第7話 カミング・ワースト

 廃棄された下水道跡を、ヴィネガーたちは進む。

 広さは十分にある。戦闘になっても、翼を広げて飛び回るだけのスペースがある。

 水はとうの昔に枯れているらしくにおいもない。

 旧時代の、今となっては珍しくなったコンクリート造り。

 光は一切入らないが、ヴィネガー自身の神秘性による燐光で、視界の確保はかろうじてできた。


 ヴィネガーの神秘性は、揺らがない。

 取り繕って隠していたあどけない心を、トネリコに暴かれても。

 運命の進化によって、寿命を急速にすり減らしていても。


「私はね、救われたと思っているのよ。トネリコ、メリー」


 先導するヴィネガーは、振り返らずに後ろの二人に声をかけた。


「無為に十万年を過ごすより、今この一瞬を全力で駆け抜ける方が、この命に意味があったと思える。

 それこそ燃え尽きるような恋をして、ね」


 トネリコもメリーも、返事はしない。

 トネリコはうつむいて思い詰めて、メリーはただ、人形の無表情のまま。


 ヴィネガーは立ち止まって、振り返った。


「少し、眠りましょうか。

 だいぶ歩いて距離を稼いだし、ずっと動いてるから休息した方がいいわ。

 それに私たちには、そういう時間が必要だと思うの」


 三名で、寄り集まって、横になった。

 広げたヴィネガーの羽で全員を包み込んで、トネリコは差し出されるがままヴィネガーの腕に頭を預けて枕にして、メリーはヴィネガーの胸に後頭部を置いて寄りかかった。

 ウサギのぬいぐるみを、ヴィネガーは三人の顔を見守らせるように、自分の頭の横に置いた。


「私はね、トネリコ。魂が導くこの時代に追いつけるまで、八百年間眠っていたの」


 腕に乗る少女トネリコの頭を、その腕でかかえ込むように抱き寄せて、少女ヴィネガーはささやいた。


「秘密の部屋で……棺桶を用意して……

 それで一人で眠るのは寂しかったから……そう、寂しかったから、たくさんたくさん、ぬいぐるみを集めて、一緒に眠った。

 両腕いっぱいにかかえて出歩くわけにもいかなかったから、今はこのウサギの子だけしか連れてきてないけれどね」


 ヴィネガーの細い指が、さらりとトネリコの銅色の髪をなでる。

 トネリコはされるがまま、ヴィネガーの話に耳を傾ける。

 メリーはじっと、動かない。


「今は私、寂しくないわ。

 トネリコがいて、メリーがいる。それだけですごく、心が満たされる。

 ありがとう。二人とも」


「……わたしは」


 黙っていたトネリコが、ヴィネガーのドレスをぎゅっと握って、顔を胸にうずめた。


「出会えてよかったと思います。ヴィネガーさんと出会えて、メリーさんも一緒にいてくれて、楽しいです。

 ネガティブなこといろいろ考えちゃいますけど、出会わなければよかったなんて考えるのは、絶対違うって思うんです。

 ありがとうございますヴィネガーさん。出会ってくれて。

 ありがとうございますメリーさん。ヴィネガーさんとわたしを助けてくれて」


 メリーは答えない。

 ぐじぐじとヴィネガーの胸に顔を押しつけるトネリコを、ヴィネガーは優しくなでた。


「泣きたかったら、我慢しなくてもいいのよ」


「泣きませんよ……泣いたらヴィネガーさん、勝手に舐めて勝手に死んじゃいそうですもん」


「私をなんだと……うーん、否定できないわ」


 トネリコは湿った声で吹き出して、ヴィネガーも笑った。

 メリーは何も、言わない。




 光の入らない環境で、時間がどれだけ経ったのか分かりづらい。

 メリーがふと、カード型通信端末で時刻を見て、つぶやいた。


「ちょっと、嫌な考えが浮かんだの」


 ヴィネガーは首を動かして、メリーを見た。

 メリーは考え込むようにして言った。


「追っ手が途切れたのは、地下に入って通信が圏外になったのと、あの大きいの以上の戦力が簡単に用意できないからだと思ったの。

 でももし、あたしたちをものすごく脅威と感じて、狙いを変えたとしたらって考えたの」


 トネリコも、身を起こしてメリーを見た。

 メリーはずっと、考えを整理するように喋り続けた。


「現時点では、そっちは犯罪者でもなんでもないの。ちゃんとした名目なく攻撃したら、政府の立場が悪くなるの。

 でもなりふり構わなくなったとしたら……」


 トネリコが思い至り、目を見開いた。


「手紙を届ける相手が……管理者マスターの想い人が、危険にさらされる?」


 ヴィネガーが跳ね起きて、二人とぬいぐるみを引っつかんだ。


「舌噛まないようにね」


「ないの」


「人間と同じ形状のは、ないです!」


 羽ばたきひとつ。

 下水道跡をかっ飛ぶ。

 余力など考えない。考える余裕があるのかさえ分からない。

 開口部を見つけ、地上へ飛び出る。


 日中、灰色の雲が分厚い。このレベルならヴィネガーの活動に支障なし。

 一面、黒い大地で、月面のようなクレーター痕が広がる。

 人工物は付近には見当たらず、はるか遠く前方、蜃気楼のようにかすんで見えるのは漆黒のシャンデリアを逆さまに置いたような華奢な都市。手紙の送り主の住む街。

 街の上空で何か、白い光がチカチカと散っている。


 メリーはカード型通信端末で情報を探る。ハッキング対策はあえてしない。自分たちに目を向けさせる方がいい。


「情報、出たの! 政府への反乱分子があの街に潜んでるとの情報があって、攻撃機を派遣とのことなの!」


「それ要するに、手紙の届け先を捕らえるためのカバーストーリーよね?」


無辜むこの人間を犯罪者に仕立てて捕まえるなんて、そんなこと、あっちゃいけないことです……!」


 ヴィネガーとトネリコはそれぞれに不快感を示す。

 メリーは情報を追いながら、考え込む。


「これ……瓢箪ひょうたんから駒? ウソから出たまこと? かもしれないの。ガチのマジを引き当てたかもしれないの」


 メリーは視線を、空に向けた。


「本気の反政府組織でもいなかったら、あんな戦力、出てくるはずがないの」


 ヴィネガーとトネリコは、その視線を追った。


 空。機影。

 浮遊する人型の機械。

 左右非対称に、合計十一枚の翼が広がる。

 漆黒のCIMシム繊維骨格で、翼も全身も昆虫のはねのように肉抜きされている。

 身長約二十メートル。右手に漆黒の剣。

 その黒い全身に絶えず文字列が走り、金色のネオン光を散らす。

 頭に相当する部分がない首なしの形状で、全身の至る所に搭載された計百四十七個の視覚センサーが、ヴィネガーたちの方をぎょろりと向いて見すえていた。


 メリーはぽつりと、その存在の名を語った。


「セントラルAI直接搭載機体、法治システム最高戦力、機体名称『ユースティティア』なの」

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