第6話 フェイタル・ラブ

 赤い光条が、暗黒の空にほとばしった。

 巨大機械はそれに向けてビームを撃った。

 ビーム攻撃は、赤い軌跡に切り裂かれた。

 切り裂かれた状態に、書き換えられた。


 空。堂々と広がる、四枚のコウモリの羽。

 片腕で人型ロボットと呪いの人形をかかえて、もう片腕は赤い爪の残像がゆらゆらと漂い続ける。

 全身に葉脈のように赤い光が走り、瞳も赤く輝いて火の粉のように光の屑を散らす。

 その顔は、吸血鬼ヴィネガーの表情は、それでもなお、可憐だ。


 ふわりとした感触で、しかし一瞬で、ヴィネガーは地上に降りた。

 トネリコとメリーを優しく下ろして、ヴィネガーは微笑んだ。


「すぐ終わらせるわ。待っててね、トネリコ、メリー」


 一歩下がったヴィネガーの爪は、その次の瞬間にはもう、十本とも日本刀のように長く伸びていた。


 激突。巨大機械と吸血鬼がぶつかる。

 巨大機械は押し返されない。押し返すという外力がかかる前に、切断される。

 赤い爪が、なでるように通り過ぎる。赤い軌跡。文字列が軌跡の中に躍る。書き換える。

 CIMシム繊維骨格の呪術質量エレメントが、質量を失って霧散し、灰色の炎になる。

 巨大機械はビーム放射とパルス放射で抵抗する。翼と触腕を振り回す。

 すべて、切り裂く。

 赤い軌跡。空中に残り続けまゆのように編まれる。取り囲む。

 黒い背景も白い攻撃も何もかも、赤く、染め上げてゆく。

 その中心で吸血鬼ヴィネガーは、ただ美しく、舞い続ける。

 微笑んで。


 その光景を、トネリコとメリーは離れた位置で見守った。


「……なんなの、あれ」


 メリーがぽつりと、つぶやいた。

 トネリコはしっかりと前を見すえて、返答した。


「ヴィネガーさんですよ。

 どんな姿になっても、どんなに強くなっても、ヴィネガーさんです」


「そういうこと言ってるんじゃないの」


 トネリコはメリーに顔を向けた。

 メリーは戦闘光景に目を向けたまま、うめくように言った。


「あれ、進化じゃ、ないの」




 戦闘は、最終的には静かに、終わった。

 三十メートル四方あった巨大機械は細切れにされ、ただ灰色の炎になって、辺りに残った。

 黒一色の背景が、炎に照らされてほの明るい。

 その中心でヴィネガーは、赤い残像をビニール紐の束のようにゆらめかせて、しかしそれも霧散していった。

 後に残ったのは、二枚のコウモリの羽を持っていて、爪は赤いけれど日本刀のようには長くなくて、肌は混じり気なく白く、ただただあどけなくて可憐な、いつものヴィネガーだった。


 ヴィネガーはにっこりと微笑んで、トネリコとメリーの方へ歩み寄った。

 トネリコは出迎えようとした。

 それより早く、メリーが前に出て、こわばった口調で詰め寄った。


「ヴィネガー。あなた自分が何をしてるか、分かってるの」


 ヴィネガーは微笑みを消して、メリーに向かい合った。

 メリーは強い口調で続けた。


「進化じゃないの。あれは、定義の強制書き換えなの。あなた」


「メリー」


 ヴィネガーは澄んだ声色で、言い換えれば冷たい声色で、さえぎった。


「せめて、トネリコがいない所で」


「いいえ今するの。これはトネリコも知ってなきゃいけないことなの」


 強い口調で言い続けるメリーに、トネリコは話が見えないながらもこわばった。

 メリーは話を続けた。


「ロボットの涙で吸血鬼が進化できるなんてこと、そもそもあるわけがなかったの。

 あなたはトネリコの涙を進化の血だというの。そう定義したの。その定義に無理やり体を合わせたの。

 そんな強引な書き換えが、なんのリスクもなしにできるわけがないの」


 ヴィネガーは、押し黙る。

 メリーは見つめる。


「……久しぶりに顔を見て、昔より老けたと感じたのは、そういうことだったの」


 メリーは人形の無表情のまま、しかし確かに泣きそうな顔で、言い切った。


「その変身の代償に、十万年あったあなたの寿命が、ものすごい勢いで燃え尽きてるの」


 トネリコは、息を呑んだ。

 そうするしかできなくて、何も言葉が出なかった。

 緑の瞳を、メリーとヴィネガーとの間で行ったり来たりさせて、最終的にヴィネガーの方向で固定させた。

 ヴィネガーは押し黙って、ひとつ息を吐いて、それからぽつりぽつりと、話し始めた。


「まず前提として、本来こんなことできるはずがなかった。

 トネリコの涙を運命の血として定義できたのは、トネリコが運命の人に間違いなかったから、それは断言できるわ」


 ヴィネガーの赤い瞳は、伏せられたまま。

 トネリコの緑の瞳と、メリーの青い瞳にさらされて、話し続けた。


「一回目は、慣れないことをしたせいで負荷がかかったのかもと思った。

 けれど今進化してみて、一回目よりももっと大きく私の命がすり減るのを感じた」


 伏せた目を上げて、トネリコに向けられた表情は、ぞっとするほど穏やかで、優しげだった。


「きっと、次また進化したときには、私の寿命は完全に燃え尽きるわ」


 何も、返事ができない。

 トネリコもメリーも、何も言えないまま、ヴィネガーを見つめた。


 夜が、明け始めた。

 暗黒の空が白んできて、それでも空は相変わらずぼんやりと雲がかかって、青天井は見えそうにない。

 ヴィネガーはにっこりと、今の空気にまるでそぐわない微笑みで、二人に言った。


「地下に潜りましょうか。陽が出てきたら、吸血鬼の私にはつらいわ」

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