第34話 あなたは私の

 侍女たちに言われたとおりローゼを連れ、ユスティーナは離宮内を案内していた。七年ぶりということもあって、彼は物珍しそうに周囲を見回し、あれこれと質問してきた。


「建物自体はそんなに変わってないな。若い男が少なくなっているのは事実だが」

「……戦いに参加しましたからね。女性も様々な理由で辞めた者はいますが、あなたを覚えている者も、まだたくさんいます」


 彼女はローゼにどんな反応をするだろう。緊張を覚えながら、ユスティーナは呼吸を整え、大股に厨房に入った。


「マリエル、今日からローゼもここで働くことになります。このわたくしが決めたことです、従ってもらいま、きゃっ!?」


 有無を言わせぬ命令の勢いで、ローゼの帰還を認めさせよう。そんなユスティーナの企みは、怒濤のごとく駆け寄ってきたマリエルの勢いに蹴散らされた。


「ローゼ!? あんた本当にローゼなの!? ああ、良かった、生きてたのか……!」

「大袈裟だな、マリエル。だが、あんたも生きてて良かったよ。……親父も会わせてやりたかったな」


 懐かしそうに笑うローゼの顔を見上げ、マリエルはぐいと眼の端を拭った。


「大丈夫ですよユスティーナ様、ご命令には従います。心配をかけてこの野郎め、たっぷりこき使ってやるからね!」

「返す言葉もねえな、贅沢は言わねえよ。御者やるつもりで戻ってきたが、なんでも言い付けてくれ。男手が足りないんだろ?」


 照れ隠しに荒い態度を取るマリエルも、ローゼは慣れた調子で受け止めてくれる。子供の頃から体格が良く、声も大きいので恐れられがちなローゼだが、人の話をしっかり聞いてくれる兄貴分の面も強い。


(本当のあなたはこっちよね、ローゼ……)


 郷愁めいた喜びがこみ上げ、ユスティーナも危うくもらい泣きしそうになってしまった。


 憎しみに顔を歪め、明確な殺意を向けてくる幼馴染み。戦場で見せつけられる姿に慣れてしまっていたが、マリエルとのやり取りを聞いていると時が巻き戻ったかのようだ。


 ナインに命を狙われているという問題はあったが、アルウィンがいて、ダーントとローゼがいて、ドルグとサラとリラがいて、マリエルがいて、何よりイシュカがいる離宮の暮らしに足りないものはなかった。ローゼと一緒に毎日のように野山を巡り、慕ってくれる動物たちと遊び疲れて戻ってくれば、温かい人たちが出迎えてくれる。それがどれだけ贅沢なことか、まだ分かっていなかったあの頃。


 あの頃のように、ずっとここでみんな一緒に、こんな風に過ごせたらいいのに。


「おい」


 甘い考えに浸りかけていたユスティーナは、思い出に存在しない男の声で現実に引き戻された。 


「あ、あら、ヴァス!?」

「おや、あんた、もう猫のふりはやめたのかい」


 厨房の入り口に音もなく現れた、暗い赤毛の男を見ても、マリエルはまるで驚かない。ヴァスもため息を零すだけだ。


「……お前と侍女どもには、ばれているらしいのでな」

「いい心がけだ。今丁度、男手が足りないと話していたところさ」


 本当に私だけ、ばれてるって分かってなかったんだ……とひっそり落ち込んでいる場合ではない。ユスティーナは懸命に気持ちを切り替えた。


「マリエル、ローゼにお仕事を頼むのは構いませんが、ヴァスは、その……」

「そうですねえ、召使いって感じには見えませんし」


 ある程度事情に見当を付けているらしきマリエルは気を遣ってくれているのだろう、はっきり口にしないが、言うまでもなくヴァスは敵である。ユスティーナも、汚らわしい獣返りとして彼を罵倒し続けていたのである。猫もどきではなくこの姿で人前に出てきた以上、彼の扱いをどうするか決めなければならない。


「……ヴァスは、私の師匠になってくれたのです!」


 咄嗟の発言にマリエルは、え? という顔になったが、ヴァスは調子を合わせてくれた。


「ローゼと同じだ。ナインも敗北したことだしな。この女も、オレを罠にかけたことについては誠意のこもった謝罪をしてくれた。そこまで言うなら応えてやろう、というわけだ」

「は? なんだいあんた、何様のつもりで……」


 ローゼがその路線で許されたのだから、オレも良かろうとばかりの態度にマリエルはかえって神経を逆撫でされた様子である。ぐぐっと拳を握る様を見たユスティーナは仲裁に入った。


「マ、マリエル、許してあげて! ヴァスはあまり……会話が得意ではないので!!」

「口が減らないの間違いでしょうが! あんたとローゼを一緒にするんじゃないよ、ふてぶてしい男だねぇ!! 猫の時は、まだ可愛げがあったのに……!」


 元々離宮にいたローゼと、ずっとユスティーナとやり合ってきたヴァスが同じように許されるものか。余計に怒り始めたマリエルだったが、諦めたように拳を収めた。腕を掴むユスティーナの力に屈したわけではない。


「はあ……でも、あんたのそのふてぶてしさこそが、ユスティーナ様に響いたのかもねえ。あたしらはどうしても、腫れ物に触るみたいになっちゃって……」


 食べないよりはまし、少しぐらいふっくらしていたほうがいいとユスティーナが欲しがるだけ食べ物を与えてきたマリエルであるが、そろそろまずいとは考え始めていたのだ。そこへヴァスが現れ、理由はどうあれ食事量を減らすきっかけを作ってくれた。料理人失格だね、と肩を落とすマリエルにヴァスはこう言った。


「極端から極端に走る女だ、それも仕方なかろう。関係が近いからこそ、簡単に言えんこともある」

「……なるほど。下手に出るぐらいの芸は、できるわけか」


 減らず口で追い打ちをかけてくるかと思いきや、意外な慰めが琴線に触れたようである。ユスティーナもヴァス、と感嘆の声を漏らした。


「あなた、思ったよりも協調性があるのですね……!」

「……お前はごく自然に口が悪いな。中身をよく知らん者からの評判が悪いのは、あの男のせいばかりじゃないな?」


 呆れた口調で言い返したヴァスがぼかした男について、マリエルも理解しているのだろう。完全に腹を決めた表情になってくれた。

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