第32話 聖域侵犯

「ハァ!?」


 不意打ちを食らったヴァスも、不屈の戦士から一転、思春期の少年のような反応をしてしまう。芝居とは思えない。内乱中ならまだしも、今になってこんなしょうもない芝居をする理由もない。再確認した事実に、サラはため息を隠せない。


「そんなはずがあるものかと思っていましたが、ここに来てからのあなたの温い態度を見ていると、リラの勘が当たりのようね。考えてみればあなたも獣返り、ユスティーナ様に魅了されてしまうのも無理はない。昔からの執着も当たりの強さも、好意の裏返し……そして相手にされない腹いせ、というところかしら?」

「ぐ、ぐ……!」


 ずばずば言い当てられて、わなわな震えるだけのヴァスをリラが慰めてくれる。


「気にすることないわよ。月の女神の生まれ変わりである銀月の君、強く美しく気高き私たちのユスティーナ様に惚れるのも、相手にされないのも、みーんな一緒なんだから」

「つ、強く美しいのは否定せんが、あれのどこが気高いんだ。ぶくぶく太っている上に、異様に山籠もりに慣れていて枯れ葉の味の向こう側まで知っている、小猿のような女じゃないか……」

「百年の恋も冷めそうな状態のユスティーナ様にふわふわにされて、楽しそうにしてたくせに」


 なんとか立ち直って言い返せたと思ったら、すぐに反撃されてしまった。落ち着いて息を整えたヴァスの眼が底光りを帯びる。


「それに、お前らの敬愛するドルグおじいさまを、あの女は殺した」

「そうよ。おじいさまが、国王陛下とユスティーナ様を殺そうとするナイン様に従ったから。なのにお二人は、逆賊の孫である私たちに、なんの処罰も与えなかった」


 慣れた口調で、リラはヴァスの指摘を一蹴した。


 ドルグに孫がいること自体、あまり有名な話ではないながら、この手の話は国王側の者からも時折言われていた。内乱を終結させるためとはいえ、侍女の祖父でもある、世話になった師匠を殺して平然としているとは。当代の銀月の君は、なんと冷たい御方だと。


 くだらない話だと、リラもサラも思っている。ならばナインの言うとおり、ドルグが育てた銀月の君を殺せば良かったのか。戦いを起こしたのも、ドルグをユスティーナにけしかけたのもナインだというのに。


「そもそもおじいさまは、昔の恩を盾に取られてナイン様に味方した際、国王陛下とユスティーナ様に私たちのことを頼んでいってくださったのよ。孫だけは、咎めないでほしいってね」


 ナインは可能であれば、双子の侍女もユスティーナから引き剥がしたがっていた。しかしドルグは頑として譲らず、内密に孫娘たちの将来を王家に託し、自分はナインへの義理を果たしに向かったのである。


「……さすがの名師匠だな。内乱を起こす前から、ナインが負けると分かっていたのか」


 皮肉っぽいヴァスの相槌に、今度はサラが言い返す。


「あなただって、おじいさまが亡くなったあたりで、もう駄目だと分かってはいたのでしょう。ユスティーナ様は、それでもナイン様を見限らなかったヴァスは、見上げた忠義者だとさかんに褒めていたけど……」

「オレ様とナインは、利害が一致していた。それだけの話だ」


 どんな理由であれ、獣返りに地位を与えてくれるほど認めてくれるような存在はナインしかいなかったのだ。山賊もどきに戻るぐらいなら、どれだけ勝てる見込みが低かろうが戦い続けるしかなかった。ましなほうを選んだだけよ、とうそぶくヴァスをリラはしたり顔で見つめている。


「なるほど。つまり、ユスティーナ様のことが好きだからね」

「なんでそうなる!? オレはただ、あの女を殺す機会を得るためにだな……!」

「真っ当な方法じゃその機会さえないから、ナイン様を利用するしかなかったってことでしょ。仕方がないわよね、ユスティーナ様にはイシュカ様がいらっしゃるし」


 勝ち誇ったようにリラがイシュカの名を出した途端、揚げ足を取られて焦っていたヴァスが真顔になった。


「でも本当は、ユスティーナ様に選んでほしかったんでしょ。でなければわざわざ復讐しに来ておいて、ぐーすか寝てるユスティーナ様の足元で丸くなってるだけじゃなく、仲良く二人きりで山籠もりなんてあり得ない! やせるまで待つなんて、ただ一緒にいたいだけじゃない!!」


 これでどうだ、とばかりに断言するリラ。勝利を確信した様子の彼女に、ヴァスはかねてから温めていた疑問で切り込んだ。


「オレの正体を見抜いた上でオレを排除しなかったのは、貴様らもイシュカに不審を抱いているからか?」


 一転、ふふん、という顔をしていたリラの頬が強張る。彼女たちだけではなく、マーバル王国全体の聖域に土足で踏み込まれたのだ。無理もなかった。


「そ、それは……その……サ、サラ!」


 すがるような声でリラは姉を呼んだ。しかし、いつもしっかりしていて落ち着いたサラも、この件に関しては歯切れが悪い。


「……ヴァス、あなたにとってイシュカ様は、祖先の代からの恋敵ですものね。悪く見てしまうのは、当然でしょうけど……」

「煮え切らんな。あの男は創世の時代からのユスティーナの運命であり、この国の守護神だ。平和を乱すオレたち獣返り以外には穏やかで優しく、完璧な存在なのだろう? その様をお前たちは、すぐ側で見ていたのだ。馬鹿なことを言うなと、怒鳴りつけられることを覚悟していたのだがな」


 暗い赤毛を軽く払い、ヴァスは皮肉を飛ばす。もっとも、双子たちを怒らせることが現在の目的ではないため、それ以上の挑発はしなかった。

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