幕間 ヴァイス、決心する
早いもので五月ももう終わりを迎えようとしていた。
今日の日付は五月二十九日。
魔法中学校と騎士中学校の交流イベントが開催される日である。交流会は、両校の生徒会が共同で企画し、毎年催されている。今年は魔法中学校で開催され、騎士中学校からは九十二名の参加者が集った。午後の十三時になり、まず大式典場で、魔法中学校の生徒会会長による挨拶が行われた。そして学校の各施設が紹介されてゆき、そこがどんな施設で何が行われているかなどが説明された。特に変わった施設などない中で、人気なのはやはり魔力具現化装置による対戦体験だ。魔法中学校の生徒によるデモンストレーションが終わると、騎士中学校の生徒達も体験しようと装置に我先にと殺到した。
この装置は、過去に
「おい、ヴァイスッ! テメー何調子こいてんだ? 誰が遊んでいいって言ったよ?」
「す、すみません……オルテガさん……勘弁してください」
「いいからさっさと、飲み物でも取ってこいよ。俺ぁ喉がカラカラで死にそうなんだよ」
ヴァイスは小さな声で「分かりました」と呟くと、その場から走り去っていく。闘技場から通路をしばらく行ったところに飲み物が用意されていた。交流会であるから、もちろん
「くそッ! くそッ! なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだよッ!」
ヴァイスは胸が張り裂けそうであった。あんな低俗な連中に従わなければならない自分に腹が立って仕方なかった。
そんなヴァイスに声を掛ける者がいた。
「ヴァイス! お前も来てたのか!」
後ろを振り返ると、黒髪の少年が駆け寄って来た。レヴィンである。
「そうだ。アシリアも来てんだよ! 呼んでくるから待ってろ!」
そう言うと走り去って行くレヴィンから、ヴァイスは飲み物を置いて逃げ去った。気づくと彼は、広いグラウンドのような場所に来ていた。一体どれくらい走ったのか見当もつかない。そこでは魔法中学校の生徒たちによる魔法の実演が行われていた。見るからに華々しい魔法が次々と放たれ、見る者全ての心を魅了しているようだ。
「どうして俺は騎士なんかになろうとしたんだッ! 俺の職業も魔導士だったならッ!」
魔導士だったならなんだと言うのか。
ヴァイスはそう考えると自嘲気味に笑った。今の自分はとても誰かに顔向けできるものではない。居場所がないヴァイスは色んな場所を彷徨った。そして大式典場に戻ってきた。
「まだ夜のための準備中ですよ?」
入ってきたヴァイスを見て準備に余念のない魔法中学校の
「ふッ! 騎士中学校の生徒さんね? やることがないなら設営を手伝ってみないかしら? これぞ交流よねッ!」
中々動かないヴァイスの意志などお構いなしに無理やり手伝わせる副会長。
ヴァイスはこき使われながらも何故だか救われる思いがした。
そして夜の部が始まった。
大式典場は椅子が片づけられ大きなパーティ会場に早変わりしていた。生徒会役員共からお礼を言われ、ヴァイスの心は少し安らいでいた。飲み物をもらい、食べ物を皿に盛る。ヴァイスは部屋の壁際に置かれている椅子に座ると、ひたすら飲み食いにいそしんだ。そこへ誰かを探しているのか、キョロキョロしながら歩いて来るレヴィンの様子が目に映る。彼はヴァイスを見つけると、大きく手を振って早足で近づいて来る。女子三人と一緒だ。
「ヴァイス、どこに行ってたんだよ。探したんだぞ?」
ヴァイスはレヴィンの言葉に思わず目を伏せて俯いた。中学校へ進学してからと言うもの、ヴァイスはいつも自信なさげに俯いていることが多くなった。
「ヴァイス、久しぶり! 元気にしてた?」
この声はアシリアだ。相変わらず優しく柔らかいその声にヴァイスの目から涙がこぼれそうになる。とてもじゃないが合わせる顔がない。
「ああ……元気さ。アシリアも相変わらずだな」
それからヴァイスはレヴィンに仲間たちを紹介された。彼らは嬉しそうに夏休みには黒魔の森へ遠征したいとはしゃいでいる。
そこへレヴィンの後方から声が掛けられる。その聞き慣れた声にヴァイスの肩がビクリと震えた。騎士中学校の悪魔の囁きである。ヴァイスは理解した。逃げ場などどこにもないのだと。
「ヴァーイス……どこ行ったのかと思ってたらこんなところにいやがったのか」
騎士中学校の悪魔、オルテガ・フォン・バーロウ、侯爵家の長男だ。傍には取り巻き三人と小学生時代の同級生でもあるマルコの姿があった。
「おい、飲み物も持ってこないでどこへ逃げていたんだ?」
マルコがニヤニヤしながら問い掛ける。小学生の頃のマルコはヴァイスの子分のような存在であった。彼はヴァイスからオルテガにへーこらする相手を変えたのである。
