第19話 立花綾瀬は敵である3

 再びマスクを付け、両手を広げる。


「これで問題なしと」

「ごめんね、元気そうで良かった」


 マスク越しだが立花はほっとしたらしい。


「いいや。もう一つはなんだ、悪いことがどうとかだな」


 急ぐが、立花は間を置いて口を開いた。


「うん……私何かしたんだよね」

「いいや何も」

「え?」

「何もしてない」

「でも、避けられてるし」

「避けてない。コロナだ」

「そうかな……」

「立花は何も悪くない」

「ほんと?」

「ああ、なんか気を遣わせて悪かったな」


 彼女の表情が少しだけ和らいだ。


「そっか、私って変に気になるんだよね。避けられてるとか、どう思われてるんだろうとか……」

「何も、何もない」

「うん、良かった」


 そう、何もない。

 外交儀礼に感情は不要。

 感情的になれば話がもつれる。

 そもそも覚えてないとは、恐ろしい話だ。


 ――次無理難題を押し付けたら国交断絶。そう伝えたのに。


 自覚なき悪意、今その恐ろしさを滔々とうとうと語る余裕はない。

 何せ、それよりも恐ろしい呪いが存在している。

 もし彼女に反省を促すなら俺にも反省点がある。

 数に屈するな、圧力に負けるな、自分を曲げるな。

 それを議論するタイミングではない。

 まだ敵だ。

 教えてやる義理もなし。


 ただ一つ、思うところはある。

 それだけは伝えていいかもしれない。

 趣味嗜好を自覚なく押し付ける、その点を除けば彼女は無味無害。

 立ち上がり口を開く。


「んじゃ、俺は行くよ。なんかすまんな、一人にして」

「ううん、私も今日は帰るよ。ちょっとだけすっきりした」

「完全にすっきりさせてやれんで、申し訳ない」

「大丈夫、なんか顔見て安心して……」


 安心して、また薄いくせに分厚い何かを押し付けられそう――

 なんてことになったら戦争だ。コロナ禍の事件が再来する。それを止める手立てが必要。いずれにせよ今ではない。

 二人して部室を後にする。どうやら今日は誰も来そうにない。

 鍵を閉じる立花に告げる。


「そう、久しぶりに会って思った」

「何?」


 鍵を手に彼女は振り返った。


「福原にだけ人が集まるのはおかしい」

「風香美人だもん。人気あるよね」

「羨ましいと思ったりしないのか?」

「あり得ないよ。意地悪、言ってる?」

「いやすまん。でも確かに、急に増えた気がする」

「そうだよね。マスクしててみんな知らなかったとかかな……」


 歩きながら話すのもいつ以来だろう。

 確かに俺は、少し人付き合いが悪いのかもしれない。


「だったらちょっと変だ。新学期、そうそこら辺りか」

「うん。新入生が写真とか観たのかな」

「どうかな。同級生もいた、三年も。性別も関係ない」

「なんだろう、変だね」


 校舎の下駄箱まで二人、久しぶりの感覚だ。

 昇降口は殺風景で人がいなかった。


「ちなみに男子だと誰が人気あるんだ」


 履き替えながら尋ねると、


「うーん、内間君とか、かな」

「ああ、内間。あれは今時の正統派なんだろうな」

「時代で違うのとか、小説読んでると感じるよね」


 そう言った立花は楽しそうだった。やはり根っから、文芸好きなのだろう。

 範囲さえ狭めてくれれば……と、願うのもおかしい。趣味嗜好は様々だ。俺とてある。


「内間。後は運動部辺りにいたような」

「そうだね。柿谷君も入るかも」

「ないな」


 即答し、ついでにと付け加える。


「それなら立花のがよっぽどだ。ファンクラブの一つもあっておかしくない」

「……やっぱり私、何か悪いことしてるよね?」


 立花はこちらを、じっとりとした目で見ている。眼鏡が光を放ちそうだ。今日二度目、両手を広げ首を振った。


「本音だ。正統派が勝つとは限らない。小説好きなら分かるだろう?」

「私じゃないよ……なんでそういうこと言うかな」


 薄いのに分厚いあれのせいだ。


「じゃ、明日また」


 そう言って先に行くと、


「あ、うん明日。またね」


 彼女の声は少し明るい色を帯びていた。

 やはり人は対話してこそだ。

 顔を突き合わせ肩を並べ歩くならなおいい。

 全てが元に戻る日はいつだろう。

 俺の足取りも軽く軽快に進む。


 さあ、シャッター通りが待っている。

 一つ、話を聞かせていただこうじゃないか占い師よ。

 カナタを頭に浮かべ、ああ、彼女がうちに入学したらやはり騒ぐ者がいそうだ。

 そんなこと思いながら一つまた一つ歩を進める。

 物憂げなシャッター通り、出会いの場を目指して。

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