🐢 浦島太郎(3)夢の竜宮城暮らし

 出入り口に数人の人影が見え、そのうちの一人が中に入ってきた。

 海老茶えびちゃ色の甲冑かっちゅうに身を固めており、かぶとからは、二本の長い触角のようなものが伸びている。腰にいているのは、大きく反りの入った長刀だ。

 目はほとんど黒目だけで、やはりどことなく人間離れしている。

 物々しいなりの割には、背丈が太郎よりはるかに低いので、あまり威圧感は感じられない。

<おいでなすったな。こいはさしずめ、与力か同心といったところだろう>

「お前は浦島太郎だな? 本官は、竜宮警察 刑事部 捜査第一課 管理官の伊勢いせ 海老蔵えびぞうである」

 ずいぶん権高な物言いだ。

「けいさつ? それは、お奉行所のようなところですかね?」

「言うまでもない。実は、鍋太郎殺害および遺体領得・損壊・遺棄の容疑で、お前を逮捕したのだが、証拠不十分で不起訴となったのだ」

「タイホとおっしゃいますと?」

「何も知らん奴だな。逮捕とは、召し捕るということだ」

「えー。俺は召し捕られていたんですか!」

「そうだ。逮捕されて竜宮城に連行されたのだ。ただ、我らは手荒なことは好まんのでな。穏便に事を運んだというわけだ」

「それで、俺に掛けられた疑いは、晴れたんですかぃ?」

「一応はな。しかし、一点の曇りもなく晴れたというわけでもない。捜査を委託した陸生蛇りくせいへびの捜査班が、お前の家の糞壺を捜査したのだが、糞壺はすでに空っぽだった。おそらく、捜査班が到着する直前に、糞をすべて百姓ひゃくしょうに売り払ったのだろう」

<おお、でかしたぞ、おトラ! 帰ったら、へっついの裏に隠してある干し柿を分けてやるからな>

「それでも捜査班は、糞壺内部に残留していた微物びぶつを採取し、我が方に送ってきた。その微物を、竜宮警察科学捜査研究所で分析したが、特定できたのは虫卵ちゅうらんだけだった。ゆえにお前は、証拠不十分により不起訴処分となったのだ。虫卵の種類は、回虫がほとんどだった。お前、虫下しを飲んだ方がよいぞ」

「はぁ。ということは、俺は地上に戻れるんですね?」

「そうだ。しかし、『城中並びに来城者しょ法度はっと』の定めにより、乙姫様に拝謁せずに戻ることまかりならぬ。ところが、乙姫様はいまだ本復ほんぷくされておられない。ゆえに、御浜曲輪のお亀のもとで、暫時待機しておれ」

「へい、分かりやした」

「では、お城に戻るから、付いて参れ」

 太郎が外に出ようとすると、うつぼばばが話しかけてきた。

「疑いが晴れてよかったのう、太郎様」

「俺をだましたくせに、よくもぬけぬけと、そんなことが言えるな。婆さん」

「うんにゃ。オメエ様がこの宇津美うつみを助けて下さったのは、真のことじゃ」

「さっき、それは嘘だと抜かしたじゃねぇか」

「嘘と言ったのは噓じゃった」

「テメエ、俺を馬鹿にする気か!」

 すると、お婆の後ろから宇津美がヒョッコリと顔を出した。

「太郎おじちゃん、ありがとう」

 そう言われては、太郎も怒るわけにはいかない。

「お、宇津美か。よしよし。そうだ、今度、お城から菓子でも持ってきてやるよ」

「ヤッター」

「じゃ、またな」

 太郎は伊勢管理官や数人の警官に付き添われて、竜宮城御浜曲輪に向かった。いずれ拝謁する乙姫のことが気になっていた太郎は、道々、伊勢管理官に探りを入れてみた。

「乙姫様とは、いったいどんなお方なんですかぃ?」

「竜宮城のあるじにして、七つの海をべる偉大なお方であらせられる。しかも、絶世の美女でおわす。ゆえに、そのご尊顔を一目でも見たおのこはみな心を奪われ、たちまち尻子玉しりこだまを抜かれたような塩梅あんばいになるのだ。乙姫様の御傍近く仕える者がすべて女子おなごである所以ゆえんは、正にこれなのである」

