君の評判は地に落ちた。だがイシュカはより気の毒がられるだけで、この時代に彼が「生じた」面目は保たれた。かくてマーバル王国には平和が訪れたのである。


「その陰でユスティーナは、あの男の言いなりになって傲慢に振る舞い、努力で手に入れた能力も何も彼も低く見られていたのだな。つまりはあの女一人が、民の平和の犠牲になったわけだ。犠牲になっていることさえ、知られることなく、か……」


 イシュカという太陽に眼が眩んだ者たちは、彼の印象操作に気付いていない。ユスティーナの側近くにいる侍女たちには思い当たる部分がありそうだが、同時にイシュカにも近い場所にいるため、表立って告発するのは難しい様子だ。


 野蛮で大口ばかり叩く獣返り。当然ながらユスティーナより嫌われている男の分析に聞き入っていた双子たちは、ややあって小さく息を吐いた。


「罪悪感のせい、ユスティーナ様の買いかぶりすぎだと思っていたけど、あなたは意外に人を見る眼があるのかもね」

「……そうね。顔と暴力とふかふかしてるだけの男じゃないみたい」


 発言自体にはまだ棘が含まれているが、二対の水色の瞳には、ヴァスに対する信頼めいたものが宿りつつあった。


「ヴァス。恩人に最後まで尽くした、あなたなら分かるでしょう。私たちも、ユスティーナ様も、イシュカ様に多大な恩があります。あの方を悪く言うことはできません」

「何よりユスティーナ様は、まだイシュカ様のことを想ってるしね」

「……だろうな」


 それも理解はしているのだ。なにせつい一時間ほど前、思い知らされたばかりだ。同意を示したヴァスに、サラは思い切ったように続けた。


「けれど、希望はあるかもしれない。──ヴァス、私たちがあなたを疑いながらも観察していた理由はね。あなたが来てから、ユスティーナ様が楽しそうだから」


 ぴくりと睫毛を震わせたヴァスは、顔を背けて毒づく。


「……ふん、宙吊りで放置されているよりは、明確な終わりが来ると分かったほうが気が楽になっただけだろう。人間は無期限の地獄に、一番耐えられんからな」


 可愛くない態度が気に障ったのか、サラはさらにこう続けた。


「でも、分からないわよね。ローゼも戻ってきたし」

「やっぱりサラも、そう思う?」


 あまり恋愛沙汰に関心を示さない姉と意見が合ったのが嬉しいのだろう。リラがはしゃいだ声を上げ、ヴァスはうなりに似た声を発した。


「……性悪女神め、あの男のことまで想っているのか……?」

「イシュカ様に対する気持ちとは違うでしょうけど、今生ではイシュカ様より早く出会っているしね」

「幼馴染みの絆は侮れない! さっきも言ったけど、あいつのことはユスティーナ様もずっと気にしてたのよ。ナイン様が負けて吹っ切れたみたいだし、向こうから折れてきた潔さも高評価! 割と顔もいいし!! あんたもせっかく背が高いんだから、もっとしっかり背筋を伸ばしなさいよね」


 人型でも猫背気味のヴァスの背を、リラはばん、と力強く叩いた。ユスティーナほどではないが、ドルグの教えを受けた彼の孫娘の力である。避ける必要もないと考えていたヴァスは、無言で打たれた部分をさすった。


「私たちとしては正直、ユスティーナ様がお元気で楽しく過ごせる相手なら誰でもいいの。精々がんばりなさい、ヴァス」

「だからってやけを起こして、あの方に変な真似をしたら許さないからね!」

「分かった分かった」


 ヴァスが復讐者として来たことなど完全に忘れている、というより最早信じていない二人に声援を送られ、ぞんざいにヴァスは請け合った。


「主従揃って、ちょろいものだな」


 冷たい声で彼がつぶやいたことに、楽しげな双子たちは気付かなかった。

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