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「皐月はさ、ジャンガリアンハムスターとキャンベルハムスターならどっちが好き?」

「だから知ってる前提で訊かないでくださいよ。金色だったらゴールデン、くらいのハムスター知識しかないです」

「ジャンガリアンやキャンベルにも黄色っぽい毛色の個体はいるけどね。むしろ大きさが違うかな。ジャンガリアンやキャンベル、ロボロフスキーは纏めてドワーフハムスターって呼ばれる。つまり小さいってこと。先にペット化したゴールデンに比べると、確かにだいぶ小さい」

 なんだか部室にいるときとあまり変わらないやり取りである。伴瀬さんがいなくなるなり、琉夏さんは本来の姿に戻ってしまった。すなわちしゃんとしていない。輪郭の不明瞭な肉塊、といった風情で、だらりと手足を伸ばしている。

「なんというか、部長は厳しい自然の中で生きていくのって嫌いそうですよね」

「絶対に厭だね。毛繕いしながら餌を待つ以外のことはしたくない。寝床があってご飯が出てくるのが最高に幸せだと私は思うね。余計なことに力を使わずに済むほうがいい」

 野生の逞しさとこれほど無縁そうな人も珍しい。「部長の基本姿勢って横ですもんね」

「直立二足歩行なんかやってるの人間だけだよ。愚かしいにもほどがある。効率が悪すぎるんだよね。歩いたり、まして走ったりすると疲れるじゃん。余程の事情がない限り、私は避けたいと思ってるアクションだね」

 伴瀬さんがこちらの部屋に戻ってきた。話し合いが済んだのだろう、表情は穏やかだ。「すみません、待たせてしまって」

「いいよ。それでどうだった?」

 私の問い掛けに彼女は頷いて、

「やっぱり脅しはなかった。ほっとしたよ。それで結論なんだけど――あの子、友達と買い食いをしたのをばれたくなかったんだって」

「買い食い? どういうこと?」

「友達とつるんで外でなにか食べるのが、ちょっとどきどきして楽しかったんだって。わざわざ時間を決めて待ち合わせして、毎日いろんな店に行ってたらしいの。襤褸が出ないように気を付けてたんだけど、一昨日はつい失敗して、コートに食べこぼしを付けちゃった。それで柚は真っ青になって、咄嗟に上から泥で汚して隠そうとしたの。私にコートを寄越したがらなかったのは、その工作が不完全で見破られるんじゃないかって心配したから。買い食いならこっぴどくは叱らないのに――私、これまで柚に厳しすぎたのかな」

 なんだか力が抜けた。あまりにも可愛らしい理由である。買い食いくらい、私でさえ何度となくやっている。

「でも確かに、小学生くらいのときはちょっとわくわくしたかも。少し大人になった感じ、というか」

「柚が言い出したわけじゃなくて、友達に誘われたんだと思うけどね。それでお小遣いを使っちゃってチャンクに回せなくなったっていうのは、志島さんの言った通り」

 聞けば聞くほど子供らしく、実に健全という気がしてきた。そのくらいの遊び方は誰でもするだろう。伴瀬さんだって当然、禁じるつもりはないはずだ。

「よかったね、心配したようなことじゃなくて」

「本当。安心したよ。志島さん、倉嶌先輩も、お騒がせしてすみませんでした」

 座っているんだか寝そべっているんだかよく分からない体勢の琉夏さんが、ふうん、と声をあげる。「なるほどねえ。姉妹揃って真面目なんだ。ところで伴瀬さん、ちゃらんぽらん代表の私から、少し柚ちゃんに話したいことがあるの。ここに呼んでもらえない?」

 そういう自覚はあるらしい。「確かに、部長から言ってあげたら安心するかもしれないですね」

「私は教育的な人間じゃないけど、だからこそ言えることってあるんだよ。いちおうこの場では最年長だしね、お爺ちゃんハムスターの風太郎を除くと」

「分かりました。では倉嶌先輩にお任せします。よろしくお願いしますね」

 伴瀬さんが隣室から柚ちゃんを連れてきた。表情はやや硬い。もっとも今日顔を合わせたばかりの、自分の姉より年上の人物からわざわざ呼び出されたとあれば、緊張するのも当然かもしれない。

 先ほどと同様、伴瀬姉妹がベッドに、文芸部組がクッションを敷いた床に、それぞれ陣取った。琉夏さんが殊更に笑みを浮かべながら、

「お姉ちゃんと話したんだね。まず言っておくと、この三人の誰も、柚ちゃんがやったことを責めたりする気はない。お姉ちゃんはどうか分からないけど、私はもっと救いがたい悪事を無限に働いてきたからね。皐月もまあ、多少はやってると思う。それに比べれば、ぜんぜんどうってことない」

 柚ちゃんは俯きがちに、「はい」

「私の行動原理は基本的に暇潰しっていうか、社会に役立つとされることはしたくないんだよね。自分だけが愉快に暮らしたい。柚ちゃんとはたぶん、正反対だね。いつもふざけてるって皐月には叱られるし。でもねえ、いちおう私には私なりの理屈っていうか、筋っていうか、とにかくそういうものがあるのも本当。それをね、柚ちゃんに聞いてもらいたいんだ」

「はい、分かります。お姉ちゃんが言ってました、倉嶌さんは探偵なんだって」

「そんな大層なもんじゃないよ。トリックがどうとか犯人は誰とか言ったことないし、他人を糾弾できるほど立派な人間でもない。ただ私はちょっとだけ好きなんだよね、平々凡々な日常から物語を見つけ出すのが。だから文芸部なんて部活をやってるのかも」

「物語――ですか」

「そうそう。でも自分にとって都合のいい、自分の頭の中にしかない物語に合わせて現実を歪めて見てしまう危険性ってのも、常にある。だから観察は怠らないようにする。物語をかたるときは、自分の言葉に責任を持つようにする。なかなか難しいけどね」

「想像はできます。想像だけですけど」

「それで充分。じゃあそろそろ、私の本当に話したい内容に入ろうかな。柚ちゃん、さっきお姉ちゃんに言ったことには嘘が混じってるね?」

 眼鏡の向こう側で、伴瀬さんの目が見開かれた。「柚」

 私にも信じられなかったが、この指摘はどうやら的を射ていたらしい。柚ちゃんの表情は見る見るうちに変化していった。今しも泣き出しそうになっている。

 一度の嘘ならば許されるだろう。しかし二度目は――。

 姉妹で腹を割っての、誠実な話し合いができたはずではなかったのか。深く心配されていたことが分からない子ではないだろうに。

 柚ちゃんが唇を噛みしめ、それから首を垂れる。「――私は」

「だから糾弾する気はないって」目の前で縮こまっている少女に向け、琉夏さんが飄然と告げる。「ねえ柚ちゃん。あなたはとっても強くて優しい。だけどひとりで背負わなくていいんだよ、私たちが来たからにはね。柚ちゃんは守ろうとしたんだよね。大事な友達と、そしてお姉ちゃんを」

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