「お? マッカーシーのお姫様も一緒じゃねーか。なんだ? 取り入ろうとでもしてんのか?」
「相変わらず下品な男だな、君は」
ローラヴィズが大きな溜め息をつく。
「マルコー、寝返るとかちょっとそれはダサいんじゃねーか?」
レヴィンがマルコを挑発する。マルコが額に青筋を立てている。どうやら怒っているようだがレヴィンを睨みつけるばかりで何もする様子はない。
「まッ、コイツは俺の舎弟なんだ。騎士中学にコイツの味方は俺しかいねーのよ」
オルテガはヴァイスの隣まで来ると、肩に手をまわしてポンポンと叩き始める。その時、レヴィンが静かにヴァイスに語り掛けた。声には若干、失望の色が混じっている。ヴァイスは未だレヴィンの目を直視できないでいた。
「ヴァイス、お前は将来、騎士団長になる男なんじゃなかったのか?」
ヴァイスの肩がビクリと震えた。昔の戯言をレヴィンはきちんと覚えていたのだ。
「以前のお前なら、そんなヤツぶっ飛ばして、俺がヴァイスだ文句あるか!って胸張って言ってたんじゃねーのか?」
レヴィンの言葉がヴァイスの心に刺さる。更に追撃するレヴィン。
「そんなヤツは放っておいて俺たちとパーティ組もうぜ!」
俯きがちなヴァイスの目に、レヴィンが差し出した手が映る。それを見てヴァイスは反射的にオルテガの手をふり払う。
「あ? テメー誰に何をしたか分かってんのか?」
オルテガはヴァイスの胸ぐらをつかんで持ち上げる。オルテガの職業は騎士である。レベルも高いため、腕っぷしに自信があるのだ。そこへレヴィンがその手首を掴み力強く握った。オルテガの顔色が変わる。どんどん力が込められていき右手の色が紫色へ変わる。
「テ、テメッ……。魔導士のくせに……」
とても魔導士とは思えないほどの力で手首を握りつぶされそうになり焦るオルテガ。彼はヴァイスから手を放すとレヴィンの手を何とか振り払う。
「今日からは俺たちが味方だ」
レヴィンは振り払われた手をそのままヴァイスに向け、手を差し伸べる。ヴァイスはじっとその手を見つめている。わずかな逡巡。しかし、仲間の言葉を心に宿したヴァイスはもう吹っ切れた顔をしていた。そして、その手を力強く握ったのであった。後日、レヴィンの友人であるローラヴィズが騎士中学校の知り合いの貴族子弟とヴァイスを引き合わせた。その貴族はバーロウ侯爵家とは違う派閥に所属しており、ローラヴィズのマッカーシー侯爵家とも近しい関係にあると言う。そのため、その子息と仲良くすることで、オルテガを牽制することとなる。恐らくレヴィンはそうすることでヴァイスの立場が盤石なものになると踏んだのだろう。ローラヴィズからそう説明を受けたヴァイスは救われる思いがした。
「それにしてもマルコの掌返しには苦笑いするしかなかったよ……」
右手で頭を掻きながら自嘲気味にヴァイスが言った。
「あいつはどこまでいっても金魚のフンかも知れねーな。職業も駆け出し戦士だし、
そりゃ、うまく取り入らないといけないんだろうが」
レヴィンが嫌悪感を露わにしている。
「それにしてもヴァイスは探求者は止めちゃったの?」
アシリアは気になっていたのか、心配そうな声で尋ねてくる。
「ああ、中学に入ってすぐ、オルテガに目をつけられてな。ハブられてたんだ」
「探求者ギルドで仲間を募集すれば良かったのに」
アシリアは当然の疑問を口にした。今になって考えてみれば至極もっともな話である。どうして今まで思いつかなかったのか分からない。
「そうだな……。行動力のない自分が情けないよ」
再び、しおらしいことを言うヴァイス。
「それにしてもまたパーティに誘ってくれてありがとう。本当に俺なんかでいいのか?」
「前に問題ないって言っただろ?」
「……分かったよ。もっと強くなって見返せるように頑張るぜ!」
「その意気だ。騎士団長!」
発破をかけられたヴァイスは胸を叩いて敬礼のような動作をする。
「ところで今の装備はどうなってる?」
レヴィンが話題を変える。
「鉄の剣と革の鎧くらいだな。装備にかける金がない」
「それじゃあ、装備品の購入からだな。お金なら多少持ち合わせがある」
「そこまでしてもらうのは申し訳がたたないよ……」
「せん、「先行投資さ」」
レヴィンが何か言う前にアシリアが彼の真似をして言葉を遮った。あははと笑うアシリア。それにつられてヴァイスも笑ってしまう。こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。
ヴァイスは今まで笑えなかった分を今から取り返そうと心に決めたのであった。
そこにはもう卑屈な少年の姿はなかった。
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