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 伴瀬さんの家は、これまた小規模な書店のすぐ近くにあった。お菓子の詰まったポリ袋を提げたまま、玄関へと向かう。すべて琉夏さんの買い込んだものだ。

 大きな下駄箱の上に透明な容器があり、その中で小さなハムスターが一匹、回し車に興じていた。硝子が分厚いのか、音はほとんど響いてこない。琉夏さんがちらりとその様子を観察したあと、伴瀬さんに向かい、

「この子は?」

「風太郎といいます。柚が夏祭りで見つけてきて飼いはじめたんです。もう一歳半なので、けっこうお爺ちゃんですね」

「ジャンガリアン?」

「いえ、キャンベルハムスターです。どうぞ、上がってください」

 促された琉夏さんが、柚ちゃんのものらしい汚れたスニーカーの隣に、自分のローファーを丁寧に揃える。さすがに他人の家だと、だらしなさにも抑制がかかると思しい。

 柚ちゃんの部屋は二階だという。階段を上る前に、簡単に打ち合わせをした。話をするのは基本的に琉夏さん。私はさりげなく周囲を観察しておく役目を割り振られた。

「おふたりはそれでいいとして、私はどうすれば?」

「伴瀬さんはなるべく普段通りで。変に構えすぎると逆に不自然になるから、もう突撃しよう」

 伴瀬さんが私たちに目配せをしたのち、ドアをノックする。はい、とすぐに返事があった。

「私。友達と先輩が遊びに来たから、柚もちょっと挨拶してくれる?」

 内側から小柄な少女が顔を覗かせた。なるほど姉妹である。伴瀬さんによく似ている。

 柚ちゃんは少し驚いたような様子で、「こんにちは」

「先輩の倉嶌琉夏さんと、同じクラスの志島皐月さん。ふたりは文芸部なの」

「文芸って――本を書いたりする?」

 琉夏さんが得意げに顔を上下させ、「初めまして。私がいま取り組んでるのは、絵本作家の岡麻又郎の研究。部誌に載せるための論文を書いててね。柚さんも絵本好きだった?」

「『エルマーのぼうけん』とか」

「竜が出てくるやつね。名前はボリスで、蜜柑の皮が好物。少しだけ中でお話できないかな? 今の小学生にとっての絵本の事情を知りたくて」

 よくもまあ、すらすらと――と私は半分感心し、半分呆れた。彼女が岡麻又郎なる作家を扱っているのは事実なのだが、これは単に作品が一冊しか出ておらず、読解の負担が極小だからにすぎない。論文というのもその一冊について水増しに水増しを重ねただけの代物。絵本への情熱を持ち合わせているわけでも当然なく、『エルマーのぼうけん』に関する知識に至っては、以前私が語った内容の受け売りである。

 ともあれ柚ちゃんは警戒を解いてくれたらしく、「どうぞ。あんまり役に立つ話はできないかもしれないですけど」

 部屋に招き入れられた。私と琉夏さんはテーブルの前に、伴瀬姉妹はベッドの上に、それぞれ腰掛ける。

 整然としている。学習机の棚には教科書やノート類がきちんと並べられ、カレンダーには予定のメモがカラーペンで書き込まれている。厳格な優等生の机、といった雰囲気だ。

 いっぽうで反対側の壁に目をやると、微笑ましい光景が飛び込んでくる。カラーボックスの上に大量の縫いぐるみが飾られているのだ。目立つのは動物だが、漫画やアニメのキャラクターのものもそれなりにあった。

 そして部屋の隅のラックに、もっとも重要と思われるアイテムを発見できた。柚ちゃんが汚したというダッフルコートである。色は濃いネイビーで、丈が長い。膝下くらいまであるだろう。すでにクリーニングは終わっているらしく、綺麗な状態だった。

 琉夏さんが柚ちゃんを見やり、軽い調子で、

「私たちが小学生の頃に朝の読書ってあったんだけど、柚さんたちもある?」

「あります。十分読書」

「ああいうの、あんまり集中してない子もいるよね。私は十分のうち七分くらいは真面目に読んでたけど」

 嘘に決まっている。頁を開くだけ開いて、時間いっぱい瞑想に耽っていたのが容易に想像できる。

「私はちゃんと読みます。いま読んでるのは『シートン動物記』で、銀狐のドミノの話です」

 本棚に視線をやる。『シートン動物記』は――ある。全八巻のうち、六巻だけが抜き取られている。学校用の鞄に入っているのだろう。

「一巻から読んでんの?」

「はい。一巻は狼王ロボの話です」

「ああ、それは知ってるよ。どこが面白い?」

 柚ちゃんはしばらく考えてから、「人間と仲良くできる生き物もいるけど、そうじゃない生き物、自然の中で厳しい暮らしを選ぶ生き物もいて、私たちが勝手に幸せを押し付けるのは間違ってるのかなって気付かされたところ」

「そうかそうか。難しいねえ。自然の世界ってさ、食べるとか食べられるとかはもちろん、仲間どうしでも喧嘩したりするじゃない? 負けたら群れを追い出されるとか。大変だよね」

「そう思います。私も狼の群れに入ったりは、ちょっとしたくないです。人間だったらたとえ弱くても、正しさを貫けば認めてもらえるから」

「なるほどねえ。ところでおやつあるんだけどさ、みんなで食べない? 開けていい?」

「あ――はい」

 私たち三人がそれぞれにお菓子を摘まんだのを確認したあと、柚ちゃんがそっとテーブルに近づいてきた。小袋を丁寧に開け、静かに口に運ぶ。上品である。さすがは伴瀬さんの妹さん、といった感じだ。

「柚さんさ、漫画も読むの?」

「ええと、はい」

 琉夏さんは頭部を動かし、「雑誌で買ってるのは――チャンクか。最新号とその前のが無いね。学校に持ってった? それともお姉ちゃんの部屋かどこか?」

 柚ちゃんは途端に俯き、小さく呟くように、「買うの忘れちゃって」

「ああ、よくあるよね。私もたまに忘れる。逆に同じの買っちゃうときもある」

 用意したお菓子がだいたい片付くと、琉夏さんは私と伴瀬さんに目で合図を寄越して、

「あんまりこの部屋に居座っちゃうと悪いね。私たち、そろそろ論文書かなきゃ。お話、とっても参考になったよ。ありがとね」

「じゃあ柚。私たち、戻るね」伴瀬さんが立ち上がり、「高校生チームで勉強だから、あんまり邪魔しないでね。用があったら声かけて」

 三人で向かい側にある伴瀬さんの部屋に場所を移した。同様に整然とした、彼女の内面をそのまま投影したような空間だった。こちらには縫いぐるみの類がなく、代わりに本やCDが多く並んでいる。

「高校生チームで意見交換会と行こうか。まずは志島選手」

 そう名指しされた私は息を吸い上げて、「部長。せっかくふざけてるところ申し訳ないんですけど、今回の件、思った以上に大ごとじゃないかと」

「どうして」と伴瀬さんが顔色を変える。「なにが分かったの、志島さん」

「これは私の推測だけど、柚ちゃん、誰かを庇ってるんじゃないかな。そう――自分が被害者なのに、加害者を」

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