第24話 味の向こう側

 彼の指摘は見えない矢と化してユスティーナの心臓に突き刺さった。高まっていた食欲に代わり、どくり、どくりと不吉に鼓動が早まっていく。


「大体、猫のオレを拾ったこと自体、おかしいんだ。この猪にも、ちゃんと礼を述べていたよな。お前は過剰なほどに獣に愛されるが、それゆえに獣を嫌う月の女神の生まれ変わり。馬以外には近付きもしないという話のはずだったのに、侍女どももオレを連れ歩くことに大して驚いていなかった」


 血の気の引いた唇から音を出せないまま、ぎくしゃくとうなずいた。銀月の君は獣に愛されるが獣を愛さない。彼女が想うのは太陽神だけであり、彼との仲を引き裂こうとした輩など、馬車や戦車に使用する馬以外は食用が精々。そういう存在なのだと、仕込まれてきた。


「お前、本当はオレ……いや、獣が好きなのではないか? イシュカに命じられて、嫌いなふりをしていただけではないか……?」

「そ、それは……」


 違うと言いたい。言わねばならない。少なくとも、命じられていたわけではない。イシュカはユスティーナのために、教えてくれていただけなのだ。だが炎を浴びて熱く光る金の瞳が、正直になれと胸を揺さぶってくる。


「そう……ですね。正直、獣と言いますか、動物は昔から好きなのです。だってみんな、私のことを慕ってくれますから。もちろん私が、月の女神の生まれ変わりだからですが」


 正直に、自分の浅ましさのせいだとユスティーナは認めた。


「ちょっとばかり乱暴だったり、時には傷付けられるようなこともありますけど……それでも、あんなに熱烈に愛されたら、嬉しくなってしまいます」


 立場を自覚せよ、望まれたとおりに振る舞えと言われ続けてきたせいだろうか。人間と違って良くも悪くも裏のない、獣の愛情にほだされかけてしまうことは多々あった。イシュカに教わった設定を守るため、興味どころか嫌悪しか感じないという顔をしながら、あの犬さんにご挨拶だけでも返したいという欲求を抑えつけていたのだ。


「あの子とっても、とっても可愛かったのに……」

「……そうだな。可愛い……いや、そうではなくてな」


 思い出すだけで顔をほころばせてしまうユスティーナを見つめ、つられたようにうなずくヴァス。思い返せばユスティーナに冷たい獣はヴァスと猫のヴァスだけだった。あの時点で怪しむべきでしたね、と苦笑いしてみせても、今度は彼は乗ってくれなかった。


「お前はイシュカに、相当な無理をさせられていないか? 自分でも、それに気付き始めてしまったからこそ、あいつに去られてしまったのでは……?」


 真摯な、祈るようでさえあるヴァスの声が、次々と心臓を刺し貫く。何重にもかかっていたイシュカの封印を、揺り動かす。


「あ、あの! あなたが倒したのですし、このお肉はあなたが食べてください!!」


 いけない。咄嗟にユスティーナは、程良く両面が焼けた猪肉を一本掴むとヴァスに向かって突き出した。ヴァスは冷静に彼女を見つめ返す。


「……お前はどうする気だ。別の獲物を狩る気か?」

「いえ、無闇と命を奪うのは良くないことですから。大丈夫、森にはたくさん枯れ葉が落ちていますし」

「は?」


 訝しそうなヴァスの視線と見事に焼き上がった肉から顔を背け、ユスティーナは焚き付けにも使った、そのあたりにたくさん落ちている枯れ葉をそっと撫でた。


「私がまだこの体ですから、気を遣って食べ物を用意してくださったのでしょうが、問題ありません。あなたの宿敵に戻るためには、断食ぐらいして当然なのです。口に入れるものがあるだけ、余裕……」

「いや、待て。もしや貴様、山籠もりした上に、枯れ葉を食って修行をしていたのか……?」


 どんな苦行だ。頬を引きつらせて聞き返してきたヴァスを通り過ぎ、森の闇も通り抜け、ユスティーナの視線は遠い彼方を目指す。


「ええ。ヴァスだってご存じでしょう? 枯れ葉をずっと噛んでいると、辿り着けることがある……味の、向こう側……」

「知らん。食え。いいから食え。食いたいんだろうが、食え」


 吐き捨てたヴァスはユスティーナが差し出していた肉を奪い取り、彼女の口元に押しつけた。


※※※


 ヴァスの器用さは料理にも及んでいた。半日とはいえ修業をしていたユスティーナが非常に空腹であることも見抜かれていた。おまけに彼は口が立ち、いつの間にやら対ユスティーナ専用の必殺技まで編み出していた。


「……獣返りの焼いた肉など、食えんか」

「うっ……そ、そんなことは……!」


 普段の尊大さを引っ込め、さも悲しそうな顔をされると、ただでさえヴァスに対して巨大な罪悪感を抱えているユスティーナである。とても断ることなどできない。


「お肉おいしーい!」

「そうだろう、食え、もっと食え」


 だいいち、奪ってしまった命はもう戻らないのだ。まして焼いた肉を放置しても傷むだけ。だから仕方ない、仕方ないと自分に言い聞かせながら、ユスティーナはヴァスの勧めるまま、どんどん串肉を食べた。


「不覚……! あなたが焼いてくださったお肉、おいしすぎる……!!」

「ふ……二度とオレ様の前で枯れ葉を食うなどと言わせんからな」


 気付けば昨日より大量に食べてしまっていたが、昼は食べていないのでぎりぎり許容範囲だ。きっとそうだ。明日からはもっと厳しい修行をしなければ……と心に誓いながらユスティーナは、弓矢と小刀の点検を行った。


 特に矢は、久々の訓練により折れてしまっているものも何本かあったため、自生している白トネリコの枝を加工して補充する。ヴァスからは「お前、戦いに関しては器用だな」とお褒めの言葉をもらった。なお彼も同じように矢の補充をしていたが、こちらもユスティーナが作るより上手だったので、こつを教えてもらった。


「あなたが作った矢、一本貸してもらってもいいですか? 参考にしたいので」

「……オレはそんなけち臭い男ではない、やる。ちょっと待って、それはだめだ、作り直す」


 ヴァスはそれは丁寧に一本の矢を仕上げ、ユスティーナに渡してくれた。


「まあ……なんて見事な。ありがとうございます、ヴァス。大切にします!」


 うっかり使って壊さないよう、ユスティーナはその矢を他の矢と分けて慎重に矢筒にしまった。


 残った肉を置いておくと動物などに食べられてしまうので、取っておいた皮に包んでヴァスが背負った。そして火を消し、二人は順番に木の上の寝床に上がった。

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