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 伴瀬さんはますます青褪めた顔で、琉夏さんは普段とさして変わらない緊張感を欠いた面持ちで、私を見据える。にわかに緊張しはじめたが、いったん発言してしまった以上、推理を続けるほかないと腹を括った。

「おかしいと思ったのは、チャンクの最新号とその前が無かったこと。柚ちゃんは買い忘れたって言ってたけど、それはたぶん嘘。彼女、日程をきちんとカレンダーに書き込むくらい几帳面だし、それに本屋はすぐ隣でしょ? 忘れっこない」

「たまたまその号に読みたい漫画が載ってなかったって可能性は?」と琉夏さんが指摘する。「休載してたとかさ。あり得るでしょ」

「確かに。でも柚ちゃん、歯抜けにするのは嫌いなタイプだと思うんです。『シートン動物記』だって全巻揃えて、一巻から読んでたわけでしょう。あれこそ興味のある話から読んでもいいはずなのに」

「ひとまずそうだとしよう。柚ちゃんが二週ぶんのチャンクを買わなかった理由は?」

「ここで外出の話が関わってくるんです。柚ちゃんが夕方に外出をするようになったのは、今からちょうど二週間前から。つまりそのせいでお小遣いを使っちゃって、チャンクを買えなくなったと推測できる」

 伴瀬さんが不安げに、「なにに使ったの?」

「毎日決められた時間に外出していたのは、柚ちゃんじゃなくて別の誰かの都合だった。相手に指定された時刻に出向いて――柚ちゃんはお金を渡していた。騙し取られていたのかもしれないし、もしかしたら脅されたのかも」

「待って。だったらどうしてそう言わなかったの? 柚、心配かけるようなことはしてないって」

「自力で解決できたから、だと思う。つまり柚ちゃんは、お金を渡すのがよくないことだとどこかで気付いた。そして、相手から取り返したの。服が汚れていたのはそういう理由」

「喧嘩はしてないって言った!」伴瀬さんが唇を震わせる。「あの子、私に嘘吐いたってことなの?」

「厳密には喧嘩じゃないって、柚ちゃんは認識してたんじゃないかな。自分で言ってたでしょう、人間は正しさを貫けば認めてもらえるって。柚ちゃんは正しさを主張して、問題を解決した。お金は戻ってきても、過去のチャンクはもう売ってないから手に入らない。服をすぐに渡さなかったのは、ポケットに取り戻したお金が入ったままだったから」

 私が話し終えるなり、琉夏さんが掌を軽く打ち鳴らした。「ありがとう。さすがは私の助手。いや相棒」

 そんな得体の知れないものになった覚えはないのだが。絶対に損しかしない役回りだと確信できる。

「志島さん、だとしたら私――」

 伴瀬さんがおろおろと視線をさまよわせたのち、意を決したようにこちらを見つめた。よほどのこと衝撃を受けているようだ。内容が内容だから、当然ではあるのだが。

「――学校に報告して、ちゃんと対処してもらわないと」

 そうだね、と応じかけた私を、傍らから琉夏さんが遮った。相変わらずの軽い調子で、

「いや、必要ないよ」

「なぜですか? 小学生のやったこととはいえ、当事者どうしで解決できるレベルを超えてると思います。悪ふざけじゃ済まないですよ」

 普段より少しだけ気色ばんだ伴瀬さんに、琉夏さんは掌を振ってみせ、

「だから、実際にそれが起きていればね。起きてないんだから必要ない。柚ちゃんは誰かにお金を脅し取られたりなんかしてない」

「本当に? じゃあ志島さんの推理は間違いだって証明できるんですか?」

 うん、まあね、と応じてから、琉夏さんは座ったまま私の背後に移動してきて肩を掴んだ。なにやら揉み解すように手を動かしながら、

「伴瀬さんは柚ちゃんを信用してるのと同時に、深く心配してもいる。そもそも言われるままにお金を渡すのが悪いって最初から気付けないような子じゃない、で終わってもいいんだけど、せっかくだからもうちょい考えてみようか。まず伴瀬さんに質問。まさにこれから、自分からお金を奪ってる奴と話を付けに行くとする。ある程度の覚悟はするよね。事前にどんな準備をする?」

「――信頼できる大人に同席してもらうよう計らいます」

「堅実な回答だ。でも皐月説に従うなら、柚ちゃんは自力での解決を望んで、ひとりでその場に出向いた。じゃあ皐月。一対一でやるとしたらどうする?」

「護身用の武器を携帯しますかね」

「物騒だなあ。でも要は、殴る蹴るの事態になる可能性を多少なり考えるわけだよね。いざとなったらすかさず逃走もできないと困る。この点、伴瀬さんも納得は行くでしょ」

「想像はしにくいですが、仮にそういう事態になったとすればそうでしょうね」

 琉夏さんは満足そうに、「じゃあここで、当日の柚ちゃんの服装を振り返ってみようか。汚したってのはどんな服だった?」

 私より早く、伴瀬さんが反応を見せた。「――ロング丈のダッフルコート」

 なるほどと思う。「どう考えても体を動かすのに向いてないですね」

「その通り。さらに言えば、帰宅時間が普段と同じだったってのも不自然じゃない? いつもとは違うやり取りをしてるんだから。凄絶なバトルを経たなら遅くなるはずだし、仮に早く済んだんだとしても、取り戻したお金を持ったまま、泥んこのコートを着たまま、外で時間を潰す理由はない」

 伴瀬さんはまず浅く、それから深く頷いた。自身の内面を整理しているのだろう、ゆっくりとした口調で、

「身内贔屓というか姉馬鹿に聞こえるでしょうけど、柚はしっかりした子だって、やっていいことと悪いことの区別くらい付くって、信じてはいます。でもあんなに汚れて帰ってきたのも、私に強く抵抗したのも初めてだったから、つい動転してしまって、なにかよくない目に遭ったんだって思い込もうとしてしまったのかもしれません。志島さんの話が論理的だったから余計に」

「不安にさせてごめん」と私は謝罪した。「軽率だった」

「ううん。まだ意見を出し合うだけの段階なのに、ひとりで昂奮した私が悪かった」

「ねえ伴瀬さん」不思議なほど穏やかに、琉夏さんが呼びかける。「あなたが私たちに依頼をしたのはさ、真相を言い当ててほしかったっていうより、妹さんともう一回話し合うきっかけが欲しかったからだよね。仮にどれだけロジカルな物語を提示したとしても、あなたたち自身が納得しなかったら本当の解決にはならない。だからやっぱり、柚ちゃんの口から話してもらったほうがいいと思うんだよね。私たちはここで待ってるから、姉妹だけの時間をもう一度取ったら?」

「――分かりました。そうですよね。そうします」

 伴瀬さんが立ち上がり、美しい歩みでドアへと向かっていった。

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