「え? 尻子玉を抜かれる? するってぇと、乙姫様は河童かっぱの親分みてぇなお方ですかぃ?」

 太郎がそう言った途端、伊勢管理官は立ち止まり、太郎の方を向いた。甲冑全体がたちまち、海老茶色からで海老のような鮮紅色に変わった。兜から伸びた触角は、ブルブルと小刻みに震えている。どうやら甲冑は、被ったり着たりしたものではなく、伊勢管理官の外皮そのものであるらしい。

「おい、浦島! 恐れ多くも乙姫様を、河童呼ばわりするとは何事か! その所業、『城中並びに来城者諸法度』第1章第5条第1項に規定せらるる不敬罪に該当することは、明々白々である。本官は、即決裁判を行う権限を持っておる。ゆえに我が職権により、お前に死罪を申しつけるものなり! 直ちに執行するから、そこに跪いて首を前に出せ。者ども、こ奴が逃げぬよう、取り囲め!」

「げっ! 乙姫様をけなすつもりは毛頭ございません。つい、口が滑ってしまいました。今度ばかりは、どうぞお許し下さいませ!」

 太郎は、その場で土下座して、額を地面に擦り付けた。

「いや、ならぬ。これを見逃したとあっては、本官が釜茹でにされるのだ」

 伊勢管理官は、腰の長刀を抜き放った。

 とその時、一人の男が通りかかった。着流しに編み笠を被っている。

 その姿を見た伊勢管理官は、刀の切っ先をおろし、頭を下げた。他の警官らは、いっせいに地面に平伏した。

 伊勢管理官に近付いてきたその男を、太郎が下から見上げると、編み笠の下の顔は赤黒く、蛸の足に似た顎髭を生やしている。

「おぅ、伊勢じゃねぇか。盗っ人でも捕えたのか?」

「これは、おかしら。市中見廻り、お疲れ様でござります。こ奴は盗っ人ではなく、浦島太郎メにござります」

「ん? 浦島とな……? 鍋太郎殺しの容疑者じゃな? 確か、証拠不十分で不起訴になったはずじゃが」

「そのとおりでござります。しかしながら、こ奴め。不届き千万にも、乙姫様を河童呼ばわりしたのでござります」

 伊勢管理官は、ことの次第を「お頭」に説明した。

「ふーん、そうかい」

 お頭は、まじまじと太郎を眺めた。

「おい、浦島。このお方を、どなたと心得る。このお方はな、竜宮警察長官、蛸壺たこつぼ平八へいはち様であらせらる。ちまたでは『蛸平』と呼ばれ、悪人どもを戦慄せしめておるお方だ。神妙にせぃ!」

「ははー」

 太郎は叩頭こうとうした。

「苦しゅうない。面を上げよ。ふーむ、浦島。お前、だいぶ痩せ細っておるな。地上では、食うのに困っておったのか?」

「へぇ。不漁続きで、畑の出来もよくございません。腹一杯食ったのがいつだったか、忘れちまいました」

「それは難儀な事よのぅ」

 思いがけず、優しい言葉が返ってきた。

「それで、背に腹は代えられず、鍋太郎を料理して食ったのじゃな?」

 太郎は、匕首あいくちを喉元に突き付けられたように、ビクリとした。

「い、いえ。俺は食っておりません」

<危ねぇ、危ねぇ。この蛸野郎、油断できねぇぞ>

「そうか……。伊勢。おヌシの下した死罪判決は、わしが取り消す。浦島は、予定どおりお亀のもとに届けよ」

「はは! 承知いたしました」

「浦島よ。お亀は料理上手じゃから、旨い物を拵えるだろうよ。せいぜいたくさん食べて、養生する事じゃな。乙姫様拝謁までに、体にもっと肉を付けておけよ」

「へぇ、もったいねぇお言葉でございます」

 

 御浜曲輪に到着し、亀の部屋で亀と二人きりになった途端、亀が武者むしゃぶり付いてきた。

「太郎様! 黙ってお逃げになるとは、あまりにむごいなさりよう。亀はこのとおり、ずっと泣いておりました」

 お亀は、泣き腫らしたような、あるいは海亀のような腫れぼったい目をしており、今も涙が滂沱ぼうだしたたり落ちている。

「済まなかった。謝るよ、お亀。そろそろ地上に戻りたくなってな」

「これもすべて、私の至らなさからでございます。さ、隣の間にお布団が延べてありますゆえ、参りましょう」

 亀は太郎の手を引いて、隣の部屋に導いた。

「おいおい。ちょっと待てよ」

「待てませぬ、太郎様」

 お亀は薄物の着物をサラリと脱ぐと、太郎の着衣も全部剥ぎ取ってしまった。

 改めて亀を見ると、肌は象牙のように白くて滑らかだ。真桑瓜まくわうりを半分にしたくらいの大きな胸は形が良く、引き締まった腹から肉付きの良い尻に至る曲線が、痛く煽情的だった。

