第5話 シンセリティ・ハート
背中の両翼の末端まで、ヴィネガーは神経を張り巡らせる。
羽ばたき。飛翔。旋回。ヴィネガー自身の神秘性が高まり、わずかな燐光を発して残像を渦巻かせる。
その残像を切り裂くように、首なし竜のような巨大機械のビーム放射。
黒一色の背景に、暴力的な白い閃光、そして赤く細く散る吸血鬼ヴィネガーの瞳の残像。
そのヴィネガーの腕にかかえられて、トネリコとメリーは喋り合った。
「メリーさん、勝てないってなんでですか!? ドローンのときはなんかすごくすごいことしてたじゃないですか!」
「ワンオフ機で構造解析が大変なうえに単純に質量が大きすぎるの。データ書き換えが追いつかないの。
あと独立AIだから、多脚車両にやった要領でマイクをハックできないの」
ヴィネガーは飛び去ろうとする。
トップスピードは巨大機械の方が速い。追いつかれる。
下へ。機械の足の間に入り込む。
蹴り上げる。シャリリと薄い金網をこすり合わせるような音。軽い
だが翼の羽ばたきと触腕によるバランス補正で踏ん張られた。
「キツイわね、逃げるも戦うも……!」
「そう言いながらヴィネガー、笑ってるの」
「カッコいい顔を見せたいのよ、運命の恋人を腕にかかえてるんだからね!」
「トネリコ、受け入れてるの?」
「まだ出会って間もなくて戸惑いはありますけど、でも、悪い気はしてないです」
「
人形の無表情のまま、メリーはそっぽを向いた。
「……妬けるの」
ヴィネガーは赤い残像をほとばしらせながら、蹴りと爪でなんとかねじ伏せようともがく。
メリーも旧世代携帯電話機とカード型通信端末とで通信しデータ書き換えを狙うが、思わしい効果は出ない。
「……わたし、泣かなきゃ」
抱かれるままのトネリコは、そう考えた。
戦闘機能のないトネリコにできることは、そう多くない。
一番は涙を流してヴィネガーに与えて、あの進化した姿にさせることだ。
けれど泣こうと思って、スムーズに泣けるものでもない。
「ヴィネガーさんすみません、わたしすぐ泣きますからっ……」
「無理しないでいいわ。あなたを何度も泣かせたくないって言ったでしょ」
旋回しながら攻撃をいなす。
メリーの補助もあって今のところすり傷ひとつないが、一撃もらえば一気に形勢が決まりかねない。
それに。なんとかきれいな表情を保っていたヴィネガーは、いよいよ顔をしかめた。
「頭がクラクラするわ……!」
「ブレインショック・パルスなの! 気を強く持たないと、意識を飛ばされるの!」
巨大機械から放射される、意識を落とす衝撃波。
振動とともに幽霊のような無色の文字列が浸透し、トネリコの意識も混濁してゆく。
気絶する前に泣かないと。悲しかったことを思い返せ。これまでの思い出。
「トネリコ」
不意にヴィネガーが、強く抱きしめてきた。
「悲しいことを思い返して泣かれるのは、私としては不本意だわ。
だからこれから、あなたに愛をささやく。
同じ泣かせるのなら、嬉し涙で泣かせてみせるわ」
「あのっ、ヴィネガーさん……!?」
ヴィネガーはトネリコを、顔同士が触れ合うような距離で見つめた。
翼が独立したように回避を続け、メリーは二人をあえて見ないようにして回避補助に専念する。
ヴィネガーのぷるりとした可憐な唇が、トネリコの耳元にすり寄って開いた。
「トネリコ。あなたは素敵な人。自身の危険よりも先に、目の前の人を気遣える優しさがある。
突然現れた私を受け入れて、凶暴な姿に進化した私の恐れをすくい取ってくれた」
ヴィネガーは意識する。声色に妖艶さを。愛をささやく音色を奏でる。
聞く者を歓喜させる愛のささやき。ヴィネガーにはできる。
長い長い時の中で積み重ねてきた、ヴィネガー自身の技術がある。
「感謝するわ。トネリコ。愛しい人。
あなたに出会えて私は、本当によかった」
トネリコの緑の瞳が、耳元に移動したヴィネガーの顔を追う。
見開かれたその緑の瞳は、暴力的に降り注ぐビームとパルス攻撃の中で、不思議とヴィネガーの目には澄んで見えた。
ヴィネガーはただ、愛をささやく。心の内を。
「トネリコ。私はあなたを、愛して――」
「ヴィネガーさん」
トネリコの声が、ヴィネガーの言葉をさえぎった。
ヴィネガーはトネリコの顔を見て、つい息を呑んで、見とれた。
このときのトネリコの顔は、思いがけず凛として、力強かったからだ。
「無理に強がらなくたって、いいです」
トネリコはこのとき、ヴィネガーの声が震えているのを感じ取っていた。
「ヴィネガーさんは不安がっています。ずっと怖がってます。
運命の人だってことを拒否されないか。愛を拒絶されないか。進化した姿を恐れられないか。
今でも愛をささやくことを本当は恐れてますし、孤独になることを恐れてます。
だから私の寿命が思ったより長くないと知って、涙を取り繕えないほど心を乱したんです」
あの涙を流した顔。
それから先立って進化した際、ウサギのぬいぐるみで隠した、照れた顔。
あれらの表情こそ、ヴィネガーの真の顔なのだと、トネリコは感じた。
「不安なら不安って言ってください。みくびらないでください。
もともと一人で手紙を届けるつもりだったんです。
あなたがどれだけ弱いところを見せようが、わたしが少々傷つこうが、それであなたを嫌いになるわけありません」
トネリコの緑の瞳は、力強く。
「わたしはもうあなたのこと、だいぶ好きですよ」
ヴィネガーは、面食らって、口をぱくぱくさせて、それから赤らんだ。
オートマチックのように飛翔して攻撃をかわしながら、ヴィネガーは逃げるように視線をさまよわせた。
「手がふさがって、ぬいぐるみで顔を隠せないときに、そういうこと言わないで……」
「ふふっ」
トネリコはおでことおでこをこつんと合わせて、逃がさないようにしっかりと視線を合わせた。
「運命の恋の相手に、繕うなんて無粋です。
ありのままを見せてください」
ヴィネガーは赤面して縮こまった。
激しい攻撃の中で、メリーのあきれたようなわざとらしいため息が、しっかり耳に届いた。
巨大機械から、ビーム攻撃が放たれた。
ヴィネガーたちは螺旋回転しながら急上昇した。
巨大機械の視覚センサーが、その姿を追って上向いた。
星のない夜空。暗い背景。
その中でヴィネガー自身の神秘性による燐光をまとって、ヴィネガーはトネリコに、そっとささやいた。
トネリコはゆるやかに破顔して、ほろりと涙がこぼれた。
口づけをするように、ヴィネガーはその涙を、舐め取った。
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