第23話 本音は何処に

「あ、ああ……そう、でしたね。私が卑劣な方法で射た傷が、あんなにはっきりと……」


 肩に残った傷痕は見ていたものの、動きに支障がある様子ではなかったのですっかり忘れていた。罪の矢による傷を忘れて訓練に付き合わせるなど、我ながらなんと面の皮の厚いことだろう。恥ずかしさと情けなさに、ユスティーナはうなだれた。


「ごめんなさい、ヴァス……本当に本当に、申し訳ありません」

「……いや、そこまで謝られるほどでは……オレ様は人間などより遙かに頑丈だからな……正直見た目だけで、中は完全に治っていて……」


 もごもご言っているヴァスに、そっとユスティーナは提案した。


「まだ、あなたの理想には到底届いていないでしょうが……私の肩ぐらい、射っておきます……?」


 取り急ぎ、同じところを射つのはどうか。ユスティーナの提案にヴァスはかっと目を剥いた。


「手付け感覚で勧めてくるな! そんなことをしたら、貴様の美しい体に傷が……!!」

「え?」

「……ではなく、すばらしい技が見られなくなるだろうが!!」

「は、はあ……」


 巣に戻っていく鳥たちの影が二人の上を通り過ぎていった。落日の光に燃え立つ赤毛を、ヴァスは意味もなくかき上げた。


「……戻って、猪を食って寝るぞ。訓練は一度にやればいいというわけではない。ただでさえ貴様は鈍っているのだからな、今日はもう終わりだ」

「そ、そうですね。そうしましょう」


 ほとんど戦場でしか顔を合わせたことがないので分からなかったが、ヴァスはたまにおかしなことを言う。高度な嫌味なのだろうか。首をひねりながらユスティーナは、ヴァスと一緒に冷やしておいた猪を取りに戻った。


※※※


「ここまでできて、なんで急に雑になるんだ……?」


 夜の森の中、ユスティーナが術で起こした火が赤々と燃え、木の上に作った寝床の底をあぶっている。その火よりも激しい口調で吐き捨てながら、ヴァスは彼女から奪い取った小刀を振るう。器用な動きに従って、猪の肉が丁寧に切り分けられていく。


 内臓をかき出すまでは上手かったので、冷えた肉の切り分けもヴァスはユスティーナに任せたのだ。しかしユスティーナの、もう血は出ないからいいだろうとばかりの手付きに憤慨し、自主的に交代したのだった。


「ご、ごめんなさい。でも、山籠もりで食べる肉は、食べやすい大きさになっていればいいでしょう……?」

「……晩餐会で出てくるようなものは期待せんが、それにしたってやり方があるだろう」


 呆れ顔でヴァスは切り分けた肉を次々と木串に刺し、火の周りに突き刺していく。厨房からかすめてきたらしき香辛料まで振りかけているので、食欲をそそる匂いが一面に広がっていた。


 合間に生の肉を自分の口に放り込んでいくのだが、その様にも妙に品があった。こみ上げるよだれを抑えながらユスティーナは、複雑な気持ちに囚われた。


 山賊上がりであり、猪の内臓を平気で食らう獣返り。その実ヴァスはナインに従ったことにより、一時は彼が有していたガンドル州の領主にまで登り詰めていた。


 内乱に敗北したため、ナインが持っていた領地はガンドル州も含めて王家の直轄領となったが、華やかな場で馬鹿にされないよう勉強したのだろう。晩餐会や舞踏会に招かれた際のヴァスは、派手な装いに負けない優雅さを周りに見せつけていた。


 とはいえ、しょせんは卑しい出自の男。いくら人間のふりをしたところで、獣臭さは隠せない。周り中から白い眼で見られているのは本人も理解しており、たまに大仰に噛み付いて顰蹙を買いながら、それでも彼は公の場を避けなかった。


 時には招待されてもいない、王家が主催するような会にまで姿を見せ、隙あらばユスティーナに嫌味を飛ばしてくる執念に当時はぞっとしたものだ。陣営を代表する戦士同士である。意識されているのは分かっていたが、獣返りが銀月の君に向けるにしては、あまりにもその眼は冷たかった。彼以外の獣返りは、女性であっても熱っぽい視線を向けてきたというのに。


『あの男、よほど承認に飢えているのだな。どうしても君を使って有名になりたいようだね』


 ひとしきりヴァスとやり合った後、その背を見送ったイシュカが肩を竦めてつぶやいたことが何度かあった。なるほど、そういうことかと納得したものである。


 祖先を滅ぼした女神の生まれ変わりである、名高き銀月の君を踏み台にして汚名を返上できれば、さぞかし胸が空くことだろう。誰より濃い獣の血を持つ、誇り高き戦士であるヴァスにとって、ユスティーナなど勲章でしかないのだ。


(それでも私は、会うたびあなたへの恐怖と共に、尊敬を深めざるを得なかった。どんな場所でも自分を譲らず、堂々としているヴァス。あなたのようになりたかった……)


 だが、口に出したところで信じてはもらえまい。切なさを脇に押しやり、ユスティーナは言った。


「それに、料理は私の仕事ではありません」

「──まあな。お前は王族だ」


 いかにも銀月の君らしい答え。聞き慣れているはずのそれを聞いても、鼻白む、馬鹿にするといった、お馴染みの反応をヴァスは示さなかった。


「イシュカに作ってやったりしなかったのか?」

「いいえ、だってイシュカ様が、料理は君の仕事じゃない、と……」


 料理といえば思い浮かぶのは子供の頃から世話を焼いてくれた、大好きな料理人マリエルだ。その彼女について、裏では君はあんな風になってはいけないよ、と諭してきたイシュカ。


 もちろん、ユスティーナとマリエルは違う。目指すべき理想も違うのは理解しているが、あの日ちくりと刺さった違和感は何年経っても抜けないでいる。


「イシュカがそうしろと言えば、料理の腕も磨いたわけか」

「は……はい、もちろんです! あの方の期待に応えるのが、私の務めなのですから」

「そうか、やはり雑なほうが素か……」


 微妙な表情でつぶやきながら、串刺し肉を刺し直して裏側に火を当てるヴァス。おいしそう……と思いながらユスティーナが肉に注目している間に、ヴァスの表情がわずかに緊張を帯びた。


「……だがお前は、オレを……少なくともオレの腕は、尊敬しているんだよな。イシュカには、獣返りなど相手にするなと言われていたんじゃないのか?」

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