 お亀に口を吸われながらし掛かられた太郎は、布団の上でヘナヘナと腰砕けとなってしまった。

 それから、お亀は次々と秘術を繰り出してきた。

<何という気持ち良さだ! お亀の奴、人間離れしたつらを除けば、完璧な女じゃねぇか>

 いや、もう一つ。お亀の尻が太郎の鼻先に来た時、尻の穴の上に亀の尻尾しっぽのようなものが付いていた。しかし、太郎にはもうどうでもよくなった。


 太郎が一度果てても、お亀は離してくれなかった。お亀の攻めは夜を徹して、延々と続いた。もはや、太郎はお亀のなすがままだった。

 よほどお亀の技巧が優れているのか、太郎が何回果てようが、お亀の手にかかると、すぐに凛凛りんりんたる気力が満ちるのだった。

<こ、こんなことは、生まれて初めてだ。お亀に比べれば、おトラなんて、犬の陰嚢ふぐりみたいなもんだぜ……>

 そのうち太郎は精根尽き果てて、深い眠りに落ちた。


「太郎様、朝でございますよ」

 お亀の声で目が覚めた。

「なに、朝か」

 しかし、廊下に面した欄間から朝の光は差しておらず、暗いままだった。

「外はまだ暗いようだな」

「はい。竜宮城は海の底深くにありますので、陽の光はほとんど届きません。日中とて、心持ち明るくなるくらいです。隣に、朝餉あさげをご用意いたしました」

 太郎は、膳の前に座った。

 料理は美しく盛り付けられていたが、魚や海老えび、貝など海に住む動物は見当たらない。その代わり、獣肉、鶏卵や鶏肉、野菜、海藻が使われている。

「たんと召し上がって、精を付けてくださいましね。特に、瓢箪ひょうたんの形をした皿にある鯨の肉を食していただきますと、一晩や二晩ぶっ続けでも大丈夫でございますよ。今夜も心行くまでお慰め申し上げますからね。ふふふ」

 亀は恥ずかし気に視線を落とした。

「お亀、オメエ、どこかの遊郭にでもいたのか? その……、あんまり床上手だからよ」

「遊郭でございますか? いえ、竜宮城には、そのようなものございません。もしかして太郎様は、私のことをお嫌いではないのですね?」

「お嫌いどころか、俺ぁ、オメエに惚れちまったよ。お、そうだ! 今夜は俺がオメエをたっぷり可愛がってやるよ。大事なところ、よく洗っておくんだぞ」

「嫌な太郎様! なれど、私を好きになってはなりませぬ」

「そりゃぁ、なんでだ?」

「乙姫様は、とても嫉妬深いお方だと聞いておりますゆえ……」

 お亀の顔に、少しばかり影が差した。

「ほう。よく分からねぇんだが、乙姫様っていうのはいったい何者だ?」

「竜宮城の主にして、七つの海を統べる、偉大なお方と聞いております。私は本丸御殿でのお勤めの経験がございませんので、お目にかかったことはないのです」

「たいそうなお方だな。しかし、病にせっているという話じゃねぇか。体が弱いのか?」

「いえ、ここだけの話ですが……」

 お亀は声を潜めた。

「ご懐妊かいにんなさっていて、臨月りんげつが近いとのおうわさです」

「へえ、そうなのか」

「ご出産が済めば、太郎様の拝謁もかないましょう」

「俺ぁ、拝謁なんていいから、ずっとお前と暮らしたいよ。ふぁー」

 昨夜は夜通しお亀に攻められていたためか、生あくびが出た。

「あらあら。夜までひと眠りなさいませ」


 こうして、太郎の竜宮城生活は、夜を徹したお亀との睦み合い、朝寝と昼寝、一日二度の豪華な食事の繰り返しとなった。

 夜以外は体を動かすことなく美食に明け暮れたから、太郎は丸々と太っていった。


《続く》




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