第16話 高貴なる義務
食べる量を半分にした。間食も半分にした。重い体を動かす気になれず、昼間も基本的には寝ていたユスティーナだったが、その時間をできるだけ運動に充てるように努めた。
『お前、あっという間にやせたな……』
ヴァスがカイラ山の離宮に来てから一月。やせろ、と命令した彼自身が呆れるような速度でユスティーナの体重は落ちた。
落ちたといってもクリームの山がクリームの丘になったという程度の話だ。銀月の君に求められる理想的な体型からは程遠いが、ヴァスと再会した際と比べれば大幅にやせている。
「元々、食べれば食べるだけ肉が付く体質なのです。その代わり、食べなければ落ちるのも早くて……」
長椅子に優雅に寝そべった猫型ヴァスの、真昼の光に鮮やかに輝く毛並みを眺めながらユスティーナはつぶやいた。飼い猫として居座ることを認められた彼は、ユスティーナの私室に置かれた長椅子の中央でふんぞり返り、部屋の主である彼女は端にちょこんと座る。この一月の間に、そこが完全に二人の定位置となっていた。
「でも、嫌なことがあると、つい食べてしまうんですよね」
ヴァスに向かって伸ばしかけていた手をそっと引っ込め、ユスティーナは思い出を覗き込む瞳になる。
体質自体は幼い頃から変わりないのだが、おてんば姫と呼ばれていたあの頃は、そう深く落ち込むこともなかった。暇さえあれば山の中を駆け回って遊んでいたので、運動量が食べる量を大幅に上回っていたせいもあるだろう。
従兄弟に命を狙われ宮殿を追われた、はたから見れば悲劇的な状況も子供すぎてよく分かっていなかったのだ。いずれラージャ宮殿に戻るのだから王女らしくしなさい、と叱られた時のほうが落ち込んだものである。
ローゼはそんなこと言われないのに、とふくれると、一緒に山を駆け回っていた幼馴染みの父であり、有能な御者だったダーントが苦笑いしたものである。ユスティーナ様、我が息子はあなた様とは立場が違います、どうかご容赦をと苦笑いされて、渋々引き下がったのも今となってはなつかしい思い出だ。
『食べる量を減らしたのもだが、運動も……いや、……いや、まだだ』
しんみりしているユスティーナに、ヴァスがはっぱをかけてくる。
『急激にやせた分、あちこちの肉がたるんでしまっている。そんなことでは、オレの……オレの宿敵である銀月の君とは言えん!』
「え、ええ……もちろんです。あなたに相応しい存在に戻ってみせます!」
──立場上ヴァスは、ローゼのことを知っているのかもしれない。口から出かけた質問を喉の奥に押しとどめ、ユスティーナはここで終わりにする気はない、と意気込みを見せた。
突発事項に弱い反面、やると決めたらどこまでも突っ走る性格だ。一度やせると決めたのだから、死んでも元の美しさを取り戻してみせる。取り戻したら殺されるのだが、それこそが価値を失った身に相応しい末路なのだ。
『そ、そういう言い方はやめろ!』
「あ、ご、ごめんなさい……ちょっと待ってくださいね」
精一杯やる気を見せたつもりだったが、ヴァスの理想には届かなかったようである。見た目はまだまだだが、中身だけでも彼の知る銀月の君に近付けなければ。
ヴァスにはこう言うようにと、何度もイシュカが教えてくれた助言を記憶の箱から取り出す。……今にして思えば数々の暴言も含んだ助言を思い出した途端、乱れそうになる呼吸を整え、言い放つ。
「だ……黙りなさいヴァス。月の女神の生まれ変わりであるこのわたくしを愚弄するなど、許しませんよ! いくらあなたが差別に挫けず、のし上がってきた実力者といえども! あなたには到底及ばないかもしれませんが、わたくしもそれなりに努力はしてきたのです。あなたの望みを完全に叶えることは無理でも、殺される資格ぐらいは」
『何度言ったら覚えるのだ貴様は、不用意にオレを褒めるな!! 前はそんな風には言わなかっただろうが!!』
耳鳴りがしそうな勢いの念波を叩き付けられた。だが、この件についての態度も決めてある。冷たい眼をしたイシュカの幻を振り切るように、ユスティーナは首を横に振った。
「いいえ、ヴァス。あなたに対する私の態度は、やはり間違っていたのです。あなたには悪いところもたくさんありますけど、いいところだってたくさんあります!」
『……悪いところがたくさんあるのは、認めるのだな……』
ぼそりと言い返され、慌てて弁解する。
「それは、その……ナインに従ってしまったのは、本当に良くないと思っていますし……お口は悪いですし……なんでも暴力で解決しようとしますし……そのせいで、味方ともよく争っていたようですし……」
なまじ、口と腕が立つからだろう。馬鹿にされてきた分を取り戻そうとしていたヴァスは、敵だけではなく味方ともしょっちゅう衝突していた。戦場に姿が見えないと思ったら、敵将の一人である生真面目なシュマルと言い合いになっていたそうで、互いに「貴様の顔は見たくない」と譲らずシュマルだけが出陣していた、などということもあった。
「ですが、ナイン以外、あなたの有能さを認める者がいなかったのは事実です。それは認めなければなりませんし、王族として謝らなければなりません。私たちが良い暮らしを送っているのは、民に良い暮らしをさせることができるから、なのですから」
ナインの配下となる以前のヴァスは、獣返りの多くがそうであるように、山賊のような暮らしをしていたと聞く。出自だけではなく、その生き方も確かに褒められたものではない。しかしヴァスのような存在に、この世界でそれ以外の人生が選べただろうか?
『高貴なる義務というやつか? 獣返りを民に数えてくださるとは、お優しいことだ』
正直なユスティーナの評価にちょっとしゅんとしていた分を補うように、ヴァスは冷めた念波を送り付けてきた。
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