第22話 初めての弓の訓練

 川を離れた二人は、二本並んだ頑丈そうな木の幹を的として、お待ちかねの弓の訓練を始めた。


 弓はマーバルで一番一般的な武器であり、その優れた使い手が戦士としてもっとも崇められる。伝説によれば月の女神は、無限に矢を提供してくれる矢筒を備えていたという。


「……ふん、大体こんなものだろう」


 まずは最初にヴァスが片方の木を目がけて矢を放つ。歩き回って目線の高さにも慣れた彼の矢は、猪を仕留めた時よりさらに冴え、途中で頭上から落ちてきた葉まで一緒に幹の中心へと突き立てた。


「お見事です、ヴァス! 力だけではなく、狙いの正確さもさすがですね……!!」

「フ……オレ用の弓であれば葉も衝撃で粉々になっただろうが、この貧相な弓ではな」


 オレの本気はこんなものではない、大袈裟な、という態度を取りつつも、ヴァスの声の端々は明らかに浮かれている。自分の弓を握ってそわそわしているユスティーナのほうが浮かれ具合は上なので、気付かれることはなかったが。


「やる気は満々のようだな。だが現在の実力がどれほどのものか、見せてもらうぞ!」

「はい、お願いします!!」


 気合いのこもった返事をしたユスティーナは、新鮮な喜びを感じながら矢をつがえる。


 ドルグに、イシュカに、武芸を習っていた頃の思い出が脳裏を過った。切なさは、だが瞬時に歓喜へと塗り替えられた。


 ドルグもイシュカも大変有能な師だ。そんな彼らに教えられてなお、卑怯な手を使わなければ勝てなかったあのヴァスが、今はユスティーナの師なのである。その手にかかるためとはいえ、彼女の中の戦士の部分が歓喜を叫んでいた。


 わくわくと胸を躍らせながら、ユスティーナは次々と目の前の木に向かって矢を放つ。彼女の一挙手一投足をヴァスは見逃さず、都度厳しい指摘を飛ばす。


「また重心がずれている! 太ったから、などという言い訳は聞かんぞ!!」

「はい、申し訳ありません!!」


 ユスティーナの体型はある程度戻り、食べて寝るだけの生活をしていた時よりは遙かに動けるようにはなっている。一般兵士として見れば、少女とはいえ十分使い物になる。


 生憎とユスティーナに求められるのは、そのような次元ではない。超一流の中の超一流、獣返りでさえ易々と倒せるほどの技量があって始めて褒めるに値する。イシュカが時には直接、時にはほのめかしてきた銀月の君の在るべき像には、まだまだ届いていない。


「どうした! その程度の矢、目をつぶっていても避けられるぞ!!」


 ヴァスもそう思っているのだろう。常人の目には止まらぬ速度で矢を放っても彼は納得してくれず、こうだ、とばかりに見本の矢を放つ。もちろんユスティーナも納得していないため、彼の構えを参考にして再び矢をつがえる。


「補充が遅い! 矢が尽きたので戦えません、は実戦では通らんぞ!!」


 矢を放つ速度が速すぎて、途中で矢筒の中身が尽きてしまった。そこでいったん休憩になどヴァスはしない。再使用可能なものを、風の術で拾い上げ補充する速度が遅いと叱られた。


「申し訳ありません! 続きをお願いします!!」


 ユスティーナも言い返しはしない。実戦想定だとあらかじめ断られていたわけではないが、ヴァスと戦っている際に矢が尽きたことなどないのだ。


 戦闘に集中するため、イシュカに補充役を頼む時もあったが、もう彼はいない。創世神話の時代は過ぎ、女神の不出来な生まれ変わりであるユスティーナは矢が湧き出る矢筒など持っていない。全て自分で、なんとかしなければならない。


 今度こそ正しく、ヴァスの手にかかるだけの価値を取り戻す。それだけに意識を集中させる。耳はヴァスの指摘だけを拾い、目は的とした木だけを見る。


「おい、そろそろ腹が減ってきたのではないか?」

「大丈夫です!」


 じりじりと空を滑り落ちていく大陽の光を尻目に、ヴァスに言われたとおりに矢をつがえる。放つ。合間に矢の補充をする。疲れによりぶれ始めた狙いを風を操ることで調整する。次第に指摘が減り、心配そうな声が混じり始めたが、ユスティーナは黙々と訓練を続けた。


「おい、顔から血が出ているぞ!?」

「平気です、これぐらいなら問題ありません!!」


 生命力の強化、すなわち回復効果も含んだ創の術は得意なのだ。怪我を治しながら戦うぐらい実戦ではよくある。連続して矢を放つうちに弦が頬をかすめ、血が出ていることに気付いてはいるが、まだ術を使う程ではないはずだ。


「あッ」


 だが、疲労が溜まってきたのだろう。わずかに腕が下がり、その拍子に頬の怪我をした場所にまた弦が当たった。びりっと走った痛みに、ユスティーナは思わず完全に弓を降ろしてしまう。


「不覚……! この程度の怪我で集中を乱すなど、やはり衰えを感じますね……」


 悔しさを吐き出しながら創の術を使えば、傷口はたちまち塞がった。残った血を指先で拭い、弓を持ち上げる。


「治りました。では、続きを」

「いや待て! いい、今日はもうやめだ!」


 すぐさま特訓を再開しようとしたところを止められ、ユスティーナは苦笑いした。


「ヴァス、私に気を遣わないでください。本当に大した怪我ではないんです」


 猛特訓をするという話だったはずだ。陽も完全に落ちていないのに、切り上げるなどあり得ないという顔をしているユスティーナにヴァスは困惑を隠せない。


「い、いや、そういうことではなく……オレも一日ぶっ通しで弓の訓練をしたことはあるが、もうちょっと休み休みだな……」


 考え考えしゃべっていたヴァスは、この場を収めるに相応しい説得の言葉を見付けた。


「付き合ってやっているオレに気を遣え、という話だ! 飲まず食わずで、もうすぐ夜なのだぞ。腹も減ったし、オレも怪我人で……」


 彼がそう口走った瞬間、ユスティーナは体中にかいた汗が引いていくのを感じた。

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